今日の記事では、
世界地図を例に、
自分のキャパを広げる方法などについて書いています。
●自分のキャパを広げたり「常識」を疑う練習となる「世界地図」
●世界地図以外にも、たとえば自文化と世界の文化を比較してみる。
自分のキャパを広げるために。
昨日の記事は以下のサイトからごらんになれます。
●自分のキャパを広げたり「常識」を疑う練習となる「世界地図」
いつのことだったかもう忘れてしまったのですが、私は米国大学へ留学する前から、日本の世界地図は文字通り、「日本の」世界地図である、ということを知っていました。
文化人類学に関する本を読んだときに知ったのだったか、あるいは異文化コミュニケーションに関する本を読んだときに知ったのだったか。
いずれにしても、最初にそれを何かで教えられて「ああ、ホントだ」と驚いたし、またとても納得したものです。
日本が中心に位置している世界地図。
この世界地図は、万国共通ではない、ということを知るだけで、自分のキャパを広げる可能性が生まれます。
各国・各地域には、それぞれが中心に位置した「世界地図」が存在します。
だから、ヨーロッパから見たら日本は「極東」。
Far East。
「ヨーロッパの」世界地図で見ると、日本はいちばん東の端っこに位置しているのだから。
それぞれの国・地域の世界地図は、自民族中心主義(Ethno-centrism)の象徴としてよく取り上げられます。
地形としての位置関係を把握するにはとても便利だけれど、それが政治とか文化とか、あるいは異文化の人とやりとりする際にも概念として持ち込まれるとやっかいです。
誤解や衝突が起きる可能性もある。
自分にとって自分の文化は中心だけど、他人(異文化の人、外国人)にもそれぞれが中心とする文化や考え方がある。
いい、とか悪い、とかの判断はおいといて。その象徴が、世界中に存在する、あらゆる国・地域が中心に位置する世界地図だと思います。
物理的な利便性のために自国が中心に位置している世界地図は、世界各地に存在する。つまり、「日本の世界地図」は世界の常識ではない。
どうです?
それを知るだけでも、おもしろくはないですか?
●世界地図以外にも、たとえば自文化と世界の文化を比較してみる。自分のキャパシティを広げるために。
世界と自文化を比較するというのは有効な方法のひとつだと思います。文化人類学を勉強していると、目からうろこはホントに多い。
異文化コミュニケーション学や言語学などもそう。
より柔軟性ある発想をしたい、大胆な視点を持ちたい、と思うビジネスパーソンや理系の研究者の方に、それらの関連書籍をぜひおすすめしたいですね。
そのほかにどんな「目からうろこ」があるのか、思いだしてみました。
こんなのはどうでしょう。
★先進国で時間はとても大切。
なので、お金と同じ表現をする。
「費やす(spend)」
「貯める(save)」
「消費する(consume)」
★英語、とくに米語には軍隊やスポーツに関連する言葉や比喩が多い。
動きのあるもの(能動性)、自ら行動を起こすことに価値を置く社会だから?
Get the ball rolling.
Level the playing field.
Strategy
Target
Operation
Scheme
etcetc.,
★言語学で学ぶ、「サピア=ウォーフの仮説」。
文化は言語を決定する。
上下関係のある日本語には自分や相手を呼ぶ呼び方もたくさんある。
わたし、俺、わたくし、あたし、
僕、吾輩、あたい、おいら、
小生、わい、うち、
あなた、あんた、貴様、
貴殿、などなど。
★政治学者の丸山真男氏は日本社会と欧米社会を「たこつぼ型とささら型」と比較・表現しました。(「日本の思想、1961年」)
先生は、科学や文化について欧米と日本の歴史から対比したのですが、私はこれを、それぞれのコミュニケーションスタイルにもあてはめて考えています。
たとえば、あることについて誰かのたこつぼにそれぞれが取り込まれるような同意を前提とした会話形式や会議が多い日本と比べると、欧米のそれは、ひとりが「A」と言えばもうひとりは「A’」と言い、さらにもうひとりは「A”」みたいな、まっこうから反論しているのではないけれど、それぞれに独創性ある別の切り口で話を展開させてさいごに、新しいなにかを生み出す会話が好まれるようなところがある。
でも日本でこれをやると、まるで「B」と反対意見を述べているかのように受け取られかねない。
だから、「B」と言いたい人は別のたこつぼを用意して、そこでサロンなり研究会なりを形成してひたすら深く、深く、他者を取り込んでいく。
たこつぼの奥底に入っていくように。
そして、同じたこつぼのひとは、全員で、「A!」と大合唱する。
それが、日本のたこつぼ文化。