「変わる」vs. 「変わらない」⇒ オンナトオトコ

横浜の工事現場

さいきん、北野武さんの本「ビートたけしのオンナ論」を読みました。

なるほど、と思ったことがあります。

料理人は男のほうが向いている。女性には生理がある、だから、舌の感覚が日々変わりやすい、けれど、男は生理がないから安定している、というもの。

その個所を読んだとき、そういえば、池波正太郎先生も同じこと言ってたなぁ、と思い出し、日本を代表する表現者であるお二人の料理人に対する共通の考え方に大きな興味を覚えたのです。

興味、というか、「あ、切り口は違うけれど、私と同じこと思ってるんだわぁ」という嬉しさ、かな。

料理人についてのお二方の意見には「うーん。そういうものか・・・」と私は賛成はしないけれど、

「ものごとは変わる」つまり、「ゆく川の流れは絶えずして」の諸行無常という感覚がわたしを含めた多くの女性にはあるんじゃないかなぁ、と私が思うのに対して、

「ものごとは常に一定で、変化は少ない」

と思っているのがおおかたの日本人男性である、

というのが私の長年に渡って得た確信だったからです。

10年以上も前のこと、

ある東証一部上場企業の役職者の知り合いと

一献傾けながら話していたときのことです。

そのかたは、

私のようにエイヤっと自分独りで会社を興して

事業をするということが

自分に当てはめると考えられない、

とのことで、

家庭のことを考えたり、

もろもろのしがらみなどを思うのかもしれない、

とおっしゃいました。

私などはいたって平気だったうえに、

ひとつの会社で一生、会社勤めをする、

という考えのほうが不思議でならなかったので、

酒の肴(さかな)にふたりであれこれと話を続けました。

そして、私たちが達したのは、

男は変化を嫌う生き物であり、

女は変化することは当然だと思っている

生き物である、ということ。

このときの会話がおそらく、

「ものごとはつねに変化すると思っている性と、

変化しない(変化は少ない)と思っている性が

男と女の違いのひとつなのだ」

と私が確信するにいたったきっかけかもしれない。

男性にも身体的な変化は思春期のころからあるけれど、

女性のそれは、その比じゃない。

「分」単位で変わる。

かつて、私が貧血の治療で内科を受診していたとき、

「とにかく女性は、

(身体的な変化が)いろいろあるから」

と先生にしみじみ言われたこともあります。

身体性という物質的な変化だけではなく、

社会的、心理的な変化をもつねに経験する。

生理前後の症状はもちろんのこと、

結婚すれば姓が変わるひともいる、

仕事を辞めたり変わったりするひともいる、

妊娠すれば十月十日、

身体的な変化を日々経験する、

体調によって食べ物や好みも変わる、

出産すれば体形や体調、髪質、肌質が変わる、

つきあうひとも変わる(ママ友ができたり)、

自分に対するまわりの呼び方もつねに変化する、

50前後になれば、

更年期でやはり身体的な変化を女性はみな、経験する

(その長さ、前後の期間を入れたら約10年と言われています)。

(身体性といえば、

女性は身体性を重んじられる生き物だけれど、

男性はそれがわりと欠落している気がします。

ようするに、頭でっかち)

いっぽうの、「変わらないと思っている性」。

会社は安泰。

終身雇用制度があるから。

年功序列でサラリーも右肩上がりで

一定金額で上昇する。

だって、「変わらない」のだから。

自分の人生に、大きく変わることがあるはずがない。

だのに、

ある日、M&Aでトップが外国人になって、

会議がすべて英語に変わってしまって、

びっくりする。

変わらない日々のはずなのに。

日本語のプレゼンで定年退職を迎えるはずだったのに。

定年退職をしたその日。

長年連れ添った妻から、

「今日限りで離婚してください」と

三行半を突き付けられる。

妻の自分に対する気持ち(「恋愛感情」)

は、始めて出会った10代のころと

まったく変わってないはずなのに。

どうして。

だから、首都圏の交通機関は変化に弱い。

今日の天気は昨日や一昨日と同じ、と思っている

人たちによってつくられたから。

とつぜんの大雪や台風に見舞われる

ことはない、と思っている人たちによって

つくられたから。

そして、それが訪れると、嘘のように麻痺する。

首都圏の電車、地下鉄は。

積雪5 cmくらいで。

まったく走らなくなる。

「雪のため、運行は見合わせることにしました」

「台風のため、ダイヤが乱れております」

豪雪地帯の東北人が見たら、

「まんずなにかんげぇてんだべ」。

交通機関を作ったのは男性です。

女じゃない。

父親の転勤にともない、

6歳から13歳までの多感な時期を

東北で過ごした私にとって、

首都圏の交通機関のあの一瞬にしておこる麻痺は

いつも不思議でならないのです。

猛吹雪でたった一晩で1メートルもの積雪があったり、

屋根の雪下ろしや除雪溝を使用している際、

誤って事故に遭い、

亡くなる人が毎年かならずいるような

豪雪地帯の自然の威力を、

幼いときにまざまざと見せつけられた

私にとっては。

作った人間が

変化を嫌う性であったとしか思えない。

それは、企業。

そして企業や会社組織の主体はもともと、

女じゃない。

ですよね。

それはつまり。