フットワークについて語ろう。軽いフットワークを実現するために。

golf course in UK

●たとえば、どんなことが「フットワーク軽い」ということになるか?

 

1)  人から連絡があったとき、その人が自分にとって重要な人物であれば、その連絡の内容を即座に実行する。

例)キーパーソンから「これこれの仕事をやってくれ」「人を紹介してほしい」「意見を聞きたい」等々の連絡があったさい、またたくまにメール、SNS、ライン、実際に出向く、などでそれを実行してしまう。

「すぐになにかする」というのとは違う。レスポンスが早いだけなら「フットワークが軽い」とは言わない。たとえば「メールの返信が早い」ことを「フットワークが軽い」とは言わない。体の動きが伴うことである。体の動きが伴うことを即座にするのである。

2) とにかくあらゆるところに出向いている。

例)パソコンのまえに1日中張り付いたり家にこもってスマホオンリーでゲームやったり動画見たりというよりは、文字通り外に出て、人に会って、街を見て、風景を見て、社会を見て、そしてそこから自分の審美眼と自分軸を縦横無尽に使って、物事を判断する。

なにしろ、「足(foot)」の「運び(work)」が語源なのだから、

だから、健脚でもある。笑

3) その人間の「辞書」に「できない」という文字はない。

例)「できない理由」を考えてるひまがあったら、「できる要素」をどんどん考えていく。

4) とにかく、よく動く。行動する。考えるひまがあったら、動いたほうが早い。そう思っている。私はそうです。笑

だって考えてる時間がちょーもったいないから。

動くと景色も変わって、脳みその働きも活性化されます。だから、いろんなアイデアも浮かんできますし、解決策も浮かんできます。

●フットワークの軽さは、限りなく「個」に近くなるほど、実現できます。

「個の時代」だそうですが、もう何十年も「個」として生きてきた私には「あれ、昔から個の時代じゃなかったんだ・・・」と、この「個の時代」という言葉を聞くたびに不思議な感じがします。笑

日本はそうじゃなかった、ってことなんでしょうね。いままで。

フットワークが軽いとある利点については昨日の記事で書きました。それから以前、「働き方改革」について書いた記事内でも、「実行するなら、限りなく個に近いほど、働き方改革は実行しやすい」とも私は指摘しました。自分の経験がそうだったからです。

フットワークの軽さは、抽象的な表現としても、物理的な表現としても、限りなく「個」にちかくなるほど、実現できます。働き方改革がなかなか進まないのであればきっと、その企業が「個」から大いにかけ離れているからかもしれませんね。

こんな経験はありませんか?旅先で、「あ、あれおもしろそう」と思って見つけたお店があるのだけど、団体旅行で独りだけそのお店に行くことができなかったということ。

まさに、これです。笑

独りだと「行きたい」と思った瞬間に行動することができますが、団体行動したり大勢でつるんでいると、その団体なり仲間でのスケジュール等に従わなければなりません。

どんなに自分は「フットワーク軽く、リモートワーク・ノマドで行きたい」と願っても、大企業に勤めていれば、その企業全体で決められた就業規則なりを無視するわけにはいきません。

私が銀行員だったころ、私の上司のひとり(役職者)は「伝説のファンドマネージャー」と証券会社の人たちから言われるような運用の天才でした。でも出社はいつも「社長出勤」。笑 いくら運用の天才でも、銀行員は会社の就業規則に従わないといけません(強調)。

しかも、年に何回も「自主的」な「長期連続休暇」を取る。1週間前後の長期休暇は年1回しか取れないことになっているのに。

年賀状も飲み屋のママだかホステスさんだかに全部代筆させている、ともっぱらのうわさでした(たしかに、すごくきれいな字で書かれていましたね。机は耳糞が乗った耳かきや綿棒がちらばってるほど汚かったのに。)

ペーペーの新人だった私にその上司は、「ファンドマネージャーという仕事を個人で請け負ってる人」のように思えました。人としてはとても面白い方で、ノーベル賞受賞者を何人も輩出しているような超有名国立大学を卒業していましたが、頭は柔らかい。遊びも上手(うわさどおり、女遊びもしていたのかもしれませんが)。

もちろん、人事部からはお呼び出しがかかったりしてましたが、運用の天才であることや(東洋経済の四季報「運用成績は銀行中、ここの銀行が一番良い」と載るような部署でしたので)私の部署のトップ(部長・次長の次でした)であることもあって、あまりきつくは言えなかったようです。

就業規則には従ってなかった私の上司ですが、でも「個」として動いていた一面があるからこそ、フットワークは軽いと思えました。行きつけの飲み屋がたくさん六本木や銀座にあったり、証券業界にはとにかく顔が広かったり。

旅行のお土産なんだか銀座のホステスさんからもらったのか知りませんが、「もらいものだけど」といってココ・シャネルの香水を私にくれたこともあります。懐が深くて細かいことを言わないので、女性の社員からはけっこう人気がありましたね。

あんなずーたいのでかい、しかも保守の権化みたいな金融機関で、あそこまでフットワーク軽くあの上司が動き回れたのはひとえに、就業規則を無視してでも「自分個人」で動き回っていたからだと思います。それがきっと、運用にも生きていたはずですから。

でも、だれでもできるわけじゃない。「鶏と卵」になりそうですが、デキる人だからこそ「個」としてフットワーク軽く動けたのだと思います。つまりフットワーク軽く「個」として動くためには、その「個」としての能力もなくちゃだめだ、ってことかもしれないですね。