今日は1月1日に書いた記事から、「強烈な審美眼を持つ」ということについて書いていきます。
1月1日の記事と昨日の記事は下からごらんになれます。
(我が母校青山学院の駅伝チームOB森田くん、下田くん、一色くん、林くん等々が就職したGMO社です!私がひそかに応援してきた島貫温太くん(帝京大)もGMOチームへの参加が決まりました!やった。実業団からも目が離せなくなります)
●学校では教えてくれない、「強烈な審美眼を持つということ」。
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自分独自の強烈な審美眼があると、まずは人生が豊かになります。「これだ」と自分が自分の「感覚」を信じて突き進む芸術アートの世界や文化。
著名なだれそれさんが良い、と勧めたからこれは美しい、あるいは世の中が認めたから、でも面白いですが、私の実体験からすると、それも30代半ばぐらいまで。というのも、それ以降も人に左右されると自分オリジナルの世界は広がらないですし、自分が自分を認めるという自己認識作業も停滞しがちです。
自分独自の審美眼を持つことは確固とした自分につながります。だからぶれることが少なくなるうえ、自分に対して納得できることが多い。だからこそ、心が豊かになって、そして幸せな気持ちにつながっていくのかもしれません。
情報過多、個人が発信する時代、と言われる2020年以降。まわりに振り回されることなく自分独自の強烈な審美眼を持つことをぜひ、いろいろなかたにお伝えしたいと思っています。
●審美眼とはたとえばどんなところで現れるか。
審美眼、と聞いて私が真っ先に頭に浮かぶのは、北大路魯山人です。性格もかなり個性的なかただったようですが、作品や語録、エッセイなどから感じる北大路魯山人像はとにかく強烈な審美眼のかたまり。北大路魯山人ブランド、とでもいえばよいでしょか。
余談ですが、ブランド(brand)とはよくいわれるようにもともと、牛に焼印を押したことから発展していった言葉です。「北大路魯山人」と書かれた焼印がじゅぅっと熱く、あちこちに焼き付けられていく。私の頭の中にはそれが映像として浮かぶほどです。
★作品、アート・芸術としての料理。
★食べること。食べ物。食べ方。
★食器
★語録。
★いきざま。
エッセイをよんだことがあります。人間の体の各パーツを「狂言師」に見立てて「食べる」ということをおもしろく表現しているものがあります。どうしたらそんな発想ができるのか、と私はうなりました。何度も楽しく読み返したものです。
口や鼻、目は匂いや見た目でいろいろなものを食べる。それを胃袋が「なんでも食いやがって」と言う、というような内容。ああたしかに。
世界的な名店、と言われる海外のレストランでも自分の審美眼を貫こうとする。賛否はあるかもしれないけれど、料理はアート・芸術であり妥協を許さない魯山人の姿勢が垣間見えます。
自分の世界を深く貫いていく人生はそうとう豊かだったはずです。聞いたところでは不遇な幼少時代を送ったようなので、その悲しさや淋しさを埋めるもが分自身の強烈な審美眼だったのかもしれないですね。
●自分独自の世界を貫くのは孤独。けれど流されておしまい、では得られない豊かさと幸せが。
アーティストや表現者がそうですよね。自分がよし、とする世界を貫いていく。もちろん、上記の北大路魯山人も私にとってはアーティストであり表現者です。
周りの誰からも賛同されないかもしれない可能性はある。けれど誰かに影響を受け続けて流されて一生を終えるよりもずっと、「自分の世界を極める」ことで得られる自信や充実感、達成感があることは想像に難くありません。
2020年以降、ますます「個が世界に向かって表現・発信し、個と個が国境すら超えて共鳴しあえる時代」に突入します。人類がまだ経験していないダイナミズム。北大路魯山人すら経験していない。笑
そのときに、自分の強烈な審美眼が光を放ちます。ブランドとして。焼印をあちこちに押しまくりながら。「uniqueだ」「面白い(interesting)」と言われながら。
「審美眼、なんて学校じゃ教えてくれない。だからよくわからない」という若いかたは多いと思います。私が自分でも経験してきたことから、「こんなことをやっていくと、自分の強烈な審美眼につながるんじゃないかな」ということをあげていきます。上記の通り、自分の強烈な審美眼は豊かで幸せな人生につながります。AIが代替不可能な分析判断能力ともいえる。これからのCreativity-oriented society in “Global Village”においては。
★魚文化の日本で生まれ育ったのであれば、魚について勉強してみる。
例)「あんこうの七つ道具」
例)魚のさばきかた。
例)つり。
例)出世魚とその名称。
例)おいしい食べ方を知る。
例)それぞれの「旬」を知る。
★伝統芸術に触れる。
例)文楽。
例)歌舞伎。
例)着物
例)なになに道、と呼ばれるもの(茶道、香道、華道など)
★音楽をたくさん聴く。審美眼に多面性と深みを持たせるため。
例)私にとって「オーケストレーションの魔術師」はチャイコフスキー。「悲愴」(3楽章がど派手なのでつい拍手をしそうになりますが、4楽章の哀しい海の底に沈んでいくような曲調は思わず涙が出そうになります)
例)情熱的で抒情的な曲を聴くならショパン。「エチュード『革命』」
例)瞑想をしたり心を落ち着けて「天とつながる」ならバッハ。
例)小さなテーマが何度も何度も繰り返される心地よさを感じたいなら、フィリップ・グラスや坂本龍一。
例)元気になりたいならGuns ‘N Roses (最近のAxlの声はカウンターテナーのような艶があります)
★カフェに行く。
★陶芸について勉強する。実際にやってみる。
★各宗教で古くから読まれている書物を読んでみる。
★古今東西のあらゆる文化・芸術作品に触れてみる。いわゆる「西洋のもの」だけではなく。
例)インドネシアのガムラン
例)インドの「Classical music」
★いっけん「不完全」と思われるものにも心を向ける。
例)欠けた高価で美しい茶器→ 昔の人の審美眼による「金つぎ」という技法。
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“2020年以降、強烈な審美眼を持つ。In some crucial point, you must judge things based on your own unique criteria.” への1件の返信
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