“Mother”
今日の記事では、母校の青学から単位をもって米国オレゴン大学へ編入学して卒業し、15年以上に渡って「サステナビリティ・ESG・気候変動」などに特化した専門翻訳会社を経営しながら再び青学(大学院)へ戻ってMBA(修士号)を取得した私・小山ケイが、米国オレゴン大学に留学していたときの夏の思い出について書いていきます。
<もくじ>
●私を導いてくれた”Mother” – オレゴンの山中にて。<Oregonの思い出>Coyote in Oregon
●”Oregon Coast”の発音。
このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日の記記事は「留学の思い出 & Oregon」のカテゴリーで書きました。同じカテゴリーの過去記事は下からご覧になれます。
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●私を導いてくれた”Mother” Part 1 - オレゴンの山中にて。<Oregonの思い出>
(昨日の記事から続いています)
ほとんどパニックに陥っていた私は、コヨーテの声を聴いて、急いで車に乗り込みます。
どこをどう走ったのか。
今にして思うと、山中でありながら、牧場のような穀倉地帯のような景色を暗闇の中で見つけ、「人が住んでいる気配」を私は無意識に感じていたのだと思います。
誰か、ここがどこか知っている人にすがりたい。
5分か10分か。
暗闇の道を進んでいくと、遠くにポツン、と明かりが見えます。
それが人家であることに気づいた私は、すぐさま車をとめ、藁にもすがり思いでそのおうちの扉をトントントン、と叩きました。
LAにホームステイしたときの家がそうだったように、扉は網戸のようになっていて、中が少しだけ見えます。まるで、ご近所さんには「いつもでお越しください」と言っているかのような解放感。(ちなみに、ホームステイ先のホストファミリーは、ちかくへ出掛けるときはカギをかけたりはしませんでした。LA郊外でこの解放感はすごい、と当時10代の私はびっくりしたものです)
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「あら、めずらしい。こんな夜中にお客様よ」
中からお母さん(Mother)とおぼしき中年女性の明るい声が聞こえます。
網戸からうっすらとうかがえるのは、その女性と同世代のような白人男性と、小さな女の子二人がいる様子。
ここのおうち以外に私は人家を見つけることはできません。
(せっかく一家団欒でお休みしているところなのに・・・涙)
大いなる申し訳なさと焦りとなさけなさが混じった思いで、私は女性が出てきてくれるのを待ちました。
おそらくご近所さんか公共機関のひとだと思ったのかもしれません。
中から出てきた白人女性は、東洋人の小柄な女の子(かつての私。大笑)がひっそり、悲愴な面持ちで立っているのを「あれっ」と意外な表情で迎えてくれました。
「夜分に本当にごめんなさい。Eugene市から海岸へ出ようとしたのだけれど、道に迷ってしまって・・・」
泣きっつらの私は事情を説明します。
おうちの中では、ご主人とおぼしき白隠男性も、意外な来訪者に「あれぇ」と好奇心を抱えたような笑顔で私を観ています。そして、子どもたちも。
女性は私が困っていることをじっと聴いてくれたのちに、静かに説明してくれました。
「大丈夫よ。ここの道をずっと道なりに15分くらいいくと、大きな道に出るのね、それをさらに右に進むと、なだらかな道が続いて海岸に出られるから。海岸の町でガソリンも入れられる」
記憶違いでなければたしか、「ここから30分もかからない」と教えてくれたように思います。
「すぐ近くよ」と。
私は”Mother”の好意に心から感謝しました。
「本当にありがとうございます」
泪が出ました。
日本にいても、どこにいっても、いつもいつもたくさんのひとに助けられている、ということにまた気づいた瞬間でした。
そして、自分の無鉄砲さにも。(つづく)
●”Oregon Coast”の発音。
1) オゥ
2) 「Re」
3) (母音なしで)「G」
4) 「N」
5) コゥ
6) 「ST」
7) オゥ + 「Re」 + 「G」 + 「N」 + コゥ + 「ST」