「英語圏」という文化圏と、「日本」という独自性。海外を視野に入れるとき。English-speaking countries as a whole region vs. Japan as a “one-and-only” being.

今日の記事では、世界を視野に入れたときの「日本」という独自性ついて書いています。

<もくじ>
●「英語圏」という文化圏と、「日本」という独自性。海外を視野に入れるとき。
●「変わっている」のではなく「独自性(uniqueness)」があるということ。そしてまわりにインスピレーションを与える力を有する重要性。
●重要なことは「相手にいかにインスピレーションを与えるか」(How is Japan gonna inspiring other countries/cultures?)

このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日の記事は「新しい生活様式・テレワーク・仕事形態に向けて」のカテゴリーで書きました。働き方改革やリモートワーク・ノマドについて私が思うことについては以前、下の記事でも書きました。

●「英語圏」という文化圏と、「日本」という独自性。海外を視野に入れるとき。

もちろん、「英語圏」とひとことで言ってもさまざまな国が含まれます。

けれど、その中でも「巨大英語圏」と呼んでもいいような見えざる一大文化圏が存在することも事実です。

人口にしておそらく、中国やインドと同じくらい。

横浜中華街

映画作りを例に挙げれば、英語圏の俳優や製作者たちはお互いに理解しあえる「言語」を有していることもあり、かなりの割合でコラボレーションしています。

超大作と言われるようなハリウッド映画を観ればわかると思います。

アメリカ人の俳優に交じって数名の英国人やアイルランド人俳優が出ているかとおもえば、製作者は英国人、監督はカナダ人、製作総指揮はアメリカ人、撮影地はニュージーランド、なんてことはざらです(だから映画はヨーロッパ系の俳優=Caucasians が多くなる)。

そして英語圏でヒットすれば世界で大ヒット」となる。笑

観客からは見えない、契約部分や製作現場では「どの国の役者・製作者が何人いるか・何人必要と契約上はされているか」などなどの細かい決まりごとがある場合もある。

それでも、観ている側はそれと気づかずに、「英語で話されている映画を観ている」と思っています。

これはテレビ番組でもしかりです。

米国の人気Talk showでありながら、Hostは英国人俳優であったり。

Broadwayの舞台でもしかり。

それぞれパスポートなんて使ってないんじゃないか、とこちらが錯覚をおこすぐらいに、「英語圏」の人たちは日常的にコラボレーションをしている。

映画を配給するのであれば、英語圏は一大文化圏のようにして一斉に配給される。

芝居を「海外公演」する際も、英語圏どおしはわりと頻繁にお互いに行き来して公演する。

そしてこれは、私が若かりし頃に米国で数年住んだときに痛烈に感じたことでもあるのです。

日本はこういうわけにはいかない。

あるいは日本語nativesはこういうわけにはいかない。

流ちょうな英語を話せるひとはほんの一握り。その反対に、流ちょうな日本語を話せる外国人も英語圏の人間の数と比べると少ない。だから、外国籍の方たちと日本語natibesとのコラボレーションは英語圏のそれと比べると一気に少なくなる。

言葉の壁、と表現する人もいるかもしれない。

でも言葉だけではなく、文化としても英語圏内はお互いに理解不能になるくらいの違いがあるわけではない。

英語圏の国家元首どおしが会談するシーン。お互いに笑顔握手やときにはHUGをしながら、ゆったりとソファに腰かけてすぐに、足を組む。男女に違いなく。

肘つきの椅子であればをのせたり、自分のあごを片手の指に乗せながら少し体を傾けるようにして話をしたり話を聴いたり。

しぐさや体勢、表情を観ているだけでもまるで、「同じ国の人たちが話している」ようにすら見えます。同じようなことをしているから。

日本国内にいるとあまり分からないと思うのですが、英語圏に住んでみるとそれは日々、強烈に感じます。

自分が外国人であれば。

自分が疎外されているような気持ちすら抱きながら。

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"Keep out" tape

留学当時の私はうまく英語が話せない・理解できないということもあって、日々葛藤のなかにいました。

若い、ということもあったのだと思います。

嫉妬、とも、怒り、とも、挫折感、ともつかないような、不条理をよく感じたものです。

「英語圏の人はいい。苦労せずともお互いの国を行き来して母語を話しながらコラボレーションし、そして世界に影響を与えていけるのだから」

けれど大人になった今、非英語圏の文化にいるということがチャンスであるということにも気づきました。

そしておそらくそれが、英語圏の人間をはじめとする世界の人たちが日本を観るときに感じていることなのだと思います。

「日本というone-and-onlyな存在」

文楽や歌舞伎では、西洋演劇では「裏方」のはずのかたたちが表舞台に出演して人形を操作したり俳優さんの衣装がえを手伝ったりされている。

(そうして実際にこうした日本をはじめとするアジアの演劇形態に影響を受けて製作を試みる英語圏の舞台関係者がいます)

北斎漫画や鳥獣戯画に代表されるような、遊び心満載の「漫画」が人々の生活の中に古くから息づいている文化圏。

「江戸前」と呼ばれる、いまの東京湾でとれた魚介類を使って作る寿司を「食の芸術」の域にまで押し上げたり、隠れた着物の裏地に斬新な図柄を施したものを利用する「ちらリズム」を「粋(いき)」だとみなす価値観とともにあるセンス。

武術をはじめとする「なになに道」とつく「みち」によって社会規範を重んじたり自分を律したりすることに価値を見出す文化。

自分が海外旅行をするときは、自分の国では見られないような珍しくて斬新なもの・おしゃれなもの・かっこいいもの・感動するものを観たり、食べたり、お土産として購入したくなる人のほうが多いと思います。それが旅行の目的でもあるはずだから。

渋谷の夜景

「非日常を楽しめる国に行きたい」

「いままで見たこともないような珍しくて面白いものに出あいたい」

「世界のどこにもないような独創的で先進的なものに触れたい」

渋谷駅

言葉という共通項を共有する国・地域は少ないかもしれないとしても、「私たち、母語として同じ言語を話してるよね」でジョークや仕事を日常的に一緒にできるわけではないとしても、「私の中にはないものをあなたは持っている。だからすごくあなたからインスピレーションを受ける( You are inspiring me)」と言われ得る可能性を秘めている。

鶴岡八幡宮の茅の輪

差別化を図るのが難しいといわれるなかで、強烈な個性を放っているきらきらとした存在。

自分が歳を経るごとに、そして「個」が個として世界に向けて発信できうる手段がますます広がりをみせるごとに、私はその思いを強くしています。

●「変わっている」のではなく「独創性(uniqueness)」があるということ。そしてまわりにインスピレーションを与える力を有する重要性。

Shinjuku Nishiguchi station

「日本」とか「日本文化」というと、ときおり「変わっている(変だ)」という話に終始するかたを見かけます。

自虐的に「ガラパゴス化」と言う人もいる。

「変わっている」とか「ガラパゴス化」って、一般的にはいい意味では使われていない。

「ガラパゴス」のほうは「それがチャンスだよね」という意味で使われることもあるけれど、「変わってる」に関してはかなり自虐的だと思います。

でも「変わっている」ことはまわりの多くとの大きな違いということであり、それは「独創性(uniqueness/originality)」と言い換えられることもある。

独創性は他者にもアーティスティックでクリエイティブ、イノベーティブな影響を与える力を輸しているという意味でもあります。

「変わっている」の裏にあるのは「変でおかしい」。

「独創性」の裏になるのは「artistically, creatively, and strikingly innovative power」。

そして日本の可能性として「独創性」だと私は思っているのです。

だから、日本を海外出店の最初の国に選ぶ企業・ブランドがあるのもものすごくうなづけるのです。とくにさっこん。

「消費者も英語圏をはじめ、さまざまな文化のものを知っていて、お金も教育水準(識字率を含めて)も平均的なものは一般市民レベルではそれなりに有していて、購買意欲もあり、海外旅行や海外赴任にも慣れた人がいて、それゆえに確固とした好き嫌いもあって、それでいて『強烈な個性』という独創性ある文化圏であるから」

日本で成功をおさめれば、大概のビジネスはうまくいくとさえ思えます。国内企業はもとより海外企業にといても日本市場は上記のような理由で進出先に選ぶ企業が増えています。だからこそ日本のビジネス市場は競争が激化する。日本企業内ですらそう。

競争が激しい日本市場に揉まれて生き残れるのであれば、世界のどこでも生き残れる可能性があるということ。

●重要なことは「相手にいかにインスピレーションを与えるか」(How is Japan gonna inspiring other countries/cultures?) 

A Japanese cup reinforced with gold
Kin-tsugi technique of gold reinforcement (2) (Daibo-san’s cup shot by Kay Koyama) ”Nothing can be eternal.” This is the basic value and aesthetics of Kin-tsugi technique, I think, even “Beauty” as well.

「独創性」を強調するだけではもちろん、「日本はこんなに独創的なんですよ!」で終わってしまいます。

いち表現者ならこれでいい。

今の時代、YouTube Twitter Instagramなどの「media」によって全世界で注目される可能性が表現者にはあるからです。まさにソーシャルメディアの本領発揮といえます

けれど、ビジネスでは独創性だけでは営利に結びつかない。「お金を落としてくれる」「お金を使ってくれる」トリガーとなるものがないとビジネスにはなりません。

ローカライゼーションはもちろんですが、これからは「いかにインスピレーションを与えるか」がキーワードになると私は思っています。

「インスピレーション」についてはこのブログで前も取り上げたことがあります。

私のライフワークでありキーワードとも言えます。

また今後、インスピレーションの可能性については書いてまいります。

Japanese Kintsugi-technique
Kin-tsugi technique of gold reinforcement (1) (Daibo-san’s cup shot by Kay Koyama)

◆安価で利幅の少ない製品は、低賃金の国・地域に持っていかれる。しかもレッドオーシャン。

◆独創的でインスピレーションを与えるものはブルーオーシャンになりやすい。

◆双方向性が高まる(例:ゲーム)。

◆「消費者」がインスピレーションを感じることにより、消費者の参画度が高まる。

◆「消費者」の感情が動きやすい(感動)。よってロイヤルカスタマーとなりやすい。

◆ブランディングしやすい。あるいはその可能性が広がる。

◆それによりフローのキャッシュが生まれやすい。

◆高い利幅を設定しやすくなる。

◆インスピレーションを与えることを意識していると、作り手のほうもマンネリ化が避けられる(大変であはるけれど。シルク・ドゥ・ソレイユの倒産事例からそう思います)