新卒で信託銀行へ就職し、MBAを取得して、15年以上に渡って「気候変動・地球温暖化・ESG投資・環境CSR」に特化した専門翻訳会社を経営する私・小山ケイが、今日の記事では叱ることと褒めることについて書いています。
<もくじ>
●私が叱られた経験。
叱られた以上に褒められないと、萎えます。
●褒められるところをいつも探してみよう。
いつも叱る人が褒めると、その効果は大きい。
逆もまた真なり。
●私が叱られた経験。叱られた以上に褒められないと、萎えます。
先日、このブログで、私がペーペーの新米銀行員だったときのことを書きました。
そのときに、いちばん年の近い上司として、2歳年上の女の先輩が私につきました。
口数の少ないおとなしい人で、さらに年上の上司たちのいうことをとにかく素直に聞く方でした。
「奥さんにしたいタイプだよね」
そんなふうに男性社員たちに言われたこともある人です。
このかたが、私のことをとにかく叱るのです。
それも、意図的に。
のっけの挨拶が
「私は同じことは2回言わないから」
でした。
いや、こんなのは当然っちゃぁ当然なんですから、どってことない。
仕事をしにきてるんですから。
いつまでたっても仕事を覚えず、先輩たちに「これってどうやるんですかぁ?」なんて何度も何度も聞きまくってちゃいかん。
そんなのはわかってんだ。
だから私は、
「あたしにこんなこと言うなんてお門違いだよ」
そう思いましたね。
売られたケンカは買う、を信条としていた私としては、その日から彼女の言うことを一言一句、彼女の言ってるそばから漏らさずにノートに書きつけて、日々、復習しました。
私も元来、中途半端なことは嫌いなたちです。
できないことは何度も何度も繰り返してできるだけできるように努力をしますし、できたらできたでさらに、もっと上を目指そうとする、のが私です。
よっぼど飲み込みの悪い人をこれまで相手にしてきたのかもしれません、
その女の先輩。
いいんですよ、きついこと言ったり、叱ったりしても。
私も間違ったり、へまをよくやりました。
そのたびに指摘されるのはしょうがない。
でも、叱ったらその2倍、褒めなくちゃいけない。
それだけ、「叱る」というのは叱られた相手にとってはものすごく精神的にまいることなのです。
それも、プライベートな話はほとんどしないうえに、アイコンタクトもなく笑顔すら見せない人が叱るときだけはしっかり感情を込めてくると。
極悪人でも相手にしているかのように。
自分が間違ったことをしているから叱られた、と分かるのであればなおさらです。
私の先輩は、意識して私の間違いを探しては叱ってきましたが、誉め言葉はいっさい出なかった。
「褒めると図に乗る」
そんなふうに思っているふしがありました。
だから私は次第に、仕事に対するモチベーションもやる気もみるみる下がっていったのです。
どうせ頑張っても
このひとは何も言わない、
げんに、ここまで、
1度言われたことはほぼ、
聞き返すことなくすべて
できるようになっているのに
それを「本当に一発で覚えたね」
と褒めたことは
1度もない。
そのくせ、
すこしのミスでもあろうものなら、
「なにやってんの!」と言ってくる。
親の仇みたいに感情込めて。
「大人なんだから自分が褒めれば十分でしょ」
そんな反論が聞こえてきそうです。
褒めなければ褒めなくていい。
私が言いたいのは叱ることと褒めることはワンセットということ。
とくに上の立場の人間が下の立場の人間を叱るときは。
その人が「叱る」選択をしたのなら、同時に「褒める」行為もしなければならない。
褒めたくないなら、叱ってもいけない。
今の時代、叱るだけならパワハラです。相手に褒めるところがちゃんとある限り。
弱い立場である下の人間はパワーのある上の立場の人間に指示を与えたり指摘したりはなかなかできない。
だから言われるままとなる。新人であればなおさら。
叱られても「いいところがあったらそのときは叱った分とおなじくらい褒めてください」とは言えない。
「私は同じことは2回言わないから」
いう文言にしても、響きはとてもきつい。
「忙しくて何度も教えられないと思うんだ。
私もまわりも。
だからメモでもとって
頑張って覚えていってね」
と言えばいいだけのところを相手をわざわざ敵に回すからには、言った人間自身も重い責任を負うという覚悟が求められる。
だから、
「これって私、まえ教えたっけ?」
なんて言ってはいけない。笑
しかも、人が必死に書きつけたノートをのぞき込みながら。
2回言わない、と宣戦布告したのなら、自分の教えたことも1回で「これは教えた」と覚えておくということ。
メモか手帳にでもしっかりと書きつけて。
ですよね。
(おまえも覚えとけ、と思いましたよ、私)。
ようするに、彼女自身にも甘えがあったわけです。
自分と私に対して。
「厳しく言っときゃ新人もびびってまともになるだろう」
まぁそんなところでしょう。
彼女が寿退社するときに、
「私が辞めた後にコヤマさんにがんばってもらわないといけないと思ったから、あえてきつく叱ったの」
と言ってきました。
お互い、幼かった。
私も右から左で受け流すことができず、彼女の叱る内容をちくいち、真面目に受け止めては傷ついていたので、心が疲れましたね。
「叱る」という行為は、相手に文字通り、鞭をふるっていることです。
だから慎重に使うのと同時に、普段からしっかり、その人の良いところを把握しておいて、叱った何倍もの愛情をこめて褒められるときに褒めないと、相手はあなたにぶたれた鞭の痛さしかあなたから得られるものはないのです。
「ここで褒めてくれたら、もっともっとやる気になるのに」
と私は何度思ったか分かりません。
私は自分の新人時代に、ひとが他人を叱るときは、その2倍は褒めなければ、相手は気持ちが萎えてしまう、ということを自分の経験から理解したのでした。
これは自分の子どもに対しても同じです。
●褒められるところをいつも探してみよう。いつも叱る人が褒めると、その効果は大きい。逆もまた真なり。
いつのころからかすっかり忘れてしまったのですが、たぶん米国大学に留学したころでしょう、私は他人の良い点や見習いたいところを無意識に探してはそこに意識をフォーカスするようになりました。
これはもしかしたら米国人のおかげかもしれません。
人の良い面を探しては、それを言葉に表して
Good for you!
Good job!
だのと言ってくれる大人が米国には多かったからです。
人の良い面を見つけるのが上手な人が多かった。
きさくで笑顔のある人たちに褒められると、心がとてもふんわりとくすぐったくなりました。
「叱咤激励」だの「改善(Kaizen)」なんて言葉があるぐらいですから日本文化のなかに「(自他ともに)厳しく叱る」ことが価値観としてあるように思います。
「叱る」という鞭を振ることを選択するひとは、同時に、その相手の良いところも神経を行き渡らせて探しておく必要があります。
叱られてのびる人と褒められてのびる人がいる
とはよく聞くことですが、叱る側は、相手に
「私は、飴も鞭もちゃんと使いこなせる人間である」
ということを知らしめておくことが褒めることの目的です。
そのサジ加減は、相手との距離感や関係性、日ごろのコミュニケーションの密度、そして相手のやる気や性格にもよるでしょう。
でも、間違っていけないのは、叱りっぱなしで終わる、ということ。
褒めることは、相手にスキを見せたり相手を図に上らせたりすることではない。
あなたさえちゃんと、手綱(たづな)を握っていれば、あなたの誉め言葉はあなたに対する信頼につながります。
私の経験でいえば、残念ながら私はその女性の先輩を信頼することができなかったです。
結局。
さいごに。
人ってたくさん、いいとこありますよ。
たとえばこんなとこ。
1) いつも笑顔がある。
2) いつも身ぎれい・小ぎれいにしている
(清潔感が必要な職種にはもってこい。接客業はとくに)
3) 初対面の人の名前もすぐに覚える。
4) アイコンタクトがいつもある。
5) 気遣いがある。
6) 語彙が豊富。
7) 前回のことをちゃんと覚えていてくれる。
(「旅行に行くっておっしゃってましたよね。どうでした?楽しかったですか?」)
8) 聞き上手
9) 相槌上手
10) 人の悪口はいっさいいわない。
まだまだいっぱいありますよね。
よろしければぜひ、ご自身でお友達や近所の人、会社の人などの良いところを挙げてみてくださいね。
あなたが天下の褒め上手になるために
“【人を育てる】ひとつ叱ったら最低ふたつ褒めなきゃ。萎えちゃうよね、叱られたひとは。” への4件の返信
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