今日の記事は、1月1日に書いた記事から「ばかやろーと言ってみる」ということについて書いていきます。
1月1日の記事は下からご覧になれます。
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●むかっぱらたったときは思い切って、「ばかやろー」と本人に行ってみる。スカっとしますよ。私の実体験です。
年甲斐もなく何度かキレたことがあります。普段、ほとんど愚痴も悪口も言わず、「はい、はい」と聴いているように思われているせいでしょうか、私がキレると相手はたいてい、ものすごーくビビりまくります。そして「勘違いだよね?」とフォローし始めたりする。
「あのさー!こーいうの、すんげぇーむかつくんだ!やめてくんない?」
私があるとき他人(男)に言い放った言葉です。大ギレしてました。何度か仕事をしていた人間で、こちらが請け負う側、向こうは指示を出す側、でした。そのせいか、向こうはどこか上下関係があるように思っていたようです。こちらを見下している
こっちも大人ですからある程度のことは受け流したり肥やしにしたりします。けれど、たまに相手が度を超すときがある。何度も何度も同じ悪態をついてきたり。まるで子どもです。
想像してみてください。ご自身のまわりにおられる、温厚で優しいかた。愛情に満ちた柔和なかた。そのかたがたがある日突然、「ざけんな!ばかやろー!!」と啖呵を切る。誰かに対して。はたから見ててもビビりませんか?すんげぇ。笑
啖呵を切られてもしょうがない人間って、けっこういるものです。上司、先輩、近所のボス、おツボネ、などなど。自分より立場が上の人間に啖呵を切ることは本当に気分いいもんです。私の実体験上。
●なぜ、「ばかやろー」を面と向かっていったほうがいいのか。
相手は上下関係に甘えたりあなたが素直に聞いているがゆえに調子に乗ってる可能性があります。そういう人間にはしっかりと、お灸をすえなければなりません。笑 大人なんですから。おたがい。
だいたい、相手の言動に対して不快感や不愉快な思いをしているのは自分のほうですよね。それも長期にわたって。
自分が可愛そうです。どれだけストレスをため込めばいいのか。自分さえ我慢すればこの場は丸く収まる。自分さえ我慢すれば相手とうまくやっていける。優しい人ほどこういう甘ちゃんの標的になりやすい。いわゆるマウンティングされるのも、人の話を真摯に聞く優しい人だといわれています。
相手にとっては仕返しされにくそうだから。逆恨みされなさそうだから。
でも、自分がずっと「いやだ」と思ってるのなら、相手にその意思表示を伝えたほうがいいときもあるのです。
日本では面と向かって喧嘩するのは江戸時代でおわっちゃったのかもしれない。「火事と喧嘩は江戸の華」ですから。喧嘩、つまり、相手のすることに異を唱えることが和を乱すこと、相手を傷つけることのようにいつのころからかとらえられ始めたと私は思います。
●効果ある「ばかやろー」の言い方は以下のとおりです(という言い方も変ですが。笑)、
★普段は大人として品行方正にしておく。「はいはい」と素直に聞いておく。
★「です・ます」言葉を使う。
★自分のなかでする「ブチっ」という音を逃さない。
★ぶちっという音がしたらその時。タイミングを逃さない。
★感情をおもいきり爆発させる。
★感情に根差した言葉を使う。
★考えない。言葉を選んだりしない。
★遠慮しない。
★手加減しない。
★大声で言う。
★ため口でいう。*ここ、重要です。「です・ます言葉の関係で大ギレしてため口」が効果あるのです。だから普段から、だれかれかまわず「ため口」はきかないほうがいい(ローラがキレてもあんま効果ないよね、きっと。笑)。
★「あたしを怒らせると怖いよ!」と徹底的にわからせる。
★ひどいアホには足を「どんっ」と踏み鳴らしてもいい。威嚇です。
★オスのクジャクかボスザルのごとく、両手両足を思い切り大きく開く。これも動物学の威嚇です。
★そして、腰に手をあてたり、おもいっきり腕組みする。「拒絶」を意味します。
とくに、男性に対して有効ですよ。どこかこちらを見下しているような人間ならなおさら。
手加減したり情をかけたりしてはだめです。相手はつけあがりますから。あとさきも気にしなくていい。とにかく感情を爆発させることがコツです。少しばかり血圧が上がって体力消耗しますが。クールダウンはあとでゆっくりやればいい。心のクールダウン。
不思議なのですが、これまでさんざん、こちらをあしげにしていた人間ほど、こちらが大キレすればするほど、なぜかすがってきます。笑
おためしあれ。
●さらにひどいアホは、人格攻撃してやること。
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「言わないとわかんない人間」っていいますよね。これ、ほんとにいるんですよ。「やめてくんない?」と言ってるのになぜか、それが、こちらの愛情表現(?)か冗談だと受け取ろうとする輩(やから)。
「あ、コヤマさんこわ~い。コヤマさんらしくないなぁ」
「あ、気ぃわるくさせてしまった?なんかこわいんですけどぉ」
などと言って、これまで出したこともないような猫なで声で取り繕おうとする。これに同情してはいけません。相手の思うつぼです。だから、さらにエスカレートしている(ような演技)表現をしなければなりません。
「あんた、頭悪いね」
「日本語わかってねぇなぁ」
これは最後の最後に出すきりふだです。それゆえ、めったなことでは出してはいけない。人格攻撃は自分もされるかもしれないからです。けれど、完全に相手を崖から突き落とすぐらいの覚悟と明確な拒絶の態度が必要なときもある。相手がアホであるほど。
●他人の優しさに甘える人間はいる。人生ドリルとして要注意です。
なぜにこういう輩(やから)がいるのかわからないのですが、他人のやさしさに甘える人間がわりといるのです。優しい人ほど他人に甘えられたり、攻撃の対象になったりする。八つ当たりの対象になることもある。うさばらしの対象になることもある。
好意、とはまた違います。私も人からの好意は「ありがとう!」といいながら喜んで受けることが多いのですが、相手が優しい人だからと、自分の愚痴をぐだぐだ聞かせたり、誰かの悪口を延々と聞かせたり、マウンティングの対象にしたりすることはさすがにありません。「これお土産」と言って顔見知りからおまんじゅうを手渡されれば、「ありがとう!遠慮なく」とすぐにいただくのが常なのですが。笑
子どもが親に甘えるような感覚なのだと思います。優しい人を攻撃したり八つ当たりしたりいじったり見下したりするのは。相手の度量を試しているのかもしれませんね。「どれぐらいわがまま言ったら相手は怒り出すだろうか」と。がきんちょが親を試すように。
このブログで私は何度か触れていますが、日本文化は言葉を見ても自分と他人が明確に「個と個」として分かれていないことが多い。相手の目線で自分の主語(s)を「お父さんはね、お母さんはね、先生はな」と、相手から見た自分の立場におきかえたり。あるいは相手の立場によって「自分」そのものの言い方も変えてしまう。
わたくし。
あたし。
俺。
僕。
仲間であれば「ウチ」とか。
「あなたのものは私のもの」。それぞれの立場や「目線」が入り混じったり入れ替わったりするのが日本語だと私はつねづね思ってきました。そこに、「甘える」人間がでてくるのかもしれません。相手が温厚なのをいいことに。
英語なら「I」しかありません。そして相手は「You」しかない。お互いの立場や目線が入り混じったり入れ替わったりすることはほとんどない。あるのは、個と個です。