今日の記事では、
私の成績について書いています。
●青山ビジネススクールで私が「B」や「C」を取った科目。
●人生における得意なことと不得意なことへの対処法と意味
「働きながらMBA」のカテゴリーは以下のページから始まっています。
●青山ビジネススクールで私が「B」や「C」を取った科目
青山ビジネススクールの成績の場合、
AAは90点以上、
Aは80点以上、
Bは70点以上、
Cはぎりぎり、単位として認められる成績だったと記憶しています。
「優良可」で言えば、Aは優、Bは良、そしてCは可。AAはクラスでも1,2人、という場合もあります。
私はBとCをそれぞれ必修科目でとりました。
Bはファイナンスと統計学とマーケ、
Cはオペレーションマネジメントです。
Cは単位にはなるので「不可」ではないですが、まわりをみても、「C」という成績そのものは、MBAコース受講中、取るかとらないか、ぐらいの割合です。
私も受講した授業のなかで「C」がつけられたのはひとつだけでした。
いっしょうけんめい参加して「C」は正直、がっかりしました。
不真面目でさぼっていたならまだしも。
授業そのものもとても楽しく感じていましたし。
でも、ここがまた、学部学生の成績のつけかたとは違うところだと思います。
けっきょく、人にはどうやっても得意、不得意の分野が存在します。
学部レベルなら均(なら)すことができる範囲かもしれませんが、社会人のビジネススクールともなるとその分野で何年も活躍しているという専門家がごろごろ存在します。
その人たち以上に良い成績を収める、というのはどう考えてもあまり合理的な考えではない。笑
私がBを取った分野はそれぞれ、青山ビジネススクールに社会人学生としてたくさん在籍していた、専門家や理数の大学院ですでに修士号を取っているような人たちが得意とする科目です。
私にしたって、専門家でもないかたが英語によるWritingで、ネイティブのチェックも入れずに「AA」なんて取られて私がAだのBだのだったりしたら、「え、なんで?」と思います。
(たまーにいらっしゃるんですよ。ここだけの話。
英語は義務教育で勉強する科目のせいか、ご自分でも英作文はできる、と思われるらしく、TOEICで満点なんて取ったかただったりするとなおさら、「ここはこういう言い回しのほうが良くはないですか?」なんて言ってくるのです。クライアントのなかで。
でもそれだとSVOがさかさまになってOVSになってOがVすることになったり。
逐一、重箱の隅をつつくように指摘してきてそれらにこちらも逐一、説明してさしあげないといけなくなったり。
論文や英文の内容そのものについて深いやりとりをしたほうが有意義なのに。二度手間です。
すいません、愚痴です。笑)
相性もあります。
その授業、その講師・教授の考え方との相性。
「C」がつけられたオペレーションマネジメントは教授は人間としてはとてもおもしろく魅力的な人だったのですが、私とは考え方が水と油でした。
残念ながら。
「1たす1は2」と答えないとすべて不正解、却下、とするようなところがその教授にはありました。
ばりばりの理数系です。
海外の有名大学で理数の博士号を取った人です。
なので、私の場合、スコアの割合が50%もあった期末試験の成績が振るわなかったのでCとなったのはあきらかでした。
授業のたびに何度も発言し、提出物も出し、そこでつけられた成績もその都度確認しています。
欠席・遅刻したことは一度もありません。
「え、●●さん、それはちがうでしょぅ?なになに、ですよね?わかってますよね?
(●●さんの答えだと、「1たす1は3」と答えてるようなもんですよっ)」
とその教授がひきつったように笑いながら学生に指摘することは多々ありました。
授業を受けていると、その教授の頭の中に存在するプログラミングどおりに答えないと、エラーとしてはじかれているような気が私はいつもしました。
「1たす1は5」と答えて、「え、それはどうして?」と興味深そうに聞き返してくる教授も青山ビジネススクールにはいらしたのでなおさらです。(その教授に「それは、こうこうこういう理由だからです」なんて言ったりすれば、それもしっかり、ホワイトボードに書き出してくださったり。そういう教授の対応は、他の学生へのものであったとしても聴いていて気持ちがよかったですし、自分自身がそう扱っていただけたときはありがたく思いました)
よって、当該ばりばり理数系教授に情状酌量、なんてものは入る余地はありません。笑
「この人は50%の比率がある期末試験がすごく悪かったけれど、残りの50%は完璧だったから、プラスアルファにして「B」にしてさしあげましょう」
なんてことはありえない。
それまでの成績をデータとして入力して、ポン、とはじきだされた数値がすべて。
そんな感じでした。
1たす1が無限大にもなりえる、と思っているような私には理解しがたいことではありますが、それを言ってはきりがない。
理数系の人の考え方を否定するようなものです。
「成績が悪くて不可、となるようならレポートを書くのでお知らせください」
とテスト用紙の上のほうに懇願したのが功を奏したのだと思うようにしました。
試験自体、私にはとても難しかったですし、試験終了後に自分が回答をかなり間違っていたことが分かったので、不可であったことも相当心配しました。
いっぽう、
私がAをいただいた会計学でCを取った、という人を私は数名、知っています。
いずれもものすごく頭の良い人ばかりです。
私の場合はきっと、簿記3級をすでに取得していたことと、自分でも会社の会計をしていることが良かったのだと思います。
長年の慣れです。
違いはそれだけだと思います。
オペレーションマネジメントで私の成績に「C」がついた理由も、あんがいそんなところかもしれない。
ある同級生が「この年になると、どう頑張っても不得意なものがあるんだってわかった。だったら得意なものにエネルギーと時間を傾けるほうがいい。自分の場合は、ビジネスのニオイを嗅ぎつける能力だ!」と言ったときは大笑いするのと同時に、私もそう思う、と心のなかで同意しました。
あらためて、社会人大学院に入っていい勉強になったと感じます。
「Dreams come true」なんてアマちゃんの若者言葉なんだ、と再認識できました。
あ、断っときますがドリカム(バンドの)、のことじゃないですからねー。
中村さんは青学OBだし・・・。
必修科目で「不可」となると落ち込むでしょうが、教授や講師との相性がありますので、単位を落としそうだと思ったら、上記の私のように、レポートの提出を申し出たり、翌年に再受講したり、補講・補習を依頼したり、成績にどうしても納得できない場合は、その教授へ直接、尋ねてみるしかないと思います。
私の「Deep Throat情報」では、よほどのことがないと、必修科目は「不可」はつけられない(たとえば不真面目な学生で、遅刻欠席が多いとか)。つけたら研究科長レベルまで話がいく、というようなことを聞いた覚えがあります。
ご参考までに!
●人生における得意なことと不得意なことへの対処法と意味
どうがんばっても、叶わないことは人生にはあります。人の努力や情熱が及ばないもの。
それは年齢を重ねるほどに「そういうものなんだ」と分かってきますよね。
青山ビジネススクールに入って、自分はなにが得意で何が不得意なのか、再認識することができました。
得意なことにさらにエネルギーと時間、情熱をかけて、できればその分野で人さまのお役に立って喜びや幸せを分かちあいたい。
このブログにしたってそうです。
10代のころから私は文章を書くのが大好きでした。
だから、エッセイの書き方を習いにいったり、プロになろう、と脚本家を数年間、目指したり、「endマーク」をちゃんと入れた(つまり、最後まで書き上げた)ものを小説の新人賞へ応募したり。
新聞や雑誌の投書などはよく採用されますし、米国大学のWritingクラスでは、ネイティブの学生ばかりのなかで、自分のかいたレポートが読み上げられたこともあります。
嬉しかったなぁ。
(成績もAを取りました)
不得意なことがあるときは、得意なことも見えてくるはずです。
つまり、不得意なことは得意なことをしらせてくれる神様からのサイン。
私はいつもそう思うようにしています。
ブログを書くことは私にとって楽しいことです。
なので、書き続けることでたとえばこのカテゴリーであれば、青山ビジネススクールに入ろうとしている・入っているかたや他スクールのかたのすこしでもお役にたてれば本望ですね。
これからも書き続けていきたいと思っています。