今日は、新規事業や企画を考えるための集まりにおいて、反対意見を言ってはいけない、ということについて書いています。昨日は下の記事を書きました
●会議や討論など、なにかを生み出すことが目的の会であれば、人の意見に反対してはいけない。
ハウツーものの本などにも書かれていることですが、反論することを目的とするような会(国会みたいな)でもないかぎり、たとえば会社で新規の事業を計画する会議であったり、学校で催し物についての話し合いをする会議であったりした場合、そこに参加するものは、「でも」や「それには反対」と言ってはいけません。
断言します。笑
なぜなら、なにかを生み出すことを目的とした会だからです。
Aという意見があって、それに対して「でも」「それには反対」というと、Aをまっこうから否定しているだけだし、A案がつぶれるだけでなく、あらたななにかはまったく生まれていないからです。
Aプラスアルファで話し合いをしていかないと生まれるものも生まれない。
モグラたたきをしてるのではないということ。だから、よくできたファシリテーターやモデレーターのかたが仕切る会だと、しょっぱなに彼らから「人の意見にはまっこうから反対はしないこと。意見を言うときはかならず、Bという自分の案を提示すること」というような指示があります。
でも意外と、まっこうから反論しておわりっいうひとがいるんですよね。ビジネスパーソンのなかにも。それも、自信満々に。反論することで自分の存在をアピールしている。まるで野党。笑
少し考えれば、ケンカをするために集まっているのではなく、新しいなにかをうみだすために集まっているのだから、相手と違う意見を言うにも言いかたがある、と気づくはずなのですが。
わざわざ反論せずとも、まずは自分の案Bを提示する。それはもしかしたら前の人たちとは違う意見かもしれない。それでも、それをきいた他の人から、二人の案を掛け合わせた
おもしろいCという案が提案されるかもしれない。会の目的は「何かを生み出すこと」。つぶすことじゃない。
反論しておわり、という人は自分がひたすらデストロイヤーになっているということに気づいたほうがいい。
何も考えつかないから、とりあえず反論しとく、というのは案を考えた人に対して失礼。
なにかを生み出すことを目的とした会を開くときは、参加者全員の共有意識をはじめに確認することがその後の結果に影響を与えます。
1) まずは、まとめ役・進行役が共有するものをしっかりと説明・確認。
2) 反論ではなく、口を開くときは必ず、自分の案を提示すること。
「それはできませんよ」ではなく、「こうしてみたらさらに面白くなるかもしれません」
のようなプラスアルファの考えを。
3) 禁句を全員で共有して封ずる。
禁句例:
「それはちがうでしょ」「だめだよ、そんなの」「できないよ」
4) 人格攻撃はしない。
「あなた頭悪いね」「何考えてんの」
●後だしじゃんけんで反論すなや。するなら先出しせよ。
私が母校・青山学院にあるビジネススクールにMBAをとりに通っていたころ、ビジネスヒィロソフィーという授業がありました。当時の研究科長が講師となって古今東西の哲学書や宗教、古典などを毎授業で勉強するというもの。
形式は、全員参加の話し合いです。
企業人として、ビジネスパーソンとして、思考力や判断力を養ったり、ものさしを増やすことなどを目的としていたような授業で、とても人気がありました。そのときの私の体験です。
クラスにいた女性の話。
反論の仕方や声の出し方は面白いのですが、彼女の言うことを聞いていて、私は気づいたことがあります。
彼女、「後出しじゃんけん」しかしないのです。
どういうことか。
お題はこれこれ。意見を出してください、と言われて、彼女がしょっぱなに口火を切ったことは、一度たりとてない。
けれど、誰かが先に、「こう思います」、と言って2.3人の話がつづいたころに、ようやく、大きな声で、「でもそれってなんとかですよねぇ」、と反論する。
まずもって、しょっぱなに意見を言うことはない、つまり、先にじゃんけんぽん、と手の内をあかしてくることはない。しかも、「そうそう、私もそう思います」なんて同意することは皆無。
賢い人だから、内容や切り口も独特で面白い。あたしには劣るけど(爆)。言ってることに整合性もそれなりにあるので、結局クラスは彼女の話に耳を傾けることになるんだな、これが。
あのひとから学んだことは、人間、声のでかいやつの話に耳を傾けやすいってこと。
だから、まわりはいつのまにか彼女の話を聞いてる。でも私は次第に、彼女の戦術らしきものを見透かしてしまいました。
けっきょく、しょっぱなに口火を切るのがこわいのです。
なにもないところから、自分の立ち位置を表明することになるから。しょっぱなに意見を言うことって。だから一度足りとて「私がまっさきに意見を言います」となったことはない。
雰囲気からすると、そんな大胆さをもちあわせていそうな気がするのですが、まったくもってそれはありませんでした。
でも人の反論って、すでに立ち位置を表明したひとに小判ザメのごとく寄り添えばいいのですからうんと楽です。それが反論であれ賛成であれ。意見を言ってると授業での発言回数としてカウントされて成績にもなりますし。
だから、何も言うことがないときでも、とりあえず反論する。意見がないのにむりやり話をするから話が冗漫になる。
(だれかこいつを止めろよ、と私が思ったことは1度や2度じゃありません)
しょっぱなに口火をきって冷や水を浴びるという恐怖も回避できます。ヒールとして。ヒールが花形スターなのは格闘技ばかりではありません。笑 彼女は教授たちにも人気がありました。「面白い子だ」と。
ところが、ああいうふうに反論しつづけると、なにも生まれない。こっちも彼女からはなんのインスピレーションも得られないし、それどころか覚えているのは、彼女がなんだかやたら大声で他人の意見に反論しつづけたってことだけです。
鬼の首とったみたいな顔しながら。英語で言うDevil’s advocate。ディベートのテクニックです。
私は意見を求められる場や、あるいは小説、映画、音楽のような表現の世界では、最初に意見を述べたり、作品を世に送り出すひとがえらいと思っています。
それは、なにもないゼロの状態から1を生み出したひとたちだから。他者にインスピレーションを与えたインフルエンサーだから。
評論家さんには申し訳ないけど、評論家さんがどんなに論理的でアカデミックな反論を繰り広げても、評論家さんの飯の種を作ってくれたのは、口火を切ったひとであり、表現者です。
評論家さんは彼らの意見なり作品があってこそ、原稿書いたりテレビでご意見番として出演して、原稿料や出演料がもらえる。白いおまんまにありつける。だからすぐれた評論家さんは表現者を大切に扱いますし、表現者からも尊敬されていたりします。
ゼロから「いち」を生み出したり、なにもないところから新しいなにかを生み出すことがどれほど大変なことか。
やっぱスターは言い出しっぺのヒーローであってほしい。ヒールのほうじゃなくってさ。