心を静める方法ー瞑想の呼吸法や意識、自分のエネルギーの向け方も含めて。

今日の記事は、心を静める方法をいくつか取り上げています。
●瞑想やエネルギー、意識について
●自分のエネルギーの流れに注意・注視する。
●瞑想、呼吸法、意識の流れ
昨日の記事は、以下のサイトからごらんいただけます。

●心を静める方法ー瞑想やエネルギー、意識について。

花見1

自分のエネルギーの流れや強さに注意したり、呼吸を整えたり、意識の持ち方を変えてみることで、いまではほとんどのことが自分でだいぶ解決できるようになりました。でも30年前の私は違いました。

当時私は高校生。

自分との折り合いをつけることに日々苦しみ、もがき、葛藤の中で過ごしていました。あまりの苦しさに学校のカウンセリングの先生に相談したこともあります。まわりの友人たちや同学年の子たちがうらやましく思えたことは一度や二度ではありません。

彼ら彼女たちのあっけらかんとしたくったくのない笑顔がまぶしく憎たらしくもあった。

大人になったいま振り返ると、本当は彼ら・彼女らにも人には言えない悩みがあったのかもしれない、ということがよく分かるのですが、当時の私は自分のことで手一杯。

彼ら・彼女たち一人ひとりが必ず持つ良さを見つけようとしたり、「自分自分」、ではなく、相手から何か学ぼう、という視点はほぼ皆無でした。

ヨガに出会ったのもそのときです。

マドンナやグエネス・パルトローなどの著名人がヨガをやっているから、と日本でもブームになり始めるはるか昔です。

Madonnna
Queen of Pop on an advertisement billboard

あまりの苦しさに親に相談したところ、電車の広告にあったから、とヨガに通うことを進めてくれました(なんて書くと、30年間もヨガをやっているように思われそうですが、とんでもない、体はあいかわらず硬くて、両足を首の後ろに回すどころか、180度の大開脚すらできません。笑)

いまでもヨガの呼吸法は私の体の一部のような存在ですが、それに加えて、お寺の座禅会で瞑想をしたり、長年の人生のなかでくちゃくちゃに揉まれり、ぼこぼこにされたり、アメリカに留学していたときは文化そのものをさんざん否定されたり

いろんな経験をたくさん、たくさん積んでくることで、高校生のときとはくらべものにならないほど、自分でも豊かで、まわりの人たちといっしょに穏やかで楽しく幸せな日々を過ごすことができるようになってきました。

今日はそのことを少し、書いてみようと思います。備忘録みたいなつもりで。

桜の花見

●自分のエネルギーの流れに注意・注視する

下田の日の出

もちろん、いまでもかぁ~っとムカッ腹たつことは多々あるのですが(笑)、すぐに平常心を取り戻すことがだいぶできるようになりました。

コツは、その最中の自分のエネルギーの矛先に気づくことです。

私があるときに渋谷でカフェへ入ろうとしたときのことです。

前を行くスーツ姿のおっさんが、私の姿を認識していながら、扉をこちらに引いて(押して、ではなく)自分のために開けてから、後から入ってくる私のために扉を押さえもせずに、かつ、目も合わせずに、ケータイいじりながら無関心なほどに中に入ってしまったときは一瞬で私の海底火山のマグマが噴出しました。笑

 

「おい、白髪まじりのおっさん!チビ!▽◆X★¥↓怒怒怒!!」

 

こっち側に扉を押しているので私はまるで目の前にとつぜん扉が現れたようなかっこうになったんです。おっさんが扉を押して入ったのなら、私もそのままおっさんのあとからスルッと入ってしまえたのですが・・・。

そこから、中に入ってからも私はしばし、おっさんの行動を注視するようになります。「くそじじい、イケメンでもねぇくせに!」心のなかでさんざん、毒づきます。笑

いまカウンターで注文してる、店員さんにも不愛想、おい、これからどこに座るんだ、じじい、ちんけ、チビ、へなちょこ、かす、えんがちょっ!ぺ、ぺ、ぺ!

そんなことを思っていてようやく私はハッと我に返りました。

私はお店に入ってからずーーーっと、自分の大切なエネルギーしょぼいおっさんに送り続けていたのです。

箱根の山

エネルギーって、いっけん、「正」のものばかりかと思いがちです。自分の好きなものに情熱をもって注ぐエネルギー。大好きな人に好意を向けるエネルギー。違うんですよね。私がおっさんに抱いた「コンチキショー」という強い感情を伴った思いも、立派なエネルギーなのです。

セントアンドリュース スコットランド

このブログで何度かふれていることですが、「引き寄せの法則」というものが一時期流行ったことがあります。強い思いを持ってエネルギーを送り続けると、その対象はあなたのところに引き寄せられる。ショウウインドウのブランドバッグや可愛いスカート、お金など。

理にかなってます。

それが自分のところにくるように私たちは自分がエネルギーを送ったことが叶うように無意識に行動し始めるのですから。それは嫌なことでも同じです。平均台でバランスを取りながら、「こっちに曲がりたくない」と思ったらそのとおり曲がって落ちたり、ゴルフで「あっちにボール打ちたくない」と思って打ったらボールはしっかりその方向に飛んで池ポチャになったり。ありますよね、誰でもそういう経験。

私の渋谷のカフェでの経験も、下手をするとあのおっさんがなんらかの形で私のもとに引き寄せられることになってしまいます。(ケンカを売ってくるとか、ぶつかってくるとか、あるいは私自身がおっさんの隣に座ってなぜかケンカを売りたい衝動に駆られたり)。

じょーだんじゃないっ!いらねぇーよ、おっさん。

そう思ったとたん、自分のエネルギーの矛先を正常に戻すことができました。

そら

強く負のエネルギーを抱えているときはその強さゆえに対象物から自分を引き離すことはなかなか難しいと思います。でも、自分が大きな負のエネルギーを持った瞬間に、つねにそれに気づくようにすると、自分がどこにエネルギーの矛先を向けているのか冷静に、客観的に気付けるようになります。

ハーバード大学の教授は「自分をバルコニーに上げてみる」と表現しました。対象物をバルコニーから冷静に眺めるという意味で。

自分のエネルギーは貴重で大切です。マグマのようなエネルギーを向ける矛先は、できれば多くの人たちと楽しく、豊かに、幸せに過ごせることでありたい。

●ものごとには二面性がある。

昨日の記事にも書きましたが、おへそのあたりの丹田での腹式呼吸をゆっくり行うことは心身をリラックスさせることに有効です。そのほかに頭で考えて行う心を静める方法としては、意識の持ち方を変えてみる、ということも私はやっています。

物事には陰陽、裏表があります。私たちの意識はどうしても、強く感じるものに向けられやすいので、負の感情を感じるところへ意識も向きやすい。

でも、その反対側には正もある、ということを思い出すと意識がそちらにも向けられて心が静められることが多いです。

私の体験も含めて、具体的な正負の例を書いてみます。

 

 

「コップにもう半分しか水がない。もうだめだ」と受け取るか、「コップにまだ半分も水がある。この半分でサプリメント・薬、スポーツ飲料の粉末が飲める」と受け取るか。

 

 

★入りたい学部に入れなかった(負)。

けれど、実はその学部よりも、自分が実際に入った学部での科目のほうが、米国大学への編入時は単位が認められた(正)

そら

 

★歯が痛い(負)。

でも、かかりつけの先生はいつも、「なにかおかしい、と感じるところがあったらいつでもおっしゃってください」と言ってくださっている。これ以上、歯が痛くなって治療できないほどになる、あるいは最悪の場合の、歯を失う結果になるよりは、なんだかわからないけど、とにかく先生に相談するほうが良い。相談しやすい先生を探して、いまの先生に十年以上もまえに出会えたのだから(正)。(そして、相談して正解でした)

桜の花

 

★めまいと吐き気がひどい。なんだかわからない(負)。

脳神経外科や耳鼻科にも相談してさんざんMRIを取ってもらった。でも、異常はない。脳は、まったくもって正常。「めまいで一番怖いのは、脳の異常」とのこと。脳は認知症の気もないし、脳梗塞も、まったくなし(正)。(私の父親のことです)

 

横浜赤レンガ倉庫

 

★入りたい会社に入れなかった(負)。

そっちに入ったほうが給料もブランドもステータスも良かった。でも、自分が入った会社は人間関係がばつぐんに良い(正)。定刻で帰れるし、のんびりとした職場の雰囲気で先輩に相談しやすいので、いろんなことをOJTで聞いて身につけられる。

入りたかった会社は日本でも有数の上場企業だけれど、残業が多いし、人間関係がぎすぎすしているし、自分の器が広がったり「手に職」どころか、足の引っ張り合い。

などなど。


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