他人からの不要な「負のエネルギー」は無視してよし。- 対処法です。

セントアンドリュース スコットランド

今日の記事では、母校の青学から単位をもって米国オレゴン大学へ編入学して卒業し、15年以上に渡って「サステナビリティ・ESG・気候変動」などに特化した専門翻訳会社を経営しながら再び青学(大学院)へ戻ってMBA(修士号)を取得した私・小山ケイが、他人が送り付けてくる「負のエネルギー」について書いています。今日と明日の2回に分けます。昨日は下の記事を書きました。

●「他人からの不要なエネルギーは無視すること」-というのも、人は自分の怒りをぶつける先を探すものだから。

横浜元町

1)他人から負のエネルギーをぶつけられやすい人は直で、正面からその人の話を聞こうとする人

2)自分が感じた怒りをなぜ、他人にぶつけようとする人が多いのか。

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1)他人を無差別に巻き込むような極悪な事件ではなくとも、日々私たちの日常生活においては自分が怒りを感じたときにそれをどこかへぶつけようとする人がとても多い、

ということに気づいておられるかたもいらっしゃると思います。

それも、八つ当たり

私はそのことに組織の一員である社会人となってすぐに気づきました。

今日は自分の落ち度ではまったくないにもかかわらず、他人からいわれのない不要な「負のエネルギー」をぶつけられて心身ともにまいっている人がいたら、と思い、早急に書くことにしました。

 

私自身、若いころから人の負のエネルギーを受けて、人間関係に悩まされることがとても多いたちでした。

正社員として銀行員をしていたときは、このブログでも書いたように直属の女の上司の「負のエネルギー」に振り回されました。

同期が心配して、他の先輩に相談してくれたところ、

コヤマちゃんって素直になんでも聞くでしょ?はい、はい、って。だから、彼女もちくいち、言ってくるんじゃないかな。言いごたえがあるというのか、言った甲斐があるというのか」

と言われました。

人の話を素直に聞く人間は、人からの怒りをぶつけられやすい、ということにこのときはじめて私は知りました。

想像してみてください。

右から左で「はーい」と聞き流されてしまうような人間に、まともに正面から全エネルギーをぶつけて話をしたいですか?

何回も、何回も、おんなじことを言わなくてはならない人間に対して。

あ、そうなんですかぁ~」でけらけら笑ってばかりで反省する様子のない人間に、まともに自分のエネルギーをぶつける人は、そう多くはないはずです。

のれんに腕押し、だからです。

桜の花

あんまり書くと、いわゆる「スピ系」になってしまいそうですが、私のように霊感がまったく強くない人間でも、人の負のエネルギーは強烈に感じます。

目に見えないものなのに。

開口一番、口調が詰問だったり非難がましかったりすると、

「どうしたんだろう?」

と思いますよね、普通は。

人間は言葉の額面よりも口調やジェスチャーなどの非言語の部分を重視することについてはメイレイビアンはじめ学者が研究していることでもありますし。

私の長年の人生のなかで、人が他人に「怒り」という負のエネルギーをぶつけようとするときは組織社会での力関係がいちばん多いように思います。

  会社組織だったり、

  町内会だったり、

  あるいは日本社会という組織だったり。

行政の窓口では、あらゆる人間、とくに高齢者の怒りがぶつけられている場面に出くわします。

窓口のかたが気の毒です。

 

対応に当たっただけなのに、

「日本社会に対するすべての怒り」

をぶつけられている。

今の時代、クレーマーってわりと年齢がいった人が多いですよ。

若者じゃない。

行政の窓口のかたも、市民の話に耳を傾けよう、としているのでクレームをつける側は「言い甲斐」があるのだと思います。

はっきり言って。

ちゃんと「うんうん」、言いながら話を聞いてくれているから。

サントリーホールの舞台裏

2)自分の怒りの矛先を他人に向ける人が多いのは、 a)自分と折り合いをつけたり、 b)客観的にものごとを判断する過程を すっとばす人が多いからだと思います。

つまり、自分の感じている怒りを客観的に分析できないということです。

怒りをぶつけている先はとんだお門違いだというのに、それに冷静に気づいたり、ぶつけた相手に対して謝罪できない、というのはいつまでも自分の「怒り」に無意識に執着しているということにほかならない。

そう、「執着」です。

だからこそ、他人から不要な「負のエネルギー」をぶつけられたときは、それを無視してよい。

その問題は、相手の問題であって、私(あなた)の問題ではないからです。

かつての私のように、素直にちくいち、真摯に真正面から怒りを受け止める必要はありません。

その人間は、組織の力関係の中で、自分より立場が上の人間にはモノが言えない。

その分、ため込む。

そして、それによって自分が怒りを感じれば、自分と立場が同等か、さらに下の人間にぶつけてくる。

そして、自分の怒りを相殺する。

理不尽であることに間違いない。

ブルーボトルコーヒー

あるいは、高齢者も税金がかかったり保険料がかかったりする。

社会からはもう仕事では必要とされていないように感じているのに。

だから、やるせなさや怒りを誰かにぶつける。

そら

うちの部署はこんなに仕事が多いのに、隣の部署は手伝ってくれない。隣の部署の同期はいつも笑顔でのんきに仕事している(ように見える)。

こっちは上司から叱責も飛んでくる。

だから、「となりの部署の同期が許せない」。

 

おかしな話です。

となりの部署の同期のせいで、自分の仕事が増えたり、上司が叱責したりしているわけではないというのに。

おかしのはっぱ

こういうときは、まともに話を聞いたりしてはいけない。

真摯に真正面から、なんてやってはいけない。

人の負のエネルギーを甘く見てはいけない。

あなたが真摯に話を聞いたりまともなやりとりをしようとすればするほど、相手は自分を受け止めてくれていることに快感を覚えて、ますますエスカレートするだけです。

これは、私の経験から断言します。

詳しくはまた明日書きます。

明日は、以下のことについて書いていきます。

●具体例ーつまり、こういうことです。

 ★嫉妬

 ★ひとりで怒りをため込む人がその怒りの矛先を向けるのは。

 ★「魔物」はこの世にいる。

●さらに詳細な対処法

1)自滅させる。

2)自分が崇高な存在の「盾やベール」に守られている姿を終始、イメージすること。

3)馬鹿になる。

4)返事をしない。

5)相手と「ねじれの位置」にいる自分を想像する。

6)逃げるが、勝ち。

相手がまともに謝ってきたり、態度が軟化したら、そのときにはじめて、自分のテリトリーに受け入れる。