感覚(feeling)を大切にしよう!英会話の上達、地頭の良い人、ビジネス、すべてにおいて、アタマと感覚は両輪です。

今日の記事では、母校の青学から単位をもって米国オレゴン大学へ編入学して卒業し、15年以上に渡って「サステナビリティ・ESG・気候変動」などに特化した専門翻訳会社を経営しながら再び青学(大学院)へ戻ってMBA(修士号)を取得した私・小山ケイが、「みどりの週間」の英語訳について書いていきます。

(おかげさまで、一日に1,000PV前後読んでいただけるブログに成長しました。このブログを推奨してくださったかたもいらっしゃいます。ありがとうございます!)

<もくじ>
●義務教育で英語の授業を数年受けても英会話ができないのは、アタマ重視の教育のつけだと思います。
●私の感覚とアタマがどんなふうに連動しているのか。英会話を例に。

 

(ブログの記事内に掲載の写真はすべて、私・小山ケイの撮影によるものです)

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しばらくこのブログでは、私のライフワークともいえる、「感覚(feeling)とアタマ(顕在意識や左脳)の関係と相乗効果」についてとりあげます。今日は「英会話」でアタマと感覚がどう相乗効果を発揮するのか、私の実体験にもとづいて書いていこうと思います。

 

(執筆や翻訳のご依頼は、郵送にてご連絡ください。107-0052 東京都港区赤坂5-5-9 1F MBE114 小山ケイ。eメールやSNSなどでのご依頼は現在、お受けしておりません)

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このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日の記事は英会話の上達方法などについて書いた「英語(潜在意識を味方につけて)」のカテゴリーで書きます。下の記事もどうぞ。↓↓↓

●義務教育で英語の授業を数年受けても英会話ができないのは、アタマ重視の教育のつけだと思います。

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英語の文法が理解できたり、英語の文章構造をアカデミックなレベルで理解・分析・数値化・説明できることはたしかにすばらしいです。そのかたの得意分野・特技のひとつでしょう。けれど、これが「英語」という科目として考えると偏りがあります。

なぜなら、英会話は私がこのブログで何度も書いているように、「感覚(feeling)」をおおいによりどころとするからです。

ネイティブの発音と自分の発音の違いを感じ取ったり、よく使われる言い回しを感じ取ったり、自分の発した「英語」に対して表される相手の反応を感じ取ったり、いま耳にした英単語は、自分の記憶の引き出しにいれてある「ここらへん」の言葉と同じなんだろうな、となんとなく感じてみたり。

英会話で「感覚」が大切なのは、ネイティブも感覚を頼りに赤ん坊の時から言葉を習得するからです。赤ん坊の時から「SVO」なんて勉強しているわけじゃない。

英語とは、言葉です。そして言葉とは、人の感覚をよりどころとして使われる「道具」。何語であってもこれはかわりません。

いまになってようやく、日本の教育にかかわるお役人さんたちも「こりゃいかん」となにやら大学入試に英会話を取り入れるそうですが、日本の構造自体が「アタマ重視。アタマ偏重人間の重視」である限り、英会話をはじめとする外国語の会話が流ちょうにできる人はなかなか増えないと思います。

「バカ・ハゲ」と秘書に言ったとする政治家がすこしまえに問題視されましたよね。このかたは「アタマ」はむちゃくちゃいいかたです。肩書・経歴がすごい。でも私の「感覚」からすると、めったにあえない人に「ごぶさたしてすみません」「いつも感謝しています。ありがとうございます」とあいさつできる機会(たとえば、年賀状を送る年始)も秘書任せにする「感覚」が理解できません。「バカ・ハゲ」と言い放つ「感覚」以上に。「忙し人だからしょうがなかったんだよ」なんて言ってる芸能人がいましたが、忙しくても毎年千通以上もの年賀状をご自分で手書きで出してらっしゃる売れっ子芸能人のかたもおられますよね。私の記憶違いでなければ。「ありがとうございます」と。要するに彼女にとって年賀状は虚礼なんだな、と私は理解しましただったら送らなきゃいいのに)。

感覚を大切にする、というと今の時代、なんだかとても「後退化している」ように思われるようです。たぶん人間の「第六感」が後退化したことと、一大イベントである「大学受験」が「アタマ」を問われる内容が多いことと、先進国全体が「左側の脳みそを使う仕事が多い」ことなどが原因だと思います。

 

●私の感覚とアタマがどんなふうに連動しているのか。英会話を例に。

英語のネイティブであっても、私が話を聞いたり文章を読んだりして、「あれ、それってへんじゃないの?」と思うことはあります。おおいに。笑

たとえば、二重否定が使われたり(double negation)、三人称単数にまるで一人称みたいに「don’t」が使われたり。ロック歌手の歌詞なんてそうですよね。「I ain’t nothing」だの「She don’t」なんて。

でもたとえば、これを日本語で置き換えた時、日本語会話でも「へんちくりんな使い方」はされてることに気づきます。「すごいきれい」だの「全然オッケー」だの。私でもいっちゃいます。ひとつしか列挙しないのに「~とか」とか(ほら。笑)

その言語を生まれた時から話すネイティブの感覚からすると、それらはかっこよく響いたり、効率的だったりするのだと思います。まさに「口語」です。

すこしまえに私は、「そういうものなんだ、と頭をからっぽにしてやりつづけると、習得できることは多い。数学(の計算式)もしかり、英会話もしかり」とこのブログで書きました。英会話をはじめとする語学は理屈よりも、「そういうものなんだ」という感覚が大切です。

Louis Thomlinson

私も英語は義務教育で習い始めました。でも、文法の勉強という「アタマ」の理解ができるようになったのは、感覚による「英会話」がだいぶできるようになってからだったと記憶しています。仮定法過去だの現在だのの授業はたしか、あやふやだったような。

「文法はトリセツである。ある程度のレベルになると、そのトリセツが生きてくる」とも私はこのブログで書きました。だから、「感覚」である「英会話」だけができてもあるところで頭打ちになります。YouTubeで「(英語圏のネイティブ向けに)文法を教えます」なんて英語の広告動画が入ってきませんか?まともに仕事をしたり、海外の取引先と英語でやり取りする際、正しい文法や知的な言い回しは必須です。

英語を話しているときの私は、英文法がどうとか、とアタマを使って考えたりはしていません。自分の潜在意識に落とし込んだ無意識の領域から言葉を選び出して発しています。

けれど、ときにはアタマもつかっています。格言や慣用句、ことわざでふさわしい言い回しが「自分の引き出しのどこかにあった」と記憶していれば、それらを手繰り寄せるときです。

あるいは相手の英語を聞いて、難しい内容だったりしたとき。

日本語を話すときもまったくおなじです。難しい言葉(というか、専門用語)を言わなくてはいけないとき、それが正しい日本語だったかどうか考えたり、使い方として正しいかどうか考えたり。

「本当は誤解ですが、いまとなってはそれが常識として使われています」なんて日本語がときどき、取りざたされますよね。言葉ってホント、いきものだなぁ、とあれをみるたびに思います。

言葉はアタマだけではうまく行きません。感覚も大切にする。

私が思うにその時のキーワードは、「アバウトさ、数値化できないもの、五感」ではないかと思います。

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