今日はここ数日にわたって取り上げている、頭のなかが真っ白になるくらいにひっ迫した状況下について、なぜかいろいろなことが一挙におこるときの対処法について書いていきます。
<もくじ>
●いろいろなことがなぜか一度にやってくるとき。
●では具体的にどんなふうに解決していくか。
●人生の岐路のような大きなことではなく、日常的に起こりやすいこと。たとえば学校のことや仕事のこと。
このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日は「徒然なるままにひぐらし。」のカテゴリーで人生ドリルシリーズとして書きました。同じカテゴリーで前回書いた記事は下からごらんになれます。
●いろいろなことがなぜか同時にやってくるとき。
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頭がまっしろになるくらいひっ迫した状況のひとつとして、「なぜかいろいろなことが同時にやってくる」ということがあります。
先日のブログでは、そのときの対処方法として私がやっている以下のことを書きました。
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1) 自分の意志ではどうにもならないことがあることを認める。
2) まずはそれらを直視してみる。
3) 自分に落ち度はまったくなく、それでもなぜかいろいろなことが一挙にやってくるときは、「天からの人生ドリル」。
4) 事実として見る。
5) 1)から4)ができてから、「時間に制限がある場合」のやりかたを実行し始めたり、「他人からの余計な負のエネルギーに注意する」ことをしたりすることに集中していく。
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「これでもか」というぐらい、次から次へといろいろなことが起こることがありますよね。そしてそれは自分の落ち度で引き起こされたのではないものも多い。
たとえば、借金癖のある父親をもって生まれて、ある日彼が蒸発する。それにより取り立て屋がわんさと家に押し寄せたり、家族がその日に食べるものも困ってしまったり、心労と過労でお母さんが倒れてしまったり。自分は未成年であるのに、親の負の付けが回ってくる。
あるいは、双子を出産したばかりの時期に自分の両親が要介護になったり。私の知り合いが本当に体験したことです。
あるいは、より日常的に起こることとしては、スマホの調子が悪いときに限って、PCやWi-Fiの調子も悪くなったり、どこどこへ急いでいかなければならないときにその行く途中で電車が遅れたり道が渋滞したり急に家族から呼び出されたり、なんてことはよくありますよね。
自分に落ち度はなくとも、「なぜか」ものごとが一挙に訪れる。そのときは上記の3)のように、「天からの人生ドリルなんだ」と思うと気持ちが楽になるときがあります。
思い込みでいい。子どもだましだとしても。
なぜなら、論理的に考えてもなぜそれらが一挙に引き起こされるのが理解できないからです。だから、非現実的なものを引き合いに出す。よりよく生きるために。それらをひとつひとつ、冷静に解決していくために。
今日もあるラジオ番組を聴いていて、リスナーからのメールがなんだかとても「理屈っぽい」のです。男性が書いた、とすぐにわかりました。笑 それも、還暦をすぎた男性。
気持ちはすごくわかります。けれど、世の中には理屈で解決できないことも多い。論理性をつかさどるアタマだけでは解決できないこともけっこうあるのです。
なぜかいろいろなことが同時にたくさん起こる。そのときは天から「いまはこれを人生ドリルとして解いてごらんなさい」と宿題を出されたのだ、と思い込んでみるというのは、私が長年実践しているおすすめのやりかたです。
●では具体的にどんなふうに解決していくか。
頭が真っ白だからとそのままにしていては行動できません。
私はまずは冷静になるように自分に言い聞かせるところから取り掛かっています。どきどきと速い鼓動を深呼吸や腹式呼吸、瞑想を使って沈めていく。
「なんで急にこういうことがおこるんだろう」「どうやったらいいんだろう」などと自分のなかで不満たらたら述べたり実際に口に出してみたり。「なんなんだよ」と。笑
あなたはどうですか?
それでも私の場合は、無意識の領域ですでに目標地点はなんとなく感じています。「ゆっくりすべてを解決していく」という到達地点です。
頭をそのまま真っ白にしておく、ということはまずありません。そしてそこから逃げ出して、誰かにすべてをやってもらう、ということもほとんどない。
もちろん、人に手伝ってもらうことは多いにありますが、目の前に現れたたくさんの課題に対しては、最初に自分が能動的にかかわっていく。そのなかで、他の人が中心となってかかわってもらうべきことであればその人に依頼をしたり相談したり話し合いをするようにしたりしています。
●人生の岐路のような大きなことではなく、日常的に起こりやすいこと。たとえば学校のことや仕事のこと。
人生の岐路に立つようなことや生きるか死ぬかのような出来事は、日常茶飯事で起こるわけではありません。それよりも、たとえば学校のことや仕事のこと、家庭でのことなどで一挙にいろいろなことが起こる、というかたが私を含めて多いんじゃないかな、と思います。
私が母校青学の青山ビジネススクールに通っていた時も、これでもか!というくらいいろいろなことが起こりました。
私だけではなく同級生たちも仕事をしながらMBA取得に向けて学校に通っているのですからもちろん、毎日のようにいろいろなことが一度に訪れて当然ではあるのですが、たとえばこんなことがありました。
あるクラスでグループワークをしていたときのこと。私自身の仕事もかなり立て込んでいてクライアントから「まだですか?」なんて催促されていたような状況下(笑)(納期に遅れたのではなく、弊社独自のサービスの一環として、「できたところから随時、訂正を前提にお送りします!」ということをやっていたので)、なんだかグループがしっくりいかないのです。
リーダー格のかたがそれはそれは頭脳明晰で、それで私は「これはいい勉強になるだろう」と彼と一緒にやってもらうことにしたのですが、このかたはどこかまわりを部品かなにかと思っているようだと私は思い始めました。
私が「こういうのはどう?」というような意見を言うと「それはすでに分かり切ってることでしょ。敢えて言うほどのことじゃない」と切り捨てる。オブラートに包まずに。
それでもって、「グループ内のだれそれの考え方がおかしい。コヤマさんからこの方向に考えを持っていくよう、彼をコントロールしてくれませんか?」とメールがくる(これ、実話ですよ)。
いやぁ、ぶったまげました。自分が「正」で他は欠陥品のロボットかなにかなんだろうな、と思いました。彼の頭の中。
SNSにつくったという非公開のグループにすぐに入ってこないといっては「早く承認してくれませんか?グループワーク始められませんので」と要件を伝えてくる。
一事が万事、この調子です。
その課題に関して仕事でもかかわっているという専門性のある人が一人、メンバーのなかにいたのですが、このかたのことはやたらもちあげる。「さすが●●さんです」と。●●さんも(お名前はすっかりわすれてしまいました)このリーダー格の顔色を窺いつつ、なんかうまく波乗りだけしているようでグループに潤滑油を注ぐという雰囲気ではない。
気持ちがぐしゃぐしゃしましたね。
でも逃げるわけにはいきません。この小さな課題を逃げ出したせいで授業そのものの単位を落としたりしては学位の授与にたどり着けなくなってしまいます。
あのときのことを振り返ると、私はこんなやり方をして乗り切っていたことを思い出します。
日々いろいろなことで「これにどう対処しようか」と思っておられるかたのご参考になりましたら嬉しい限り。少し詳しく書いていきますね。
1) リーダー格の人間をよく観察する。
2) それと同時に、グループ内の人間たちもよく観察する。
3) 組織としてグループの力関係をよく見てみる。
4) リーダー格の人間には私が持ち合わせていない、スパコンのような頭脳がある。そこに私自身の意識を集中する。「勉強させてもらおう」という強い意志を持って。
5) リーダー格に信頼を寄せられている●●さんがどんな様子か、彼のこともよく観察する(うまく話を合わせているような気もしました。卒業すればリーダー格の人間に「呑みに行きませんか?」なんて誘ったりはしないだろうな、という感じ。その場をうまく乗り切ろう、ということ)
6) 自分の仕事はとにかくスキマ時間も使ってこなしていきました。
7) 仕事もグループワークもオンラインを基本とする。そうすると、移動時間が削減できます。→ いまの#StayHome 期間にも使えるんじゃないかな。
8) グループワークのSNSにもちゃんと参加する。
9) 対面のグループワークでも、調整役でもいいから、参加する。それぞれの言うことや様子にすべての意識を集中させながら。
10) もちろん、フリーライドはしない。
1)から10)までをとにかく必死にやっていた記憶がありますね。
たぶん、やりかたとして間違ってはいなかったと思いますよ。その証拠に、最後のほうにはリーダー格のひとは私にもこう言ってくれましたので。
「さすがコヤマさんです」
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