⚫︎Panicky「パニくる」 ー小山ケイの「言葉の思い出」
数日前の記事で私は、「Finicky(気難しい)」という言葉は面白い。まるでPanickyみたい」と書きました。
私が米国大学に編入学したはるか大昔のこと。
私には米国人の友だちがいました。日本人の奥さんがいる男子学生(学生結婚)です。
当時のオレゴン大学には、”Coffee Hour”と呼ばれる、留学生と米国人学生が交流できる催し物がありました。週末の金曜日に1時間、校内の会議室のようなところで、学校から提供されるコーヒー片手にネットワーキングです。そこで知り合ったのが、そのMでした。
Mも私と同じで国際学部を専攻していたので、授業の話や日本のこと、アメリカのこと、さまざまなことを話すことが出来ました。そのときのことです。
「ねえケイ」
「なに?」
「こんどトレードしようよ」
「トレード?」
「そう。僕が英語を教えるから、ケイは僕に日本語を教える」
Mは日本語も勉強していました。
「いいけど、奥さんと日本語の勉強はしないの?」
「ワイフはダメ」
そしてMは言いました。
「あれはすぐPanickyになるから」
Panicky,
「僕の日本語がおかしいと、それはダメ!ってすぐ否定する。でもケイはちゃんと最後まで聞いてくれるから安心する。日本語を話しやすい」
それでいてお二人は仲がいい笑。
私は親子と同じで遠慮がなくなる夫婦というものの存在に不可思議さを感じながら、’)Panicky”という英語が私の潜在意識のなかにしっかりと沈んでいくのも同時に感じていたのでした。
⚫︎”Panicky”の発音。
1 パ(ここが一番、音程が高い)
2二
3 キー