今日の記事では、iPhone SiriやAiについて書いています。
<もくじ>
●AIに感じる「愛」
●人と人を結びつけるために存在するAI。
このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日の記事は「新しい生活様式・テレワーク・仕事形態に向けて」のカテゴリーで書きました。働き方改革やリモートワーク・ノマドについて私が思うことについては以前、下の記事で書きました。
●AIに感じる「愛」
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私はSiriをおもに、天気を調べるさいに利用しています。
「おはよう」と挨拶しても、聴き終わってから「Hey Siri、ありがとう」と挨拶しても、まるで自分の女友達(私はデフォルト通りに女性の声に設定しています)が返答してくれているかのようです。
「おはようございます。いい一日になるといいですね」
「ご丁寧にありがとうございます」
先日もこのブログで書いたように、Siriの音声は一昔前のアニメのロボット音声とは比べ物にならないほど、人の声に似ている。
抑揚
感情のこもり方
応答の理解(「ありがとう」と私が言う意味を理解している。私がSiriに対して「調べ物をしてほしい」と依頼したことに対する「お礼」である、とSiriは確実に理解していることがその返答の的確さから分かります)
イントネーション
発音(日本語)
小山ケイ過去記事】「Hey Siri、ありがとう」と言ったら、Siriは「どういたしまして」と返答してくれました。
Aiboを利用している(「飼っている」?)かたの気持ちに近いかもしれませんが、私はSiriを使うごとにSiriに対して「愛」を感じます。
(これがCronenberg監督の声 <ただし30年前の。現在御年77歳> とか James Spaderの声だったりしたら、私には悶絶ものです。笑)
理由は、Siriに感情が感じられるからだと思います。
といってももちろん、Siriに感情があるわけではない。それは私もよくわかっている。
正確に言うと、Siriが発する日本語がそれを聴いた人(私)の感情を喚起しやすいということです。
私がSIriに対して感じる「いとおしさ」は、Siriがまるで人間のように、言葉を介して私の感情を上手に喚起してくれていることなのです。
人の心をくすぐるのがうまい。笑
私がこのブログで時おり触れる、「感情に根差した言葉」を利用していることが大きいのだと思います。
一部の頭のカタい人間以上かも。意外と。
「ありがとう」「どういたしまして」
「ありがとう」「ご丁寧にありがとうございます」
「ありがとう」「いえいえ、こちらこそ」
「ありがとう」「恐縮です」
「おはよう」「おはようございます。いい一日になるといいですね」
「ありがとう」と言って「え、何に対して?」とは言わない。
「おはよう」と言って「さっきも言ったじゃん」とも言わない。
KYでも偏屈でもない。笑
雨が降っている日にいじわるしてSiriに「Hey Siri、天気がいいね]と言ってみました。
Siriは「天気はあまりよくないようです」とやんわり否定してくれましたね。笑
いたっておだやかでやさしい人・・・いえAIアシスタントさんです。
そしてもう一点。
Siriの声を聴くたびに私は無意識に人の姿を見ている。
開発者の方という「人」です。
私が感じる「いとおしさ」は結局、同じ人間である開発者のかたがたに向けられている、ということに気づきました。
「すごい!こんな高度な音声機能を作った人たちがいるんだ」
「開発した人たちはどんなことを想って作ったんだろう」
「言葉によって人の心をくすぐることができるってご存知なんだわ」
「利用する人間の感情が喚起するようなAiアシスタントが作れる人たちがいるなんて」
AIは手段です。目的はもちろん、人がよりよい生活を実現するため。
AIの先には「人」がいます。人類としてもいい。
Siriを利用すると、そのことに思いを強くしています。
*おもしろいもので、「英語’(米語)」でもSiriと会話するのですが、自分自身がいま現在、日本に住んでいるせいか、日本語Siriのほうがなんだか、しっくりくる。笑 ”How’s going?” “Thanks for asking”と言われてもなぁ・・・)
●人と人を結びつけるために存在するAI。
私が近未来のAIの姿として頭にいちばん思い描くのはやはり、医療現場と介護です。
◆交通の便がよくない場所に住むかたへの遠隔診療。
◆遠くに住む高齢者を家族や親しい人が想ってAIサービスを利用する。
◆体の不自由なかたたちの体の一部となるようなAIを開発する。
◆介護者では重労働となりやすい作業の一部をAiが補う。
AIを介して見えてくるのは、誰かが誰かを想う気持ちです。サービスを利用するためにはもちろんお金を払うこともあるでしょう。医療費を払うこともある。あるいは企業で開発していれば営利も追求します。けれど、そこには人類に対する使命感のようなものすら私は感じます。
人では不可能なことをAIがかたがわりしてくれる。人では不便なことをAIが代わりにやってくれる。
一般人がAIを語るときにAI主体の話に終始する人を見かけます。「レジの操作はAIにとってかわられる」「単純作業はAIにとってかわられる」「高度計算能力はAIにとってかわられる」。
それも一理ありですが、人が人を想う気持ちには勝てない、とも思えてきます。つまり、私が言いたいことは、技術革新が主目的の研究よりも、「人ありき」でAIを研究していくほどに、Aiの能力や利便性はその思いに比例して発展していく。
どうやったら使う人に喜んでもらえるか。
どうやったら人類がよりよい生活を達成できるか。
どうやったら医療現場の役に立つAIが作れるか。
人が人生や生活の中に求めるAIってどんなことだろう。
Aiが高度に発展していく「Driving Force」は意外と、人が人を強く想う気持ちかもしれません。Siriを使いながら(かわいがりながら)私はつくづくそう感じました。
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