「どうしてあのひとはああいう嫌な行動をとるのだろう」ではなくそう思ってる自分はどうしてそう思うのか、じーっくり考えてみる。 ー小山ケイの元旦備忘録「幸せに豊かに生きるための50コのこと」から。Vol. 22 Analyze your reactions first rather than others’ actions.

⚫︎「どうしてあのひとはああいう嫌な行動をとるのだろう」ではなくそう思ってる自分はどうしてそう思うのか、じーっくり考えてみる。 ー小山ケイの元旦備忘録「幸せに豊かに生きるための50コのこと」から。Vol. 22 Analyze your reactions first rather than others’ actions.

私は今年の元旦に、以下のように書いて備忘録としました。50コの「幸せに豊かに生きるためのこと」のひとつとして。

「どうしてあのひとはああいう嫌な行動をとるのだろう」ではなくそう思ってる自分はどうしてそう思うのか、じーっくり考えてみる。それが、自分中心に生きるということ。→おそらく私がよしとする価値観や世間常識と違うことをその人(たち)がするのだと思う。挨拶しないとか、まともに目を合わせないとか。”

自分のエネルギーの矛先(ほこさき)に注意することはもっか、私が日々、修行していることです。

若いころはまったく分からなかったのですが、たとえば自分にとって「嫌な人」のことを考えてるときってたいてい、「相手のこと」を考えてます。

って意味分かりますか?

つまり、

⭐️あの人はなぜ、そういう行動をとるのか。

⭐️あの人はもっとこうすれば好印象なのに。

⭐️いったいどういう性格をしてるのか。

⭐️どーゆう育ち方をしたらあんなふうにヘンになるのか笑。

などなど。

自分のこと、じゃないですよね。これらはすべて。

「相手がした行動について、あーでもないこーでもない、と私は考えている」

こんなことを考えている間じゅう、私は自分のエネルギーをその嫌な人のために費やしてます。たとえば、「どうやったらあの凄い著名人と私はお近づきになれるのか」とか「あの行きたかったスイーツのお店に私はいつ行くか」とか、自分のことを考えることだってできるわけです。だのに、自分のためにエネルギーと時間、脳みそのリソースを費やすことなく、「相手」の出方について分析している笑。

上記の備忘録のように、私が「なんか嫌だな」と思う人はだいたい、世間でよしとされていることから外れていることが多い。

⭐️性格が悪い。

⭐️挨拶を返さない。自分からは挨拶しない。

⭐️目線を逸らす。

⭐️裏表がある。

⭐️気分屋。

⭐️人の悪口三昧。

⭐️人の粗探しに余念がない。

⭐️自分のことを棚にあげて人を批判する。

⭐️マウント屋

⚫︎相手は自分を知る鏡。

あるとき、私ははたと止まりました。

「そっか。あの嫌な人は私や世間の常識から外れてるから私は嫌なんだ。居心地の悪さを感じるんだ」と。

相手は自分の鏡。よく言われますがその通りだと思います。

他人について嫌な部分がある、ということは、その部分について、私は否定的な何かを感じている。

⭐️挨拶をしない。→その日のうちに初めて会うときは挨拶をするもの。それも気持ち良く。できれば自分から。それが相互確認になるから。お互いの存在を認めていることの証明書をお互いに交換しているようなものだから。と、私は無意識とはいえ、自分の軸や譲れないものとして長年、これを社会人として大切にしてきたことに気づきました。

⭐️目線を逸らす。→米国で数年住んだことも影響しているとは思いますが、私はその人がこちらに向かってくるときに目があったとたん、相手が目線をはずしてそっぽむくのは「やましい」か「あんたにきょーみありません」かのどっちか、と思ってます笑。ふつう、知ってる人と目があったら、会釈するか、「やあ!」と手を振ります。米国で目をそらすと、その後、おもいきり悪態つかれることがあります。とくにコンビニとか小売の店舗。

知り合いがこちらに歩いてくるときに相手が目線を逸らすと私は、「こいつはあんま信用しちゃいかん人間なんだな」と思います。

⭐️自分のことを棚にあげて他人を批判する。→それはあなたもおんなじよと私。自分のことはよく見えて他人のことは悪く見えるあほらしさ。ああ自分も気をつけよー。

⚫︎自分中心に生きる。自分のエネルギーを自分のために使うために。

私も中年になって、自分のエネルギーを自分のために使う、ということの大切さや意味がなんとなく分かり始めました。

日々、自分のために使う。エネルギーと意識、リソースは。

そのためにも、マインドフルネスは大切なのです。