自分の「類(たぐい)まれな人生」を受け入れる。 ー小山ケイの人生ドリル。

⚫︎自分の「類(たぐい)まれな人生」を受け入れる。 ー小山ケイの人生ドリル。

iPhoneに以前、自身でメモ書きしたものをさっき読み返しました。きっと天からの啓示なのだと思います。いつ書いたかは覚えていません。よく見ると、「2022年3月19日」となっている。2年前です。

コロナ禍で辛くて、思うところがあったのだと思います。半生を振り返るようなことを書いてました。「カメの歩みでいーじゃない?昔からカメの歩みだったよね。」「私らしいと思う」などと書いて。

ともすると、人と同じように生きなくてはおかしい、という空気や風潮がある。それも、トントントンと順調に。日本はとくにそう。私にはっきり、「あなたは一般的な人と違っててかわいそう」などと言ってきたオバさんもいます。大勢の前で、大声で(これ、ホントのこと話ですよ。その人とは絶縁しました。よけいなお世話のネガティブなエネルギーをぶつけられる筋合いはないので。うるせーよババア」)

日本で「一般的ではない」にはこんなことが含まれるかのかもしれません。どうですか?

⭐️会社員ではない。

⭐️外国籍である。

⭐️両親と血がつながっていない(養子である)。

⭐️虐待されて育った。

⭐️結婚していない。

⭐️子どもがいない。

⭐️同性愛者である。

⭐️トランスジェンダーである。

⭐️障害を抱えている。

⭐️未婚の親から生まれた。

⭐️両親の国籍がそれぞれ異なる。

⭐️親を知らずに育った。

⭐️特定の宗教を信仰している(たとえば日本でクリスチャンのかたは3パーセント弱だそうです)。

「かわいそう」などと言っても何かしてくれるわけではない。自分の人生を切り開いていくのは自分でしかない。「かわいそう」などとワケのわからぬことを言う人間と縁を切ると決めることを含めて。そう行動することをふくめて。これは私自身への戒めです。

パワフルに「自分が望むことをすべて引き寄せる!」と言う人もいる。私はそれを否定するつもりはありません、ただ、私が長い年数を生きてきて不思議だと思うのは、どんなに自分が心から望んでも、なぜか叶わないこともあるのです。

ちゃんと行動してるのに。血の滲むような努力をしたり、頭の中でイメージしたり、祈ったり(?)しても。そうして後から振り返ると「ああそのために叶わなかったのか」と納得したり、「叶わなくて良かった」などとホっとしたりする。まるで見えざる力に導かれて守られているとしか思えないように。学びがあるからです。魂(たましい)の学び。

「なぜ、それを欲するのか?」

「それが日本では一般的だから望んでいるのか?」

「それを得たときに、自身に学びはあるのか?魂(たましい)の成長はあるのか?」

自分の奥底にあるコアな部分は知っています。それが本当に必要なのか、必要ないのか。「必要ない」あるいは感情が激しく動くほどに納得する「理由」がない限り、そのものは引き寄せられない。

いっけん引き寄せて叶えたように見えても、長い年数をかけたときに思わぬ「課題」がでてきたりするのです。私の実体験として。

だから、とにかく自分を受け入れる。なぜか叶わないことも含めて。いま、鏡の前にいる自分をそのまま。でないと自分がかわいそうです。くだんのおばさんに言われるまでもなく笑。

⚫︎小山ケイ流「自分を受け入れる」5箇条。

1 いま、に集中する。いま、自分のエネルギーが自分に向けられていることを確認しながら。

2 人との比較は意味がない。数日前の記事にも書きました。「人にあって自分にないもの(ネガティブな意味で)探し始めた時点で自分の成長は止まる。

3 感謝リストを作る。あるいは読み返す。→ 「感謝リスト」についても何年か前の記事にて私はこのブログで書いています。

4 ネガティブなエネルギーをぶつけてくる人間とは距離を持つ。

5 自分のGiftsや類(たぐい)まれな経験、才能、などをリスト化し、「これが世のため人のため自分のために活かせないか?」知恵をだす。