部下(後輩・同僚)が仕事できない?いやいや、自分の教え方をまずは振り返ってみましょうね。笑

今日の記事は、私の実体験に基づいた「他人ができないと思っている」人に向けた、チェック項目を含めた記事を書いています。

昨日は下の記事を書きました。

●部下ができない、あるいは他人ができない、というまえに、まずは自分の教え方、伝え方を振り返ってみましょう。

★「これやってあれやって」

以前、このブログで書きましたが、私がぺいぺいの新卒銀行員だったとき、直属の上司である女の先輩は、私に「これやってあれやって」とやりかたは言ってくるのですが、それを「なぜやるのか」はまったく伝えてこない人でした。

もちろん、段取りなんて、ありません。笑

そのときは私も言われるままに必死にノートに書きつけて、「そういうもんなんだ」とやりかたを覚えるようにしていましたが、中年になったいま振り返ると、「あの人、教え方はあんま(り)うまくなかったな」と私は思います(爆)。

(だいたい、質問すると、「そういうものなの!」と怒られましたので。「あなたの教え方はへたくそです」なんて口が裂けてもいえませんよ。笑)

今の私にとっては、娘みたいな年齢のひとです。

若いがゆえに、ものごとを俯瞰してみたりより相手が理解しやすいように伝えたりすることができなかったのでしょう。

でもこういう教え方のひと、年食った人でもわりといます。

なぜやるのか」を伝えると、その物事の

1)必然性や

2)論理性、

3)段取り

自分で理解できるようになります。

そうなると、「理にかなっている」からそれを忘れずにできるようになりやすい。

部下や年下の人たちを成長させられる人とは「なぜ」を言葉で教えられる人です。

そして、自主性・自律性を促せられる人。

怒鳴ったり叱責したりすることなく。

「これやってあれやって」では、やりかたそのものを一生懸命覚えようとはしますが、上記の1-3が根本的にわかってないので自分の頭で考えたり応用したりすることが難しいのです。

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★さらに高度な教え方

先回りして起こりうることを察知することです。

「こういう間違いをおかしやすいから、それはこういうやりかたをすると未然にふせげる」

「こうなってるとひとはこう思いやすい。けれど、それは間違いにつながるからここに注意するといい」

 

この教え方の利点は、

1) 相手のミスが防げるだけではなく、

2)相手の気持ちに余裕を与えられるということ。

「あ、ほんとだ。こうしておけば、ミスにならない。ほぉ、よかった」

それが最後には、教えてくれたあなたへの信頼につながります。

だからこそ、いろいろなことを経験して失敗したりやりかたを試行錯誤しなければならないのです。

先輩であるあなた自身が。

わざわざ相手に間違わせる必要はありません。

間違わせて、「ほら、みたことか!」と怒鳴っても、相手は委縮したりやる気をなくすだけで

逆効果です。

部下がやる気をなくしている様子なら、もしかしたらあなたの教え方に問題があるのかもしれませんよ。

自分の延長線上に相手を置いても、しょせん他人なのだから相手が自分と同じ「映像」を頭に思い描いているとは限らない。

ここでも、「イタコ」する能力が必要になってきます。

映画「ゴースト」のウーピー・ゴールドバーグみたいに、相手に乗り移って相手の心を読む。笑

★チェックリスト

1) それをなぜやるのか、伝えましたか?

2) おこりうる間違いについて、事前に情報を提供しましたか?

3) その作業の難易度を伝えましたか?

4) 自分はそれをどんなふうに間違ったか、

自分の体験をたくさん、伝えましたか?

5) ゆっくり、活舌よく、伝えましたか?

早口はまるで、けんかをうっているか、わざと教えないようにしているようにしているか。

そんなふうに聞こえることがあります。

私が教えられる側に立ったときの経験からそう感じます。

 

●人間のやること、間違いがあって当然、という前提が必要です。マンパワーで何かをする場合。それができないなら、AIに頼みましょう。

ときどき出くわすのがマンパワーでやることをさいしょから完璧にこなせなかったり間違ったりするといきなり怒り出す人です。

おいおい、と思いますよね。

最悪なのは、それを教えてもいないのに「おまえはやりかたを間違っている」、と怒り出すやつ。

(知らねぇっつーの)

 

何かを確認する作業をしているとした場合、人間の目で確認作業するのであれば、かならず「漏れ」「誤認」があります。

かならずです。

しかも、確認作業する人数が少なければ少ないほど。

その間違いがどうしても許せないのであれば、AIをはじめとする機械を利用しなければなりません。

彼ら(?)は完璧にこなしてくれます。

情状酌量なんて入り込む隙間もないほどに。

 

「人間がやること、小さな間違いはあって当然」

 

これは社会生活を他人と営むうえで大前提です。

この大前提がすっこぬけてる社会は息苦しい。

 

ピアニストのフジコ・ヘミングさんがよくおっしゃるのは「ミスタッチがあって当然じゃない?人間なんだから」

私もこれまでの長年の人生において、自分がすることは間違いがあって当然、という思いでやってきました。

だってホントにたくさん、間違ったから。

もちろん、人も小さな間違いがあって当然。

間違いとはもちろん、エラーのことです。計算間違い、チェック漏れ、勘違い、思い込み、などなど。

だから、間違いを最小限にとどめなくてはならないものは、できるだけ何度も確認したり、おちついて取り掛かるようにしたり、時間に余裕を持たせたりしてきました。

 

「自分は人間なんだから、間違っている箇所があるはずだ」といましめのように言い聞かせながら。

たとえばテストの答案です。

緊張して頭が真っ白になってしまって回答場所を間違うこともあります。

なにか勘違いして違う公式を利用することもあります。

だからできるだけ気持ちを落ち着かせて、自分のしたことを何度も何度も確認します。

疑いの目を持ちながら。

自分に対して。

 

自分を過信してはいけない。

自分はエラーをおこす人間だから。

思い込んでいることもあるから。

勘違いしていることもあるから。

回答場所を間違うこともあるから。

待ち合わせの時間を間違うこともあるから。

人から伝えられた情報を間違って理解していることもあるから。

小さなエラーなら修正したり自分だけのこととできるけれど、大きなエラーを起こしてしまってひと様を巻き込んだりしてはならないから。

だから、自分に対しては疑いの目を持つくらいでちょうどいい。

 

いたましい事故がニュースで伝えられることがあります。

ひとごとではありません。

自分のこととして、反面教師として、自分は間違いを起こす人間なのだ、だから、自分を過信してはいけない、といつも自分に言い聞かせるようにしています。

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