今日の記事では、英会話をモチーフに、「外国語を話す」ということについて私が気づいたことについて書いています。
昨日は下の記事を書きました。
●英語(外国語)を話すときに、相手と波長を合わせていると、英語をちゃんと話している自分に気づきました。
いまはそれなりに英語を話している私ですが、あらためて、「英語という外国語を話しているときって、私はどういう状態なんだろう」と考えてみました。
先日、ちょうどよい体験をしたのでお話します。
JR山手線に乗っていたときのこと。
山手線はもはや、半数近くが外国人の利用客だったりしますので、ときおり話しかけられたり、私のほうから話しかけたりします。
その日は平日の昼間でした。
浜松町付近から品川へ向かう車内で、めずらしくがらがらだったので、私のとなりは空席でそのとなりに座るビジネスパーソンとおぼしき初老の白人男性がスマホを片手に遠くの路線図を見比べているのが分かりました。
その様子から、路線が合っているのかどうか確認していることがうかがえます。
見知らぬ人に話しかけるのはなに人であってもやっぱり、勇気がいることですが、私も旅先で現地の人から自発的に道を教えてもらったりするとありがたく感じるので、もしかして日本語はぺらぺらの人かもしれない、とは思いつつ、英語で話しかけてみました。
“Where would you like to go?”ひとつ空席を挟んでいたせいか、初老の男性は反応しません。
英語圏の人ではなかったのかも、よけいなお世話だった?、とあれこれ浮かんできた矢先、男性がようやく気付いて“Tamachi station”と言いました。
言い方や雰囲気としては、厳格な部長タイプ。
まちがっても気さくに”What’s up?”などとは言いそうにありません。笑
私とは若干、毛色が違うタイプかなぁ、と一瞬、身構えたのですが、そのとき私の中では無意識に彼の波長に合わせて英語を話すスイッチが入っていました。
目線の合わせ方、田町駅が次であることを伝えながら、手(というか人差し指なのですが)を「次」と振るしぐさ、笑顔など。
男性も軽く笑顔で”Thank you”と答えてくれました。
ああ、そう、この感覚。
アメリカに留学生として在住していたころも、こんな感じで話していたのを思い出しました。
うまく説明できないのですが、日本語の会話と同じなのです。
相手と会話をするときに、相手の波長を無意識に確かめて、それに合わせる感じ。
頭で考えると、文法をこねくり回したり、こないだ覚えたばかりの言葉を使おうとしたり(笑)しますが、そうではない。
文法は間違っているときもあるはずなのですが、意思の疎通を図ろう、という試みと意志、とでも表現したらよいでしょうか。
たとえば日本語でも、私がばりばりの若者と話す必要があるとき、意思の疎通を図ろうとします。
若者言葉を使われれば聞き返したり、相手にも意思の疎通を図ろうという意志が見えるのであればなおさら、共通の波長を作り出そうと私も試みます。
それと、同じ。
もしかしたら、外国語を話すという点ではここに到達するまでが私も時間がかかったのかもしれませんが、
(すいません、遠い過去なのでうろ覚えです・・・)
分からない言葉がでてきたときに聞き返すような、必要最低限の言葉を覚えておけば、あとは実地で「外国語を話す」感覚がつかめてきます。
語学のOJTみたいなもの。
たとえば英語であれば。
★What?
★I’m sorry?
★You mean なんとかかんとか。
★Could you say one more time, please?
私は後天性スピーカーですので、はじめのうちはもちろん、意識的に単語やいいまわしを何度も何度も繰り返して覚えていきましたが、指数関数の「ぐっ」と曲線が上がるような成果が大きく出るころには、文法や慣用句なんて考えてませんし(というか、無意識に言葉がでてくる)それよりも、相手の表情や言い方、言葉遣いなどに注意がすっかり向くようになりました。
私が英語を話しているときに脳みそのどの部分がよく使われているか、研究者のかたにみてもらいたいですね。
帰国子女などは、ネイティブと同じ部分が使われている、と以前、テレビのドキュメンタリーで観た記憶があります。
●波長を合わせるから、会話になっていく。
私も大昔に留学したころは本当に苦労しました。
相手が外国人慣れしているベテランではなく、外国人と話すのは初めてのようなこないだアメリカの地方の高校を卒業したような子ばかりだったからです。
こちらが話しかけても、なんだか身構えている。笑
悪いこと聞いちゃったのかなぁ、ととても悩みました。
その点、救いだったのが、日本人をはじめとする外国人と話すことに慣れているアメリカ人の同級生がいてくれたので、彼に相談することができました。
(以下、英語)
私:「なんか、寮の子たちに話しかけても通じてない気がする。きょとんとしたり、会話として返ってこないし、会話がどうにもつづかなくって悩んでる・・・」
友達:「どんな感じなの?たとえば」
私:「私が『ハロー』って言うでしょ(右手でくちばしのジェスチャー)」
友:「うん」
私:「そして、『楽器やってるの?いつも部屋でフルートを吹いてるでしょ?って言うの」
友:「うんうん。それから」
私:「音楽学部を専攻するの?って聞いたのね(再び、右手でくちばしのジェスチャー)」
友:「ふむ」
私:「でも、『そう』って言っておわり」
友:「へぇ。他の人にはどんな感じ?」
私:「寮にもうひとり、日本人の子がいるんだけど、彼女は英語が流ちょうなのね。で、彼女とはすごく親しそうに話してる。なんなんだろう。私の聞き方が悪かったのかなぁ」
友:「ははぁ、それは単に外国人と話すことに慣れてないだけだよ。ケイがどうとかってことじゃなくて。大丈夫大丈夫」
いま振り返ると、たしかにそうだとわかります。私も留学したばかりで、英語という外国語を話すことにあっぷあっぷしていました。
だから、話しかけた相手の波長を確かめる、なんて余裕はみじんもない。
そんな外国人を前にして、こないだ高校を卒業したばかりの若い子が戸惑うのも無理はありません。
私だって高校を卒業したばかりのころは自分自分、で自分のことで手一杯でしたから。
このブログで何度か申し上げていることですが、語学の勉強はあらゆることを同時にこつこつとやってこそ成果を上げていきます。
だから、会話ももちろん、文法や慣用句、英単語、よく使われる言い回しを覚えていく必要があるのですが、それと同時に、相手と波長を合わせる、という努力を意識的に行っていくことも重要です。
それが、会話の基本だから。
何語であっても。
語学を習いたてのころは、ともすると自分の言いたいことだけを言っておわってしまいますよね。でも、外国語で会話をすることのだいご味はやっぱり、相手と意志の疎通が図れるということ。
相手を大切に思い、相手が何を言いたいと思っているのかじっくりと耳を傾け、そして適切な相槌や質問を投げかける。
必死にそれをOJTで繰り返していると、アタマではなく感覚で話すときが来ますよ。
こつこつと継続していると。