くたびれるほど、練習する(プレゼン、発表会、競技会)。Practice, practice, practice.

今日の記事は、今年1月1日に書いた下の記事のなかから、「くたびれるほど、練習する」をとりあげて詳しく書いていきます。









●くたびれるほど、練習する。なにごとにおいても。

新宿の空

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今年の箱根駅伝は、我が母校青山学院が5度目の総合優勝をはたしました。1度負けた彼らにとってのキーワードはたくさんあったと思いますが、なかでも「練習をさらに積んだ」と言っている選手がいたことに私はとても共感を覚えました。

あらゆることは練習を要します。なにごとにおいても。

そして多くの場合、練習を積むほどに、結果が付いてきます。ゆくゆくは豊かさであったり幸せであったりにもつながっていく。

練習が必要なことはたとえばこんなことです。

★マラソン

★語学

★楽器の演奏

★プレゼン

★会議

★発表会

★競技会

★車の運転

★水泳

★かなり複雑な道順のところへ始めていくとき。

★「難しい」と評判の人と初めて対面するとき。

サントリーホール

もちろん、それぞれの「練習内容」はさまざまです。けれど、練習することによってアスリートであれば強靭な肉体と精神が得られ、楽器の演奏者であればどんな譜面にも対応できる技術力と表現力が身につきやすくなります。

プレゼンや発表会、競技会など、人前でなにかするものの「練習」は、緊張感を「自信」へとつなげてくれます。語学の会話の練習であれば、反復練習によって言葉が脳みそに定着しやすくなります。

持って生まれた才能や能力というものはもちろん、あります。けれど、それをさらに伸ばしたり、思わぬ力を引き出してくれるのも「練習」なのです。




●持って生まれた能力をさらに伸ばすもの=「練習」

サントリーホール

青学チームのようなアスリートや相撲の関取などを見ていても、天性のものを持って生まれてきた人がいることはよく分かります。だからもちろん、一人一人がたとえ同じ練習量をこなしても、差が出ることもある。これは致し方ないことです。得意不得意もありますし。

でも、もともと才能や素質があるといわれている人や人より得意とする分野がある人が人一倍練習すれば、それらは開花しやすくなります。そういう人を私は何人も見てきました。成果を出している著名な人のなかにもいわゆる「努力家」と言われてものすごい練習量をこなす人たちがいますよね。

練習はたしかにきついです。

★どんどん負荷をかけていくことだから。

★同じことを飽きるくらい、何度も何度もすることだから。

★自分がひっかかってしまうことに何度も挑戦することだから。

★さまざまな欲求がある自分とのたたかいだから。

青山学院




私が青学でオーケストラ部の部員だったときに、地味な基礎練習を来る日も来る日も鏡の前で繰り返した話は以前、このブログで書きました。

練習用のばちを持ってメトロノームに合わせて練習台をひたすら打ち付ける。何度も何度も。鏡の前でパートの先輩や後輩、仲間たちと一緒に。

アスリートも同じだと思います。彼らはさらに肉体を酷使しますから、体への負担もあるでしょう。文字通り「きつい」

華やかな雰囲気があるわけでも歓声を上げてくれる観客がいるわけでもない。ひたすら自分と向きあって同じことを何度も繰り返している練習の時間は、ともすると「つまらなく」なるのです。

英会話をはじめとする語学も同じです。地味な音読という練習を繰り返すから「つまらない」。だから継続して練習できる人が少なくなるのだと思います。

でも、人より少しでも得意だと感じたり、小さいときからよく褒めらたような点は、練習を積むことで抜きんでた才能となることが多いです。つまり、よく言われる「素質」ということ。練習は素質ある人間に、必要な筋肉をつけてくれたり、正確さをもたらしてくれたり、強靭な精神と自信をもたらしてくたり、大きな喜びをもたらしてくれたりします。

サントリーホール天井

「素質ある人間が練習によってさらに才能を開花させる理由」

★生まれ持った素質が生かせるような「コツ」が分かってくる。

★ほとんど失敗しなくなる。

★才能がぶれなくなる(打率で言えば3割以上。ビジネスで言えばサンミツ以上。笑)。

★スタート地点からすでに「持っている」のだから、それがさらに鍛えられる。

★人よりは出来ているから、練習が苦にならなくなる。

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