今日の記事では、自分が発する言葉の細部に注意を払うことについて書いています。
このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日の記事はカテゴリー「徒然なるままにひぐらし。」です。前回は人生ドリルシリーズとして下の記事を書きました。
●語尾、言い方に細心の注意を払ってみる。相手に合わせて。
たとえば私の経験から、年寄にものをいうときは、わりと速度を遅く言うほうが相手の耳に届きやすいところがあります。それも、低めの声で。
年寄を相手に早口でものを言うと、「え?なに?」と何度もきき返してくる人も多い。早口で声も高めで言うと、相手は聞き取れないことにいらいらしてくるのか、「もっとゆっくり言ってほしい」とはっきり伝えてくる人もいます。
反対に、私が若者と話していると、早口でもごもごと言う人がいる。聞き取れないわけじゃないけれど、この調子でこの人が年寄と話をしたら、双方かみ合わないだろうな、と思ったりすることもあります。
銀行の窓口や行政の窓口でも、担当者の言い方に対して注文をつけている高齢者を見かけることがあります。でも私が担当者のかたたちから高齢者に話すような速度で、しかも大きな声で説明されたりすると、「この人何考えてんだろう」と思ってしまいます(これまでそんな経験はありませんが・・・・)。
★話す速度。
★声の高低。
★語尾の調子。
★言葉遣い。
★声の大きさ。
こちらも、若者と話すからとわざとらしく若者言葉を使ったり早口で言ったりすることはありませんが、かといって年寄に話すように意図的に速度を落として、低めの声で話すと、相手はかえって身構えてしまうかもしれません。
自分が話す相手は世代が違う人ばかりではありません。取引先の人、仕事の同僚、親兄弟姉妹、親戚の人、近所の人、同世代の仲間、外国人など、さまざまです。
同質性の高かったコミュニティが社会に存在していたころはある一定の話し方で通じていたはずです。そこには方言や隠語なども含まれます。
いまは「携帯電話のしゃべりかた」と私が表現するような、もごもごとした話し方をする人も増えましたし(ようするに滑舌があまりよくなく、口腔内で音がしているような感じの人)、外国生まれで大人になってから日本にいらして日本語を話すかたもおられます。アクセントの違うかたもおられます(方言を含めて)。
「個の時代」となにかと取りざたされるこれからの時代。ときには自分の声の調子や速度、高低などに注意を払ってみるのも良いかもしれません。意思の疎通が効果的にはかれるように。相手によって言い方を変えたり速度を変えたり声の大きさすらも変える。
◆取引先の人。
◆男性か、女性か。
◆世代の違う人か。
◆外国人か。
◆地方(首都圏、都市部)の人か。
◆高齢者か若者か。
◆「地頭のいいひとか」(笑)→ いくつの人であっても、地頭のいいひとは少ない言葉数でも要点を伝えれば瞬時に理解してくれる人が多いです。高齢のかたであっても若者に話すのと同じ声の大きさ・速度で大丈夫のかたも多い。地獄耳なんだと思います(大笑)。
これらによって言い方は変わってきます。変える必要がある、ともいえる。意思の疎通を図ったり、仕事上の合意を得たり、してほしいことを伝えたり、約束を決めたり、相手との合意を得たりしなければならないことがあるからです。
●語尾が上がるか下がるかも注意してみる。
先日の記事で私は、「英語も日本語も、不必要なしり上がりの言い方(upspeak)は耳障りである」と書きました。そして、「いずれの言語も、意図をもって尻下がりの言い方をすることもときには必要」とも書きました。
言葉の途中で不必要にしり上がりの言い方をするのは、聴いてるほうは逐一同意を求められているか、さもなくば相手の自己顕示に付き合わされているかのような気すらしてきます。質問ではないのに言葉の途中にしり上がりの言い方(upspeak)が入ってくるので、思考が途切れるように感じるときもある。
「これっていわゆる●●●?かな?私的には●●●?だと思うんだけど、でもだれそれ的には●●●?みたいよ」と中年が言う。笑 (クエスチョンマークの部分はすべて、しり上がりになります)
反対に。意図的にしり下がりで言ってみると、威圧感や含み、重厚感が出せることもあります。非難の意図を含ませられることもあるので、しり上がりで言うのと同じく、しり下がりの言い方も取り扱い注意だとは思います。
さらに。同じ言葉なのにしり上がりかしり下がりかで印象が違ったり意味が違ったりすることもあります。たとえばこれも以前このブログでとりあげたことのある「クラブ」。世代によってアクセントが違う代表例かもしれません。
◆はし(橋、端、箸)
◆ドラマ(NHKの若手アナでもしり上がりで言うようになりましたね)
◆あめ(雨、飴)
●なぜ気を付けるのか。
世代間ギャップとか世代間憎悪、なんて言葉も最近聞くようになりました。人生100年で今日生まれた人との年齢差が100歳以上、というかたも日本にはたくさんおられます。私も年号でいえば三つの年号を生きています(笑)し、大先輩には四つ(大正生まれ)、といかたもいる。
そして、国籍は同じだとしてもひとりひとりの文化や物のみかた、生活が違うこともあります。少し前まではどの家庭にもテレビと固定電話がありました。だからたとえば宣伝したいことや伝えたいこと、営業をかけたいことは、テレビや電話が有効手段だった。けれどいまや、そのいずれも所有していない人間が増えています。私を含めて・・・。
もちろん、「電話での営業」は個人情報保護法という法律もなかった時代の話です。
反対に、日本で生まれ育つ外国籍のかたもたくさんおられます。長年の海外生活を経験してきた人もいる。海外で生まれ育つ人もいる。両親の国籍がそれぞれ違うという人もたくさんいる。
相手は自分の延長線上にあるのではない。ましてや、相手のものは自分のもの、でもない。だからこそ、相手と会話をするときは、ケンカするのが目的でなければ(?)相手に伝わる落としどころをさぐる必要がでてくる。そのための手段が言い方ということなのです。