●”Passive vs. Active.” 米国大学で習ったこと。「読む聴くは受け身。書く話すは能動的」
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米国の大学で、Writingのクラスで教えてもらったことです。
Reading (読む)とListening(聴く)はPassive(受け身)、Writing(書く)とSpeaking(話す)はActive(能動的)。
言われてみれば確かにそうだ、と納得がいきました。
読むことと聴くことは、誰かが発したもの(作品、作文、言葉)を受け止める行為ですが、書くことと話すことは自分から発するものです。ゼロからイチを生み出す、と言ってもいい。
使っている脳の部分も両者、どこか違う気がします。
読む、聴く、は極端な表現をすれば、眠い状態でもなんとかこなすことができるけれど、書く、話す、は交感神経を刺激しつつ、いったん目覚める必要がある。笑
●課題が膨大な米国四年制大学の学生生活を乗り切るためには「タイムマネジメント」
だから、課題が超人的に出される米国大学の生活を卒業まで乗り切るには(鬼出・・・)、読む、聴く、書く、話す、の性質をよく把握して、自分とまわりがどんな状態のときにするとベストか、を計画的に行う必要があります。
★朝の頭がクリアなときには入り組んだ構成が求められる論文執筆に充てる。
★授業の合間のほんのすき間時間には、じっくり読むというよりも概要をつかむために出されたようなAssignment(課題)の本を1、2ページ読む。
★教室から教室の移動の際はまだ手をつけていないpaper(レポート)の内容を歩きながら考える。
★授業が終わった夕方以降はわりとじっくり時間が取れるので教授のOfficeへ質問に行く。
★大学院生の人にpaperの文法を一緒にチェックしてもらう。
★学校の図書館に行って論文執筆にあたったり調べ物をしたりする。
★寮に住んでいればガヤガヤうるさい夜ごはん時には自分の好きな音楽をヘッドホンで聞きながらpaperを書く。
★ヘッドホンをしながら録音した授業を書き起こす。
★周りが寝静まって自分もそろそろ眠気がやってくる夜遅い時間にはassignmentの本を読む。
こんなTime Managementが必要でした。
●「読む聴く」偏重の日本人の英語
日本の学校教育や日本のかたをみていると、passive(受け身)にものすごく力を入れているように思います。
受験の評価箇所も読む、聴くに重点が置かれていて。
でも表現としての英文作成や話す・発表するというactiveは、採点する側の能力も求められるせいか、読む、聴くと比べて、比重が少ない。
TOEICがそうです。
だから、「TOEICで満点とったのに、話せないんです」とおっしゃるかたがおられるのかもしれません。
語学ってどれか一つが欠けていても成立しない。
こつこつと読んだり聴いたり書いたり話したりをバランスよくこなして、ようやく自分の潜在意識の中にその言葉を根付かせることができる。
たまに、「あたしは書くのはダメだけどしゃべりはOKなんだ」なんて言う人がいますが、「それって、あんまたいしたレベルじゃないな」って私、毒舌吐いております。笑
●英語で相手を「You」と呼ぶからと日本語でも「あなた」と単純に置き換えてはいけない。
帰国子女でアメリカンスクールに通うあるタレントさんが、「あたしは日本語は完璧」、とご自身でおっしゃっていたことがあります。
たしかに発音も文法も日本語としてはおかしくない。
でも、初対面で目上の芸能人のかた(芸歴の長いかたです)を二人称代名詞で呼びつけた時、私は「ああ、語学は発音がよくて文法が正しいだけでもだめなんだわ」と悟りました。
初対面の先輩や社長、会長に向かって、「あなたとは初対面でしたよね、僕(私)」って、かなり失礼に聞こえます。
二人称代名詞にしてしまうことで、相手を物体として扱っているような印象を受けるからだと思います。
「●●社長とは/●●会長とは/●●先輩とは初対面でしたよね」というのが一般的な日本語ネイティブだと思います。
●●のなかには、相手のかたの名字が入ります。
●みんなで田植えをしたり五人組で生活したりする社会にはぐくまれた日本語
一人称代名詞と二人称代名詞を厳格に利用して、それぞれを個人という「個」にして明確にする英語とは違います。
日本語は個人主義の社会で長年、はぐくまれた言葉ではない。
日本語をネイティブとして使っていると、まるでみなでいっしょに田植えをしたり、「五人組」で集団として行動しているかのように、相手の立場・目線に自分の立場・目線を溶け込ませることで相手との一体感を醸し出したり結束感を生み出そうとしたりしているような感覚になることもある。
英語と日本語の違いは遊牧民と農耕民族の違い、なんていう人もいますが。
*五人組、知ってますよね?日本の五人組。
日本史を勉強していれば、
たんなる「five people」じゃないって
ご存知ですよね?
●相手の目線と自分の目線が交わる言語vs. 自分の目線(空間)は相手とはどこまで行っても交わらない言語
だからかもしれません、否定形が入っている相手の質問もいったん自分でうけて、「はい、たばこは吸いません」「いいえ、たばこは吸います」と肯定形・否定形に、否定文・肯定文がついたりする。
「お父さんはね、お母さんはね、先生はな」と相手の目線に自分からすり寄って自分の主語(s)を「相手から見た人物」(父親、母親、教師)という三人称に変えたりする。
相手がどんな尋ね方をしようが、相手の物理的・心理的テリトリーの半径1メートルほども入り込むことなく(笑)、自分がたばこを吸うか、吸わないかという客観的な事実に冷徹なまでに即して、
No, I don’t smoke.
Yes, I smoke.
と答える文化とは違う。
英語は相手の個と自分の個が交わったりしない。
相手がDon’t you smoke?と聞いてこようが
Do you smoke?と聞いてこようが、
You smoke, right?と聞いてこようが、
You don’ smoke, right?と聞いてこようが、
「自分」が吸わないのであれば、
No (I don’t smoke).と答え、
「自分」が吸うのであれば、
Yes (I smoke)と答える。
この感覚が自分の肌感覚、つまり潜在意識のレベルで理解できるようになると英会話のあらゆることに無意識で応用しはじめます。「頭(考える部分)」じゃないです。
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●目上の人を「あなた」と呼びつけられるのか。日本語で。
くだんのテレビ番組でも、帰国子女でアメリカンスクールに通うタレントさんから二人称代名詞「あなた」で呼ばれた芸能人のかたはもちろん、会場も凍り付いたようになったのを今でも覚えています。「あなた、だってさ」と言いながら。
私が思い出せる範囲では、芸能界において、誰に対しても「あなた」と二人称代名詞で呼びかけられるかたは黒柳徹子さんぐらいしかいらっしゃらないと思います。笑
私が使うときも意図を持っています。
相手がうんと年下で、「私」と別個の人間であるということを促すときとか、あるいは年上の人間であっても私が抗議しようとするとき。
「ざけんな」と腕まくりしながら。
外国語をある程度使いこなせるようになるには、文章を自分で実際に書いたり本をじっくり読んだりその言語を話すネイティブたちから話をたくさん聞いたり、彼らの歴史を学んだり彼らの社会を学んだりしながらその言葉が使われる文化的背景とかコンテキストとかを理解して潜在意識のレベルまで落とし込まないとだめです。
次回は、私の本業でもある「英語(外国語)でまとまった文章を書く」ということについて、触れてみたいと思います。それがどう、「話す」ということにつながっていくのか、私の頭をかぱっと開いて、秘密を公開しちゃいます。笑イ:
小山ケイ:東京都港区赤坂5の5の9一階MBE114
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