今日の記事では、意図的に大きな声を出すということについて書いています。
<目次>
●声を出すなら大声で。それも意図的に。まわりが注目したり一目置いたりします。
●自分を救うために大声を出す。
このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日の記事はカテゴリー「徒然なるままにひぐらし。」です。前回は人生ドリルシリーズとして下の記事を書きました。
●声を出すなら大声で。それも意図的に。まわりが注目したり一目置いたりします。
このブログで何度か私は書いていますが、不思議なことに人間は、「声の大きな人間」の言うことに耳を傾けやすい。私はこのことを自身の長年の経験から学びましたし、他の人もおそらく同じように感じておられるはずです。
動物としての性質なのだと思います。声の大きな人間に注目しやすいという特徴は。注目されるのは、まともなことを言っている人ではなく、とにかく声のでかい人間。
私がビジネススクールに行っていたときも、大きな声を出す人間がなぜか注目されました。よくよく考えると中身はない。笑 インスピレーションを与えてくれるような意見や知見があるかというとほとんどない。相手の意見をオウムがえしで「そうそう、私もそう思います!!」と大声でさしはさむ人間すらいる。それでもなぜか、声のでかさで彼ら彼女らは注目されるのです。
腑に落ちないけれど、人間のさがなのですからしょうがありません。
もしご自分が「まともなことを言って」いたり「新規性あるおもしろいことを言っている」と確信するのであればぜひ、大声でそれを表現してみる、ということをやってみてください。小声でひかえめに言っているばかりにスルーされるのはあまりにもったいない。
自分を救えるのは自分でしかありませんので。
★自分に新規性あるおもしろいアイデアがあるとき。
★それがまともなことである場合。
★人が口火を切って言った意見ばかりにあとだしじゃんけんで大声で反対し続ける人間がいるとき。
★プラスアルファで人にインスピレーションが与えられそうだと思えるとき。そして人からもインスピレーションがあればさらに面白いものが出てきそうだと感じられるとき。
★自分だけではなく、めぐりめぐって他の人にも利益になると思えるとき。→ たとえばビジネススクールの授業や仕事において、中身はないが大声であるばかりに注目される人間がいる場合は軌道修正が必要になります。軌道修正を受け持つべきは教授でありトップの人間ですが、かれらにその能力がないか事なかれ主義であれば、共有されるべき知性や情報、創造性がさらに深化・進化するよう、あえてこちらが大声で意見をさしはさんだほうがいい場合もあります。
他人の意見をおうむがえしに大声で言うことで自己顕示をしたり反対意見を後出しじゃんけんでだす人間に場がしきられると、場のレベルが頭打ちになります。
若い子たちには夢のないことを言って申し訳ないのですが、この世は不条理です。いい人がいい暮らしをするわけではなく、まじめな人がいい思いをするわけではなく、まともな人が注目されるわけでもありません。まともじゃない人のほうがかえって「おもしろい」とマスコミに取り上げられたりしますよね。センセーショナルってやつなのかもしれません。
大声で駄々をこねる世界の政治家が日夜、マスコミで取り上げられることすらあります。
「この世は不条理」ということについてはまた近々、記事を書きます。
●自分を救うために大声を出す。
理不尽な扱いを受けたり、まともじゃない人が取りたてられたり可愛がられたりしたときこそ、大声を出すときです。私がこのブログで以前取り上げた、「ばかやろう!と言ってみる。本人に直接」もそうですが、いわないとわからない人間って本当に存在します。
言わないことで、「ああ許容してくれてるんだな」とか「同意してくれてるんだな」とか勘違いする人間。
大声を出すことは、自分を救うことでもあるのです。
私のように理不尽な扱いをうけたとたんに切れやすくて感情が爆発する人間は、昔からよく大声で理不尽な相手に感情をぶつけてきました。大声で。
ある習い事をしていたときは、つもりつもってとうとう最後に大声でキレたことがあります。笑 まじめに復習をしてスケジュール調節をしながら定期的に通いつづける私や同期ではなく、心ここにあらずのような「今日は●●に行きますのでお休みします~」と直前に突然連絡が来る人間がなぜか可愛がら(?)れる。
休んだ次のときにあらわれると「ひさしぶりねぇ。待ってたわよ」とはじめから終わりまでその人間を中心に話題を進める。その人も来るたびに持ち上げられて自分は特別だと思ったのでしょう、一番弟子ででもあるかのようにまわりを怒鳴りつけたり(自分の親ぐらいの年上の先輩まで)、感情を露わに大声を出しはじめました。それでも注目されるのです。声の大きな人間(勝気な感情をあらわにする人間)は大切にされるということを私は身をもって体験したと思っています。
やさしい人やおとなしい人、まじめな人が、声がでかい(感情を爆発させるだけの人間を含めて)だけの人間に振り回されるのは私には納得いきません。
そこで今日は、「自分を救えるのは自分でしかない」という私の信念に基づいて、大声を出す方法について書いていきます。理不尽な扱いを受けてストレスをためたり、もやもやとした思いを抱えておられる方。声を出していきましょう!練習次第で大きな声は出るものですよ。たしかにコツは必要ですが・・・。
★理不尽な扱いを長い間、受けていると感じるとき(たとえば、私の例でいえば、私やまわりは存在せず、特別扱いの人間だけがいつも存在しているかのような扱いを目の当たりにするとき)、我慢しない。相手にしっかり、「自分が嫌な思いをしている」ということを大きな声で伝える(とつぜん大声出すとより効果的です)。
★感情を爆発させる。
★大声を出すことに慣れていないかたはいったん、一呼吸おいてみる。
★自分が大声を出すイメトレを習慣的にする。
★ものを言うときは何回かに一度は大きな声でいう。
★つねに小声で言う癖がある人は声をより出す練習を日々してみる。
★基本は腹筋です。
★のど、ではなく、おなか、で声を出す。オペラ歌手になる。
★ものわかり悪くなる。笑 → ものわかりいい人間や「理解してもらえる」と思われる人間は甘ちゃんに振り回されやすくなります。私の経験です。
★大勢の前でプレゼンしたり発表したり意見を言ったりするときは、つねに大声で言う。遠慮しない。よく通る、「けんか売ってんのか」というくらい大きな声で、練習してみる。ぼそぼそ言っていると哀しいかな、見下されます。