ホンモノになろう。

これから数回に分けて、ホンモノ、ということについて書いていきます。「一流」とあわせて「ホンモノ」については、学校では教えてくれません。笑

昨日は下の記事を書きました。



●審美眼と自分軸が備わるホンモノになる。

 
先日私はこのブログで、「一流の人間になる」ということについて書きました。人生の壮大なる価値観として(笑)私がもうひとつ掲げているものは、生活の中心に「ホンモノ」をすえるということ。
 
 
ホンモノにふれる。
ホンモノになる。
 
 
ホンモノはいろいろなところにあります。職業だったり、 食べ物だったり、人間だったり、ハコモノだったり。とにかく、ありとあらゆるところです。
 
 
「ホンモノに触れたり、ホンモノになる」という、確固とした意志を確立すると、自分のゆるぎない審美眼が時間をかけて備わっていきます。たとえ少数派になっても、自分の軸ができる。他人や流行に振り回されない軸と審美眼
 
それは、短い期間で見たら間違っているように見えるかもしれない。けれど、長い目でみたとき、あなたの人生が豊かに、幸せになっていく礎(いしづえ)となってくれます。私の経験からそう感じます。
 
日本傘
 
私が高校生だったとき、受験戦争が過熱していました。偏差値の高い有名大学に受験で入学する人間がまるで王道をいく神扱い。それはいま以上だったかもしれません。そんな世の中に、私は未成年ながらとても違和感を感じていました。
 
学校の授業でも2年生になったあたりから先生が「これは受験に出ます、ほんとうはこんなこと、言いたくないのだけれど」みたいなことを言い出し始める。大学受験の意味とか意義が、私にはまったく理解できませんでした。だから、先生がそんなことを言い出すと、まるでドラえもんがスイッチを切ったような状態になる。笑 コトンと。目が白目で。
 
トラのもんマスコット
東京「虎ノ門ヒルズ」オープニングの際の「トラえもん」笑 (虎ノ門ヒルズ内にて撮影。小山ケイ)
 
授業が頭にはいってこなくなったり。一生ものの知識でも、生きるサバイバル能力を授けてくれるわけでも、ましてや英会話の能力が上達するわけでもない受験勉強。
 
暗記ものが中心の試験で、クリエイティビティを表現するわけでもなく、人よりどれだけたくさん、暗記できたか、人生には何の役にも立たなさそうなことを細かく問われて、それに答えるのが大学受験の試験問題。
 
下田の旭
 
大学受験なんて、クソクラエ。高校生だった私は本当にそう、思いました。だから、1年生のときから、推薦入学をとることを目標にしたのです。自分の大切な人生、大切な青春の1ページ(くぅ~笑)、無駄なことに1秒たりとて使いたくない。
 
そら
 
時を経るごとにAO入試が導入されたり、受験そのものの内容も様変わりしたりしています。でも私の時代は、受験で入学する割合がたしか9割くらいでした。だから、私にとっては自分が高校生になったあたりから、自分の確固とした軸のようなもを明確に感じましたね。 

 
見たり触れたりすると、すごくよくわかる。匂いも。
 
そういう作品・制作物を手掛ける職人さんはプロ中のプロだと思います。だから、職人さんもホンモノだし、その方たちが作るバッグや靴もホンモノです。
 
2)の基礎練習の量がすごい、というのは、たとえばプロの芝居やダンス、表現するものを見て、「あ、ホンモノだ」と感じた時、何かの拍子にメイキングフィルムや動画を見ると、やはり裏でものすごい練習をしていることが多かったからです。
 
ホンモノを裏付けるのはものすごい練習量なんだ、と私は若いころから感じました。
 
もちろん、やみくもに、練習するのではありません。私が「ホンモノだ」と感じるかたたちは、
★ルーティンがある。
★ルーティンで自分の調子を確認している。
★メリハリがある。(休憩をとったり。「緩急」です)
★練習中にこまかなPDCAをしている。
★集中力を発揮する。だらだらとやらない。
 
 
3) 効率を求めることはわるいことではありません。けれど、効率至上主義は本末転倒。まずは、魂を込める。魂を込めた人、魂が込められたモノ、サービス、表現物(アート・芸術)に、人は感動するのだと思います。
 
そうしてホンモノにお金払ったり支援したりする。
 
効率に感動するのではないです。
 
 
4) 3)に通じますが、ホンモノは理屈じゃないです。計算式でも表せない。だから、AIにも識別不可能だと思います。いくらディープラーニングさせたとしても。笑
 
 
 
 
 
 

●ホンモノ=完璧な線対称、完全性、ではない。

Japanese Kintsugi-technique
Kin-tsugi technique of gold reinforcement (1) (Daibo-san’s cup shot by Kay Koyama)

「ホンモノ」の基準はその人の美意識に根差したとても主観性の強い基準です。

ともすると、ホンモノ=完全なる線対称の制作物や、古くから「王道」扱いされてきたもの(西洋画やクラシック音楽など)と思われそうですが、完成したのちにわざと切れ目やひびをいれてみたり、割ってみたり、不協和音をいれてみたりする表現者もいます。

日本の「金つぎ(Kin-tsugi gold reinforcement method)」の技術などは、「かけた茶碗、茶器」に漆や金を継ぎ足して補強することで別の芸術的な価値を付加しています。

Kin-tsugi technique of gold reinforcement (2) (Daibo-san’s cup shot by Kay Koyama) 伝説の南青山名店「大坊珈琲店」のカップ

本来であれば、「かけて不足しているから捨てる」ものですが、昔の茶人たちは価値ある茶碗がかけて不完全になったことに新たな価値を見出し、そこに視覚的にも美しい金を丁寧に継ぎ足して再生させました。私の昨今の自分の人生テーマである「reborn」です。笑 

(最近、どこかでだれかも「リボーン」と言ってるのを聴いた気が・・・。だれだったかな?同じこと言ってる!、と共感しましたね)

Kin-tsugi technique (1) (Daibo-san’s cup shot by Kay Koyama )

「繊細な茶器はいずれ割れるものである。ものごとは移ろいやすく、そのものの形を永久にとどめているものはおらず、よって、茶碗に金を継ぎ足すことで再生させることは、新たな価値をものとごに付加する象徴である」

そんな美意識のもとに、金つぎはうまれたんじゃないかな、と私は想像しますね。丁寧に金つぎされている茶碗やカップ、お皿などをみかけると、ついつい「拝見(はいけん)」してしまいます。

小山ケイの「ホンモノ講座」、まだまだつづきます。
 


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