海外移住・長期滞在するならぜひ、easy-goingなスピリットで!

昨日は、イージーゴーイングの良さは万国共通であるということについて書きました。今日は、海外移住・長期滞在するかたならぜひ、easy-goingのスピリットでいてほしい、ということについて書いています。昨日の記事は下からご覧になれます。

●海外で住む際、easy-goingなひとほどいいことがたくさんありますよ。

 

母国語が通じない海外に物心ついてから住む際、easy-goingであればあるほど適用しやすい、ということは私の実体験から学びました。

うまれてからずっと使い続けてきた母国語がまったく通じず、さらに物心ついてから外国語を使って海外で住む、というのはさまざまに苦労を背負います。言葉の問題、文化の問題、食べ物の問題などなど。

昨日の記事で「人間は大まかに分けて4つのグループに分けられる」と述べました。easy-going派はそのひとつですが、海外で人生を豊かに幸せに過ごすのは、ほかの3つのグループよりもeasy-going派が圧倒的です。

理由を見ていきます。

1)日本食やこれまで慣れ親しんだ食生活を送れなくても、現地で利用できる食べ物を楽しめる(「流れに身を任せる」)。

2)母国語でないからこそ、現地の人たちの話に耳を傾けようとする。それゆえに、現地の人たちから「聞き上手」だと思ってもらえて、何かと助けてもらえる。

3)大変な中でも、できるだけ楽しいことや幸せを見つけようとするのがeasy-going派なので、結果、良いことが引き寄せられたり、よいことに自然と意識が向くようになる。

4)言葉や文化が違ううえに、自分のほうが「外国人」であるがゆえに、「自分、自分」ではなく、まずは現地の言葉や文化に慣れようとする。自分が受け入れられるものを見つけようという、「相手との接点を見つける」ことに意識が向く。

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物心ついてから言葉も文化も違う土地に住むのは大変です。カルチャーショックの連続ですし、旅行者の言葉とは違い、生活者としての言葉は生活そのもの。生活するために言葉を介在に意思の疎通を図らなくてはなりません。役所や学校などの手続きなどもある。

「自分」つまり、自分の文化や母国語にこだわっていては、当然ながら現地で暮らしていくのは苦労が伴います。現地の言葉をまわりのどなたかが流暢に話されるなら別ですが。

 

さらに、理屈っぽく理詰めで物事を解決しようにも、言葉が母国語ではないのですから、そこでも苦労が伴います。自分の論理性を表現しようにもその手段となる「言葉」をまだ身につけていないのですから、理詰め派はここでかなり葛藤を抱えるのではないかな。

計算高く行動する人は、うまく立ち回りして現地の権力者を利用しようとするかもしれない。でも母国とは違い、「外国人」として計算高く行動する人って、言葉ができない分、なんだか信用ならない人間に見えなくもない。どうですか?

もちろん、これらの前提はすべて、「はじめての海外生活が物心ついてから。しかも現地の言葉にそれほど精通しているわけではない。ネイティブや帰国子女とは違って」です。

これらをよく考えてみると、やはり、海外移住したり長期滞在するときは、easy-goingであるほうが、得るものも多いし、現地の人ともうまくいきやすい、ということが見えてくるかと思います。

●カルチャーショックというくせもの。

「地球が小さくなった」と言われたり、SNSやYouTube動画などで、海外の人たちの表現するものを日常的に見ることができる時代になりました。

とはいえ、その海外に実際に住むのと、見識として知っているのとでは、まったく別物です。

カルチャーショックはくせもので、実際に経験してみないことにはなかなか想像できないと思います。

以前私は自分の留学体験について別カテゴリ「留学の思い出」ででも書きました。そこでも触れたのですが、自分が生まれてから「よし」とされてきたことが完全に否定されたりすることもあります。それがカルチャーショック。

米国であれば、すれ違うさいに見知らぬ人ともなぜか「アイコンタクトをしっかりとって笑みを交わす」。コンビニの兄ちゃん姉ちゃんにもしっかりとあいさつする。入店時に。それをしなかったばかりに私などは彼らにおもいっきり無視されました。

日本ではコンビニの兄ちゃん姉ちゃんのほうが客を無視したりアイコンタクトとらなかったりするというのに。笑

出しゃばらずに、おとなしく控えめにしていることは、「悪い人間」と受け取られる。でしゃばるくらいに何かを言う人間のほうが「いい人扱い」されたり。

長年にわたって「よし」とされてきた価値観や判断基準という文化が否定されるのは、自分が根柢から覆される一大事ですから、体調崩したりもします。

私が留学していたときは、途中帰国したひともいます。それほど、カルチャーショックはしばらくは立ち直れない大ごとだと私は経験から知りましたね。

けれど、こういうときもeasy-goingで突き進まなければならない。「くそっ溶け込んでやる」というハングリー精神とともに。

くやしくてくやしくて涙が自然と出ることもあります。でも、「ここにきて住む」と決めたのは自分。だから、ずぶとい根性で何事も楽しめる人が、最後には現地の言葉を流暢にあやつりながら現地の文化を理解しながら自分の文化を捨てることなく、たくましく生きていかれるのだと思います。