「疑心暗鬼」という「鬼」に気をつける。 ー小山ケイの人生ドリル Be careful of demon-like suspicious mind called “Gishi Anki”

今日の記事では、母校の青学から単位をもって米国大学へ編入学して卒業し、15年以上に渡って「サステナビリティ・ESG・気候変動」などに特化した専門翻訳会社を経営しながら再び青学(大学院)へ戻ってMBA(修士号)を取得した私・小山ケイが、「米国英語の発音」、なかでも「ラリルレロ変化するように聴こえるもの」について書いていきます。

<もくじ>
「疑心暗鬼」という「鬼」に気をつける。 ー小山ケイの人生ドリル Be carefu of demon-like suspicious mind called “Gishin Anki.”
●さて。小山ケイ流「鬼退治の方法」

このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日の記事は「徒然なるままにひぐらし。」のカテゴリーで書きました。同じカテゴリーの過去記事は下からご覧になれます。

⚫︎「疑心暗鬼」という「鬼」に気をつける。 ー小山ケイの人生ドリル Be careful of demon-like suspicious mind called “Gishin-Anki.

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私がもっか取り組んでいる課題のひとつです。

「疑心暗鬼」。よく知られた四文字熟語ですよね。おそらく中国語由良l。この鬼、ホントにいるのですよ。少なくとも私の心の中には。それもかなり若いこらから。

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この鬼の存在に気づいたのはなんと、古寺で坐禅を組み始めてから。

座禅が終わった直後から私の精神状態がひどくなることについてはすでにこのブログで書いています。私の中の鬼は、かなり誇張された状態で姿を表しました。

こんな感じで。

★なんなの。あの人のあの態度。私への抗議?

★あの人は私を嫌ってる。

★あの人は私を仲間はずれにしようとしている。

★あの時のあの人のあの態度(かなり昔の話です)は、私を馬鹿にした態度でしかない。あの人は私を馬鹿にしていたのだ。

数え上げたらキリがありません。

疑心暗鬼って本来は、いるはずのない「鬼」がさも暗闇の中にいるかのように疑い深くなる、という意味ですよね。つまり、妄想に振り回される。

でもいるのです。私の中には。

「おまえは嫌われ者だ。悪いことしか起こらない。だから周りもおまえをおとしめようとしている」

鬼の声はわりと小さめなのですが、私の中の無意識という領域に長年、まるで病巣(びょうそう)のようにしていつまでもいつまでも居座りつづけているのです。

幸いなのは、私がこれをとても客観的に把握していること。しかも、鬼の声が大きくなるのはたいてい、古寺での坐禅の後。

こんなにも、自分の姿がありありと見えたのは驚きです。

キリスト教の聖書には、イエスが山中で修行中(たしか、断食)、悪魔に出会う逸話が出てきます。イエスの逸話と自分の精神状態を重ね合わせるのはおこがましいとは思いつつ、「ジーザス(Jesus)もご自身の中の悪魔(断食であれば、空腹からくる幻覚など)と戦っておられたのだろうか」と自分をなぐさめてみたり。

でもやっぱりキツイ。疑心暗鬼の状態は。

⚫︎さて。小山ケイ流「鬼退治の方法」

疑心暗鬼の「鬼」を題材にした映画やテレビドラマは洋の東西を問わず作られてきました。

誰の作品だったかは覚えてないのですが、自分の妻が自分の友だち(男)と最近、何やら仲良くて怪しい。こそこそとやりとりしている、不倫だろうか、と。その思いが次第にエスカレートしてとうとう、主人公は妻の殺害を計画します。

殺害を決意したその日、部屋に男と妻が消えるのを見計らって主人公は凶器を手に二人が入った部屋の扉を大きく開けます。凶器を高々と握りしめて。

「サプラ〜イズ!」

主人公が目にしたのは、二人以外に主人公と仲の良い友だちなどがあつまった華やかな光景。

カラフルな風船やリボンなどでかざりつけられた部屋の中央には、主人公の名前がチョコレートペンなどで書かれた大きなバースデーケーキが。妻と男友だちの満面の笑みと主人公が力強く握りしめながら今にも振り下ろさんばかりの包丁が重なるシーンで話は終わります。

あれはヒッチコックの作品だったか。松本清張の作品にもにたような話があります。私は自分の「鬼」の姿がしっかりと見えたとき、いつもそんな物語を思い出すのです。疑心暗鬼という四文字熟語とともに。

1疑っているのはたいてい、人に対して。その人に対する他の人の評判や接し方を見てみる。

2その人の何かが、私の期待するものと違っていることが分かる。

3その人と会う前はあえて坐禅は組みにいかない大笑。自分でも疑心暗鬼なのはわかっているから。

4私の中にある、「疑心暗鬼」の気持ちをよく見つめる。→子どものころから、人の態度にわりと敏感。それが過剰になると、疑心暗鬼になりやすい。

5この繊細さ、敏感さを、「GIFT」として生かす道を探る。人生後半戦のドリルとして。→人に対する高い共感性として良い方向にいかせないか?クリエイティブな活動にいかせないか?