小山ケイの人生ドリル110 - 「人との距離感を勉強してみる」Learn appropriate distances from others.

今日の記事では、新卒で銀行員となり、その後も15年以上に渡って「サステナビリティ・気候変動・地球温暖化対策・環境CSR」に特化した専門翻訳会社を経営する私・小山ケイが、「人との距離感を考える。人生ドリルとして」ということについて書いています。

<もくじ>
●小山ケイの人生ドリル110 - 「人との距離感を勉強してみる」Learn appropriate distances from others.
●年齢や世代も関係してくると思う。
●距離感を考えると、どんな良いことが起こるだろうか。私が考えること。
●「人との距離間を考える」人生ドリル。実践編。

 

このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日の記事は「徒然なるままにひぐらし。」のカテゴリーで人生ドリルシリーズとして書きました。同じカテゴリーで書いた前回の記事は下からご覧になれます。

●小山ケイの人生ドリル110 - 「人との距離感を勉強してみる」

人との距離感は腹八分目でいい。

大人になるほどにそんなふうに耳にするようになりました。

「6割でいい」と数字で表現されて納得することも。

ああ、ほんとにそう。

4割の重ならない部分があるほどほどの付き合いであれば、お互いの違いも「あとの6割が重なることもある」と思えるときがある。

★事情

★生活環境

★家庭環境

★家族構成

★住む場所

★職業

★宗教(無宗教も含めて)

★学歴

★理系か文系か

★趣味

★健康状態

★精神性

★性別

★年齢

★世代

★(そして、日本であればもしかしたら)血液型

★星座も??

私などは、人との距離感は5割以下でもいい、と今は思っています。

上記のような違いによって、思わぬ時に相手から負のエネルギーを受け取ってしまったり、「6割の付き合い」でうまくいっていたはずなのに、それぞれの状況が変わってしまい(上記の★じるしのいくつかが)、どうもしっくりいかなくなったり、ということをこれまでたくさん、経験したからです。

さっこんはやりの「マウントをとる(とられる)」なんてことも、5割以下の付き合いなら回避しやすくなります。

そしてこれは、どのような関係性の人間関係・血縁関係においても同じです。

5割以下の付き合いとなったぶん、残りの5割で自分にしっかり、エネルギーと愛情を注ぐ。

これは私自身が自分の人生ドリルとして現在、行っていることです。

自分にしっかりとエネルギーと愛情を注ぐことで、ゆるぎない自分が確立され、そしてそれがけっきょく、世の中や人との良い関係性を構築したり社会性につながったりする。

自分がおそろかになっている人間がひと様になにかする、なんてなかなかできません。

●年齢や世代も関係してくると思う。

渋谷の地下にあるこうこく

「箸が転がるのもおかしい」と言われる若いときは、人との距離感は100%を求めるものかもしれません。

私がそうでした。

心地よい距離感がよくわからず、完全に重なる部分ばかりをもとめていたりする。

もちろん、その最大の原因は、「私が自分との折り合いをつけることに四苦八苦していたから」。

自分が自分との距離感を測り切れていないのに、人との距離感を測ることはなおさら難しい。

けれど、大人になるほどに、就職や結婚・離婚などで、生活環境や住む場所をはじめとする、もろもろのことがとにかく変化します。

だから、完全に重なる部分がないことがある、ということもなんとなくわかってくるもの。

Hyatt Hakoneの鏡

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先日も、某所でひといきついていたら、老年の女性二人が話していました。

「あの人は自分のことばっかり話す。人の話を聞こうとしない。でもこの年になって、そういう人とでも縁を切るのはねぇ。なんだかわざわざ人と縁を切るのもねぇ」

最後の言葉に、「へぇ、年齢によってそういうことはあるのか」と知りました。

これくらいの年齢になると、人づきあいも6割を超えることがあると思います。

私の老年の友人たちなども、老年の友だちどおしでしょっちゅう連絡を散りあってはお互いの生存確認(?)のようなやりとりを四六時中、しています。

毎日のように電話をかけあったりSNSでメッセージをやりとりしたり。

あるいは互いの家を行き来したり茶飲みしたりゴルフをしたり。

高齢になるほど、縁は切りづらくなる。

つきあいも濃くなることがある(6割以上)。

だからこそ、年を取るほどに「類とも」」で付き合う人は慎重に選ぶ必要がある。

長年培った自分の審美眼や好みをもとに。

その高齢の友だちは私にこう言いました。

「この年になるともう、わけわかんないかたとは付き合いたくないの」

その一方で、若い子たちはよくわからずに、昔の同級生とつるんでいる、ということもあるかもしれません。

これまた先日、某所で隣にいた転寝してた若い女の子が読んでいた本のタイトルを見て「若いうちは友だちどうしでもこういうこと、あるかも」と思いました。

香山リカさんの「比べない幸せ」でした。その子が読んでいたの。

★あの子にはすぐ彼氏ができるのに、私はいつまでたってもできない。

★あの子はいつもいい仕事を見つけるのに、私は不本意な仕事ばかり。

★あの子はお金持ちのおうちに生まれたけれど、私は生活するのもやっとのうち。

とか・・・?

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30代から50代くらいであれば、子育てと親の介護が一緒にやってくる人もたくさんいます。

そうなると、私の高齢友だちのように四六時中やりとりすることは難しい。

私のように、働きながら社会人大学院へ通うというビジネスパーソンもいるから、そうなると自分のプライベートな時間は勉学の時間にも充てることになる。

人づきあいは5割未満、という人も増えます。

さて、人との距離感はどうするか。

こういうときに、定年退職したようなかたから「つきあいが悪い」と言われることもある。私の経験です。

あるいは祖父母から。

小さな子供は100%で付き合おうとしてきますよね。

世代や年齢が違うと、人に対する距離感も違ってくる、というのが私の長年の経験から得た人生ドリル。

●距離感を考えると、どんな良いことが起こるだろうか。私が考えること。

◆相手の事情を想像できる。

◆相手の健康状態を想像しようとできる。

◆相手のバイオリズムすら考えようとできる。

◆それによって共感性が芽生えることもある。

◆自分に集中できる(距離感を5割前後とした場合)。

◆不要な情報にふりまわれることが少なくなる。→ あまり親しくない人に関する情報、つまり「その人に関すること」と自分を比べたることが少なくなる。なにしろ、自分がいちばん、大切なのだから。自分に集中しているのだから。

◆自分が変化するように他人も変化する、ということが見えてくる。

◆自分を本当にサポートしてくれる人がだれか、見えてくる。

◆人は自分が思うほどに「私・俺」には興味がない(笑)ことが見えてくる。

◆人が自分をサポートしてくれていることが見えてくる。その人のできる範囲内で。

◆だからこそ、人に対して過剰に期待したりしなくなる。まずは自分が自分のことをする。

◆相手を「操作」しようとしなくなる。

◆相手は変えられないことが分かる。

◆自分の思うような変化を求めるには、相手ではなく自分に対してであることが見えてくる。

◆相手が自分の意のままに動かない、と言って腹を立てることが少なくなる。

●「人との距離感を考える」人生ドリル。実践編。

小山ケイが自分で書いた手書きの英文

問1) 相手の健康状態はどうだろうか。心身の。

問2) 悩み事がありそうだろうか。

問3) 自分の健康状態はどうだろうか。心身の。

問4) 自分の「事情」はどうだろうか。

問5) 相手の「事情」はどうだろうか。→ 思いやって近づくのが必ずしも相手に喜ばれるわけではない。私の経験です。→ 「そっとしといてほしい」「距離を取ろうとしてるのに近づいてくるとは!」「自分のほうが地位が上なのだから、同等になろうとしないで!」(笑)

問6) 相手の性格はどうだろうか。

問7) お互いに変化したことがないかどうか。

問8) 相手はどれぐらいの距離感を望んでいそうか。

問9) そして自分はその人と、どれぐらいの距離感を望んでいるか。