今日は、「挫折」が財産であるということについて書いています。
前回このカテゴリー「徒然なるままにひぐらし。」では、下の記事を書きました。
(我が母校青山学院の駅伝チームOB森田くん、下田くん、一色くん、林くん等々が就職したGMO社です!私がひそかに応援してきた島貫温太くん(帝京大)もGMOチームへの参加が決まりました!やった。実業団からも目が離せなくなります)
挫折こそ、自分を成長させてくれる肥料。
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このブログで以前、「悔しい、という気持ちは心の貴重な燃料です」と書きました。挫折も悔しさと同じく、あなたや私の魂にとって大切な燃料です。
挫折は若いうちにうんと味わうのがいい。そのすべてが肥やしとなってくれるからです。私の実体験からつくづくそう、思います。
小さいときから物事がとんとん拍子で行ってしまう人の中には、突然の挫折に打ちのめされたり、あるいはうまく行きすぎることにかえって不安を抱えるようになる人もいます。30歳ぐらいで「もうなにをしたらいいかわからない」というエリートもいる。
私の長年の恒例行事(?)である箱根駅伝観戦を先月2日3日としていて、我が母校青山学院の選手たちを見ていると、「負けを知った人間はいっそう強くなる」と心から思いました。そして、層が厚いがゆえのチーム内で補欠以下となる選手たちの挫折感と悔しさをばねにした活躍からもそれを感じました。
挫折には涙を伴うことも多いです。けれど、そのときに感じた挫折感によって、ものごとには叶うことと叶わないことがあるのだ、ということがまずわかる。だから、何かをやってみたいと自ら行動するときは「うまく行かないかもしれないけれど、でも挑戦してやろう」という新たな気持ちになれます。それにより、日々の基礎レンをさらに丁寧に、じっくり、やってみたり、自分を律してみたり。
若いときに挫折をたくさん味わうのがいい理由は、自分の持てるものが少ないからです。大きな成功体験も少ない、お金も少ない(笑)、人脈も少ない、社会的な影響力も信用も少ない。だからこそ、挫折から試行錯誤してみたり経験を積んだりできる。
ある程度社会で活躍するようになった人が突然味わう挫折のインパクトは若者の比じゃないです。「若いころはあんなにうまく行っていたのに」と虚無感にとらわれる人もいる。若者が挫折をばねにしてさらなる行動をとるのと比べると。
若いころにさんざん挫折感を味わった人は、少しのことではへこたれないです。私がそうなので。笑
●夢は叶うこともあれば叶わないこともある。だから、「うまく行ったらもうけもの」ぐらいで挑戦することを楽しめる。
20代から30代の初めにかけて、「映像の世界」をどうしてもあきらめきれず、シナリオコンクールに応募しつづけたことは私のプロフィールページにかいてある通りです。
10代のころから文章を書くことは大好きでしたが、あるときエッセイの書き方を習ってから「ものを書くおもしろさ」に私は一層ひきつけられました。米国大学でも必修科目であるWritingで、Nativeばかりのクラスのなかで自分の書いたものが良い例として取り上げられたりもしました。英語と日本語の違いはあれど、文章を書くことはやっぱり楽しかったです。それはもちろん、いまでも変わりません。
そんな私がシナリオの書き方を習って、実際にコンクールに応募してみると、とにかく大きな壁が立ちはだかる。才能あるライバルたちがたくさんいるのです。「あ、またこのかたが入賞されている」というご常連さんもおられましたし、「初めて書いた応募作です」というかたが入賞されたりしている。
寝る間も惜しんでシナリオを勉強して、実際に書いているのに、コンクールでは私は箸にも棒にもかからない。良くて最終選考どまり。挫折感が日増しに募りました。
「こんなに一生懸命やってるのに。後から書き始めている人たちが入賞するなんて」
今にして思うと、こんなことが原因だったんじゃないかな、と思います。私自身の勝手な想像ですが。
★才能の違い。
★経験(技術力)の違い。
一生懸命やったから成功するとは限らない。これはいろいろなことで言えます。スポーツにしても一生懸命練習したって、生まれ持った才能ある人が一生懸命練習していれば、その人のほうが自分よりもうんとうまく行く、ということはあります。これはいたしかたないことです。骨格とか体格も関係してくるかもしれない。
もちろん、シナリオライターでいえば「才能」の中には、観客の共感性を引き出せる力とか観客の目線と同じになれる力、人に対する目線の優しさ(あるいは鋭さもか?)、なども含まれます。「平凡な私が入賞しました」という受賞者のかたがおられれば、ご本人がおっしゃるその「平凡さ」が大きな魅力となる可能性はあります。見る側にとっては。
青学のビジネススクールに通っていたときも、「すごく面白い」と思った必修科目で私はゆいいつの「C」を取りました。Cを取ったのはこの科目だけです。Cは単位として認められるぎりぎりの成績。これもいい年こいてショックでしたね。さらに応用編(advancedとでもいえばいいのでしょうか)も取ってみたい、とすら思っていたほど、わたしには面白い授業でした。
でもそれ以上にショックだったのは、その科目に真摯に当たっていたにもかかかわらず、成績が振るわなかったこと。遅刻欠席は皆無で、予習復習もよくやっていました。でも若いころにさんざん挫折を味わっていた私は「これはしょうがない」と踏ん切りをつけることができました。アートや芸術のような「one and only」な独創性ある表現が認められる科目ではなく、数学の論理性にのっとった理数科目であり、私がそれほど得意とする分野ではなかったからです。数学の論理性は大好きなのですが・・・。
「経験の違い」もうまくいくかどうかを左右します。シナリオは書けば書くほど、まったく書かないよりもやっぱり上達します。セリフのリズム感とかシーンの設定とか、何度も書くうちに「こうしたほうがいい」とわかることがあります。あと10年、続けてたら私もどうかなってたかも・・・・笑。いやいや、それはなさそうかな。
(もっかの夢のひとつは、日本を代表する動画・映像プロデューサーになってお金集めしたり収益あげたりすることですね。製作総指揮もやりたい)
そのほかにも、小さいときからかずかずの挫折感を味わってきました。絵をかくのが大好きだったけれど、「クラスに」必ず自分より上手な子がいる。クラスに、です。学年に、とか、地域に、県内に、ではなく、クラスに。この「クラス」という小さな単位に。
ピアノも同じ。
でも中年のいま、あらためて振り返ると、こうした数々の挫折は私の大切な財産となっています。「まぁだめもとでやってみるか」といろいろなことに楽しく挑戦できているのは、それらの挫折という財産があるからです。うまく行ったらもうけもの、だと思ってますし。
若い子たちにはぜひ、うんと若いうちからたくさん、いろいろなことに挑戦してほしい。そして失敗しながら挫折を感じて、それを一生の宝としていってください。
お金じゃかえないのよ。挫折って。
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