あらゆることにおいて大切なリズム感。このことに気づいていない人は多い、ということを昨日、私は書きました。今日はそのなかから、「人とのコミュニケーション」について書いてみます。
昨日の記事は下からごらんになれます。
●人とのコミュニケーションにおけるリズム感の大切さ。まずは、「ノリ」。
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リズム感のあるコミュニケーションは、お互いにテンポのいいツーカーになりやすいです。つまり、ノリの良い会話です。
あまりやりすぎてもよくないのですが、ノリの良い会話とはたとえばこんなぐあい。
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「新しく渋谷に渋谷スクランブルスクエアができたでしょう?」
「うんうん」
「昨日そこに行ってきたんだ」
「へぇ~どうだった?」
「地下の食品売り場は駅から直結してるから、仕事帰りでも寄れそうだね」
「いいねぇ。どんなお店が入ってた?」
「PARIYAとかタピオカのゴンチャとか、女性に人気のお店が多いね」
「お~それは楽しみ。行列ができそうだね(笑)」
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「うんうん」とか「へぇ~どうだった?」「いいねぇ」の部分が、会話にリズム感を生み出しています。
話している人の次の言葉をつぎつぎと引き出す役目を果たしていることと、同じ言葉を二回言うことでワンツーというリズムを生み出したり(うん、うん)、音楽用語でいう「スラー」をかけた言葉を使ってみたり(へぇ~)(お~)、肯定的な相槌を入れているからです。
こういうリズム感があると、話しているほうも、自分の言葉をつぎつぎとテンポよく発声させることができます。相手がリズム感ある相槌を肯定的に入れてくれるからです。
では逆に、私が「リズム感ないな」と思う会話はこんな感じです。
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「新しく渋谷に渋谷スクランブルスクエアができたでしょう?」
「え、そうだっけ。知らない」
「まえ東急百貨店があったところ。あれ、知らない?」
「渋谷、あんま興味ないから」
「そうなんだ・・・」
そして、沈黙がつづく。笑
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こういう人、いますよね。いやぁ・・・渋谷に興味ないのは個人の自由だからしょうがないとしても、私が友だちにこんなふうに言われたら、めげますね。言わなきゃよかったと。
話している人との関係性が自分と近ければ近いほど、会話は弾んでほしいものです。
もちろん、時と場合とか、状況にもよるので、必ずしも相手と会話を弾ませなくっちゃならない、なんてことはない。
いやな相手とか、一方的に自分のことばかりまくしたてる人間に対しては、「私はその話に興味ありません」ときっぱり、意思表示を示すことは必要でしょう。
けれど、仲の良い人や家族が「あなたに話したい」という気持ちを表現しながら話しているのなら、楽しい会話にしたいと私は思います。
一緒に食べたり飲んだりしているものがいっそうおいしく感じられるような。
●コミュニケーションにおける、私が考える「リズム感」のやしない方。
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1) テンポのよい相槌をうつ。
2) たとえ自分の好みとは違っても、完全否定しない。
3) 相手は自分の大切な人だから(愛)、と再確認しながら話す。
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1) 日本語っておもしろいな、と私が思うのは、同じことを何回か言う相槌があることです。たとえば。
そうそう。
うんうん。
なるほどなるほど。
わかるわかる。
すごいすごい。
そうなのそうなの。
これに気づいたのは、中国人の女友達と話していたとき。彼女の流暢な日本語を聴きつつ、相槌まで日本語ネイティブのように聞こえて、それでいて、じゃっかんの中国なまりもあったので、「うわぁ、本当に流暢な日本語だわ」とおもったのがきっかけです。
彼女は「そそそそそ」と相槌を打ってくれたのです。笑
英語でこういう相槌の仕方、それほど多くはないです。
Well,well
Right, right.
Yeah, yeah, yeah.
ぐらいでしょうか。私が思いつくのは。
“Well”もふつうは、ゆっくりと、「これからこんなことを言いますよ」とでもいうように、たっぷりとした「間(ま)」を持つのが普通です。
「ウェェェェル」というぐらいに。言い方によっては嫌味に聞こえますし。Well,wellって。
日本語の「そうそう」がたくさん出てくる、「そそそそそそそ!(So,so,so,so,so,so!)」なんてのはもはや、「う」が省略されていて、日本語オリジナルの相槌のしかたではないでしょうか。笑
相手にたくさん、同意をしてあげたいんですよね。
あるいは、「よくぞ言ってくれた!それを私も言いたかったの」という共感の表現。
私もよく使います。そして、私の友人たちもしょっちゅう、話が盛り上がるときに使ってくれます。
そして私たちは延々と、ぴーちくぱーちく、話し込むわけです。
音符でいうと、四分音譜だったのに、いきなり八分音符の連打になる。私の「耳」が言うことには。
おもしろいことに同じことを何度か言うことでリズム感が生まれます。それが私の「耳」が言う、「音譜の連打のように聞こえてくるから」ということなのかもしれません。
これがつまるところ、「テンポのよい相槌」ってことなのだと私は思います。
リズム感のある相槌の打ち方も、一朝一夕ではできないものです。日頃から「あいづち」に意識して、言葉をストックするのもよいと思います。
自分が言われていいな、次の言葉がでてきやすい、と思ったあいづちをストックしたり。
2) 相手が気に入っていることを完全否定してしまうと、会話は途切れがちになります。
相手も気兼ねしたり、あるいはいやな気分になる人もいるかもしれない。
無理して相手に同調する必要はもちろんありませんが、1)のテンポのよいあいづちを打つことで、自分の意思を完全に表明するのをさけることもできます。
自分の意思を表明するのは、相手に「これってどう思う?」とか「これは好き?」と明確に聞かれたときでよいと私は思います。
たとえば、上記の渋谷の商業施設の話にしても、自分がたとえ渋谷に興味がない場合、「渋谷あんま興味ない」と言い切ってしまうと、興味があって渋谷の商業施設に行った(はずの)友だちは、それ以上話がつづけられなくなってしまいます。
相手がすっかり、「自分の世界のなか」にある「自分はあんま渋谷興味ない」という思いにひっこんでしまったので。
「商業施設を見に行った」という話題に乗ってくることを拒絶しているので。
だから、「へぇ~どうだった?おもしろかった?」と質問するだけでいいのです。
わざわざ「あたしはそれ、嫌い・興味ない・ばからしいと思う」などと、まっこうから喧嘩を売る必要はない。
人とコミュニケーションなんてとらなくていい、というスタンスならああそうですか、でいいのですが、社会人として、あるいはビジネスパーソンとして人とやりとりしていくことを選択するのであれば、会話のリズム感は大切になってきます。
町内のひととのやりとりだってそうですよ。だから、それがよくわかってるかたたちは昔から、天気のことをスモールトークにして、見知らぬ人にでも「今日はあっついですね」「ええほんとに」とひとときの会話を弾ませるような知恵を身につけてこられた。
「今日はあっついですね」と言われて、「え、そうですか?私はそれほどあついとは感じませんが」などと馬鹿正直に言っては、会話のリズム感が失われてしまいます。
リズム感が失われると会話が弾まなくなるので、話しかけた人によっては、次からその人に声をかけるのをやめたり、コミュニケーションをさけるようになります。
あついとは思わなかったら、「いい天気ですもんね」とか「燃えてるおんなですねぇ」とか、「夏が近づいてるからですかね」とか「湿度が高いからかもしれませんね。気温はそんなに高くなかったはずですけど」とか、いろいろな言い方ができるはずなのです。
「そうは思いません。あなたの考えは間違ってます」とまっこうから否定などせずとも。
3) 日本語で「愛」というと、どこかスーパーモデルばりの均整の取れた体のマネキンの頭にまげのかつらがのっかってるような(笑)、こそばゆさと不可思議さを感じる人が多いとは思います。日本に古くからある言葉ではないのが一因かもしれません。
司馬遼太郎さんあたりの大作家が「愛」という言葉そのものについて調べたりされていますが、私も「愛」という言葉を聞くと、まず思い浮かぶのはやっぱり、キリスト教です。仏教や神道とくらべると、遠い昔から日本にある宗教ではない。
額のど真ん中に「愛」の漢字が飾られた直江兼続の兜を博物館で見たことがあります。あの当時は敵も度肝をぬいたんじゃないのかな。画数の多い「愛」の漢字がのっかってると。かっけーと現代の私は思いますが。笑
日本ではあまりおもてだって語られない「愛」ではありますが、それでも、裏の勝手口にでもかならず私たちはかざっておかなければなりません。
なぜなら「愛」とは次のようなことだと私は思うからです。
★友だちや家族を大切に思う気持ち。
★大切な人だからこそ、「こうしたほうがもっとよくなる」と思えることを伝える。
★距離感を大切に、相手が不調のときも、遠くから見守る。
★まったくの見ず知らずの人でも、小さな「💛」を差し出してみる。
★「今日もおたがい、良い一日でありますように」と出会う人たちに心の中で祈る。
★すれ違う乳幼児に笑顔で「ばいばい。元気に育ってね」
まったくみずしらずの人に「愛」をささげるのはなかなかできないことですが、仲の良い友だちであれば、「裏のお勝手口」といわずに「表玄関」にどうどうと飾りますよね。ふつうは。
だから、その大切な友だちとのコミュニケーションは、相手が話しやすい、上座の座布団を差し出すような、テンポのよい、肯定的なあいづちをうってほしいし、私もそうしたいとつねづね思っているのです。
そのひとときはかけがえないものだと思うので。けっしてあたりまえではないし、いつもあって当然のひとときではないから。これが私がこのブログに「Feel this precious moment, 一期一会」とつけたゆえんでもあるのです。
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