今日の記事では、10年以上もまえ、私の知り合いでキャッシュフローゲームにはまって起業した男のエピソードについて書いています。
昨日は下の記事を書きました。
●とつぜん思い出したこと。10年以上もまえにロバート・キヨサキさんにはまった、知り合いの男のこと。
さいきんすっかり世情にうとくなったせいか、
ロバート・キヨサキさんはもう
「過去の人」だと思っていた私は
書店やネットのブログなどで、
キヨサキさんをみかけて驚きました。
ロングヒッターですね。
私が氏の「金持ち父さん貧乏父さん」を
読んだのは、もうかれこれ20年近くまえです。
当時、私のまわりでは、
氏に触発されて、
雨後の竹の子のように
キャッシュフローゲームが
あちこちで開催されていました。
今日はこのときのことにからめて
記事を書きます。
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私の知り合いの幾人もが
キャッシュフローゲームを
自主的に開催していました。
幹事ってやつです。
私も何度か誘われましたが、
無料じゃないので断りました(爆)。
御呼ばれだったら顔ぐらいみせようか
とおもっていたのですが。
ロバート・キヨサキさんの本は
本当におもしろくて、
エンタメとして一気に読みましたが、
キャッシュフローゲームは
ねこもしゃくしも、だったので
私は様子見していた感じです。
で、そのうちのひとりが、
某東証一部上場の大手製造メーカー勤務の
会社員だった。
超名門大学を卒業していて
おもしろい男でしたが、
リーマンという自分や仕事に
嫌気がさしていたのか、
なにやら副業として
キャッシュフローゲームをやたら開催していた。
そしてついに、
同じく東証一部上場の食品会社の男を誘って
会社を作ってしまいました。
私にはじめて会社の作り方を教えてくれたは
なにをかくそう、彼でした(笑)。
法務局ではどんなふうに事務が行われるか、
ハンコはどうするか、
司法書士の人に頼むかどうか、
なんてもことも細かく教えてくれましたね。
でも肝心の業務内容は、なにしてんのか
よくわからない。
あれもこれも、で手をひろげている感じ。
「夢は大きく言っといたほうがいい」
「ラットレース」
「win-win」
「レバレッジ」
彼が好んでよく使っていた言葉です。
ふぅん、と思いながら聞いていましたが、
リーマン辞めないでやってるところが
変わってて面白かった。
でもうさんくささ(言い過ぎか?)、
というのか、
リーマンさんが面白半分でやってるのかな、
という私がいだいた印象を
ぬぐい去ることができなかった。
そして起業後1,2年たったころでしょうか、
やっぱり会社をたたんでしまいました。
共同出資者の若いリーマンさんも
東証一部の会社から転職したりで
おつきあいもなくなってしまったようでした。
たたんだ理由を聞くと、
「収益が得られないばかりか、
借金ばかりが増えていった、
人に利用されるだけ利用された、
たかられた」とのこと。
それ以上詳しくは聞きませんでしたが、
私が彼に対して感じていた
予感のようなものがやっぱり
的中していたのでした。
どんなところが
「こいつ、大丈夫か」と感じてしまったのか。
箇条書きにしましょう。
★どんぶり勘定
★「夢を語る」のはいいが、
数字の勉強を徹底的にしていない。
★こまごまとしたことに向き合って
丁寧にこなしていくことを
どこか、小ばかにしている。
(だからこそ、リーマンである
自分を嫌っていたのかもしれません)
★著名人をやたら盲信(worship)している。
(いや、キヨサキさんはすごい人だと
私も思いますが、なんだか完全によりかかってる
かんじで自分オリジナルの判断基準が
欠落しているかんじでした。
あと、当時よくはやった
ある著名人のことも
盲信してましたね)
★話がすべて、自分中心。
いいたい放題ですね、私(大笑)。
●こういう人たちの話を聞いたり書くものを読んだりしていて感じること。
お金は大切です。
そして、私もお金が大好きです。
お金があればおいしいものをいただけます。
そして、とつぜんの災害に見舞われて
大変な思いをしているかたたちに対して
たくさんの寄付金がすぐに出せる。
「必要なところにどうぞ、使ってください」
と気前よく、見返りなんかもちろん
求めたりせずに。
でも、私の知り合いを含めてキャッシュフローゲームを開催したり「ラットレース」「搾取する側」などの言葉を好んで使う人間(男に多いですね)を見ていて感じるのは、他人を将棋の駒のごとくに動かして自分は巨額の富を簡単に手に入れよう、というような発想。
自分は鞭を振り回して指揮を執って、ほかの人にうんと働かせる。奴隷のごとく。
どこか、「自分が搾取するがわで、(能力がない)他人にラットレースをさせる」みたいなものいいをする。上から目線というのか、他人への愛情をかんじないというのか、とにかくなんか違和感があるのです。話していて。まるで自分が世界の支配者みたいなものいい。
おい、大丈夫か、と思います。
やたら「win-win」なる言葉を使うわりにこちらに仕事を紹介してきたことはない。笑 win-winの基本は、Give & take。Take & give じゃない。Giveがさいしょ。
だからまずは、死ぬ気で人に仕事や人を紹介しまくることがwin-win信望者のすることだと私はおもったのですが。
さっき書いた上記の知り合いから私は仕事も人も紹介されたことはありません。それを廃業後の彼に言ってみたところ、となりで話を聞いていた奥さんが楽しそうに笑っていました。彼も照れ臭そうにしてましたね。
いつも額に汗して働け、とはいいませんが、時と場合によっては自分自身が「労働」をしなければならないときもある。なぜかしらないけど天がそうしなさい、と提示してくるのだから。
本人にそのつもりがないとしても「労働」をどこか苦役か能力のない人間のすること、みたいな響きを含ませて言うとしたら聴いているほうは正直、うんざりします。
なんか尊大でうさんくさい。
おそらくそれが、知り合いの男に対して私が一番感じた反発だったのだと思います。
●働くことは尊い。
以前私は、土地持ちのうちに生まれたお金持ちの友人について書きました。
老舗カフェで数年間レジをした以外は、仕事らしい仕事はこれまでしたことがないという彼女。
そういう立場でうまれてくる人がいる一方、私を含めてまずは働かないことにはご飯をたべたり税金を払ったり年金保険料を払ったりができなくなります。
会社員の友人のひとりは「ごはんが食べられなくなるから会社員をしている」と言いました。
働くことは尊いです。
いろんな働き方がありますが、たとえば町中で働いている人をみているとついそのかたたちの生活や人生に想いを寄せて物語を作ったりしてしまいます。
お仲間だな、と思いながら。
コンビニで働いている店員さん、
工事現場で歩行者を誘導しているかた、
花屋の店員さん、
居酒屋の店員さん、
商店街に出荷している農家のかた、
警察署のまえで立っている警察官、
交通機関の運転手さんや駅員さん、
商業施設のハウスマヌカンさん(死語?)、
化粧品売り場の美容部員さん。
もちろん、数え上げたらきりがありがありませんが、働いてくれる人がいるから、私もどこかへ移動したりおいしいものをいただけたり、化粧品を試したり、気に入った洋服を試着したり治安の良さを感じながら歩いたりできる。
このかたたちがいてくださらなかったら私はなにひとつ、自分だけではすることができない。
自分も誰かの役に立ってるんだろうか、ちゃんと。
そんなことを思いながら自分の仕事と向き合うと気持ちが引き締まります。
まずは人生、生きるごとにひと様の役に立ってなんぼ。巨額の富を得るためにテコの原理(leverage) でどうとか、というのはそのずっと先の話だと私は思います。