今日は1月1日に書いた記事から、「『ない』ではなく『ある』ものを数える」ということについて書いていきます。
1月1日の記事は下からごらんになれます。
(我が母校青山学院の駅伝チームOB森田くん、下田くん、一色くん、林くん等々が就職したGMO社です!私がひそかに応援してきた島貫温太くん(帝京大)もGMOチームへの参加が決まりました!やった。実業団からも目が離せなくなります)
●「ない」ではなく「ある」ものを数える。幸せで、豊かな人生を送る秘訣。
[the_ad id=”11588″]
私もついつい「ないもの」を数えてしまいがちですが、よく言われるように、幸せに豊かに生きる基本は「あるものを数える」です。
いまあるものに意識を向けることで、その「あるもの」を使ってどんなことができるか、ひらめくことがあります。
「ないものではなくあるものを数えるのは、自分がいかに幸せか、わかるため」ともよく言われますが、人間、それほど悟ってばかりもいられません。笑
これまで長年生きてきた私の経験として、「あるもの」を数える利点は、「自分が良い方向に『行動しやすくなる』ということだと思います。たしかに天からたくさんの恩恵を受けているということは事実なのですが(宗教家はそうおっしゃるはずです)、自分がいこじになっているときはそれすらも信じられないのです。
さらに、超自然現象でお金がボンと目の前に突然現れたり、知らない間に銀行口座に1億円が振り込まれるためでもない(自分が宝くじに当たってそのための手続きを取っているのでもなければ。もっと言えば、宝くじを買っているのでもなければ)。
平均台に上って、「落ちる(無い)ことを想像するのではなく、「うまくいく(有)」ことを想像すれば本当にうまく行くのと同じ原理です。
だからとことん、利己主義で、実利主義で。「あるものを数えるのは、自分が良い方向に向かってどんどん行動していくため」。
落ち込んだときはぜひ、「あるものを数えて良い方向に行動していく」と唱えてみてください。
★健康が「ある」。アレルギーもなし、花粉症もなし。→ 医療費がかからない。薬代がかからない。保険料もかからない。治験ボランティアに参加できる。行きたいところに動ける。先の計画(ビジネス)が立てられる。いつでも動き回れる(季節に振り回されることなく)。営業活動の一環として取引先に出向くこともできる。おいしいものがいただける。なんでも食べられる。人や企業が「くれる」という食べ物をなんでもいただける(アレルギーがないので)。
「私には健康がある。どんなことができるだろうか」
★文明の利器を理解できる能力がある。笑 → スマホがいじれる。PCがいじれる。家にいながらにして「世界」につながれる。楽しみが増える。人生にいろどりができる。
「私には文明の利器を理解できる能力がある。どんなことができるだろうか」
★雨露しのげる家がある(自己所有、借家にかかわらず)→ 健康を維持できる(寒さや暑さに影響をうけづらいので)。プライバシーが守られる。自分の砦があるという安心感がある。暖かいごはんを作ることができる。ゆっくりできる場所がある。ゆっくり瞑想したりビジネスの構想を練ったりできる場所がある。
★近くに気軽に行ける温泉がある(循環、かけ湯にかかわらず)。→ いつでも体の芯から温められる場所がある。体の芯をあたためることは健康の基本。さらに健康になれる。暖かいお湯の中で、ゆったりと、手足を伸ばせる場所がある。お肌がきれいになる。もろもろの病気の予防になったり未病を防いだりできる。
「私には気軽に行ける温泉がある。どんなことができるだろうか」
★しっかりとした足腰がある。→ 少しの負荷にも耐えられる(混みあう電車でも立っていられる。駅でエスカレーターやエレベーターの工事中にも階段で容易に改札まで移動できる。悪天候や歴史的な自然災害の際も、自分の脚で歩いて移動したり避難したりできる。命を守れる。どこでも歩けるので長寿につながる。
「私にはしっかりとした足腰がある。どんなことができるだろうか」
★基本は前向きで明るい性格がある。→ 少しのことではへこたれない。悪いと思われることも「学び(人生ドリル)」に変えてしまう。ささいなことも楽しめる。友人たちとのやりとりも大切にできる。
「私には前向きで明るい性格がある。どんなことができるだろうか」
●「コップに残った半分の水」
よく、コップに半分に水が入っていて、それを見て「もう半分しかない」と思うか「まだ半分もある」と思えるか、と問うことがありますよね。
あなたはどちらですか?
いろいろなことをひらめいて行動できるひとは間違いなく、「まだ半分もある」と思える人だと思います。「半分」あるものに対して、ネガティブな感情を抱くのか、ポジティブな感情を抱くのか。
さらにいうと、とにかく行動力がすごくてなんでも結果に結びつけてしまう能力のある人は、コップの水が「残り1ミリリットル」でも「まだある」と思えるひとだ、と私は経験上思います。
そういうかたたちにとってきっと「どん底」や「最悪の地点」はもっともっと下のほうで、「たった数ミリリットルの水」はずっとましなのでしょう。
言い換えると、自分にはまだリソースがあると思えるか、あるいはもうない、と思うのか。それが、人の行動力やモチベーション、ひらめきに影響を与えるのかもしれません。
[the_ad id=”11588″]