(私が長年、寄付をしている「国境なき医師団 (Medecins Sans Frontieres)」が、ウクライナ (Ukraine) での活動を開始しています。下記サイトからは寄付も可能です。)
https://www.msf.or.jp/news/detail/headline/ukr20220302nt.html
You can donate for Ukraine through the above website of the Organization.
今日の記事では、母校の青学から単位をもって米国オレゴン大学へ編入学して卒業し、15年以上に渡って「サステナビリティ・ESG・気候変動」などに特化した専門翻訳会社を経営しながら再び青学(大学院)へ戻ってMBA(修士号)を取得した私・小山ケイが、ある女性雑誌で見かけた「自己肯定感」ということについて書いていきます。
(おかげさまで、一日に1,000PV前後読んでいただけるブログに成長しました。このブログを推奨してくださったかたもいらっしゃいます。ありがとうございます!)
<もくじ>
●「自己肯定感」というものーあるメイク雑誌を読んでいて。(小山ケイの人生ドリル127)
●「自己肯定感」
●「中庸 (Yin/Yan)」としての「自己肯定感」→ 私の場合。
(ブログの記事内に掲載の写真はすべて、私・小山ケイの撮影によるものです)
このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日の記事は「徒然なるままに、ひぐらし。」のカテゴリーで書きました。同じカテゴリーの過去記事は下からご覧になれます。
●「自己肯定感」というものーあるメイク雑誌を読んでいて。(小山ケイの人生ドリル)
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某所で女性向けのメイク雑誌を読む機会がありました。
その多くのページは昔と変わらず、各化粧品会社のPRや広告、「どうやって『良い』メイクをするか」ということにさかれています。
(知的メイク、というなら中身も知的にしないとね。大笑)
カラーページがずらっと続いたあとに、雑誌の中ページぐらいに読み物系が出てきます。
「自己肯定感について」。
その雑誌社が読者にアンケートをとったそうで、過半数の読者(回答者)が「自己肯定感が低い」と答えたそう。
「自己肯定感」という言葉、私の長年の人生においてはあまり、出てこなかった言葉と言えます。
(「自己否定」という言葉も、私の人生にはあまり出てきません)
さっこんの流れでしょうか。
前から聞かなかったわけじゃないけれど・・・。
「けっこう悩んでいる人もいるのかな」と目を通してみると、わりと人との比較や人からの評価によって「自己肯定感」が低いと思っているかたが多いような印象を受けました。
その雑誌のモデルさんの年齢やメイクのしかたからすると、対象読者はおそらく20代。
よって、回答したかたもおそらく、若い女性なのかもしれません。
とっても華やかなページがほぼ100%を占めている雑誌だけれど、読者の側は意外と、「自分に自信がない」とか「自分は人より劣っている」とか、華やかな世界とは反対側にある「心の世界」で葛藤する人がたくさんいるんじゃないのかな、と思いました。
●「自己肯定感」
私は心理学者でも精神科医でもありません。
よって、「自己肯定感がなんであるか」をアカデミックに説明することはできません。
けれど、「自己肯定感が低いか高いか」と一般人である読者に質問したところ、「低い」とか「高い」とか答えた人がいる、ということは、その人たちの中には一般的なイメージとしての「自己肯定感」という言葉が存在する。
ですよね?
「自己肯定感」という言葉から受ける、一般的なイメージ。それなら私にもあります。イメージが。
★自分はだめだ、と思ってしまう。
★自分は人より優れている、と尊大になる(過大評価する)。
★自分に対して否定的なことをつねに思ってしまう。
★自分は人生の「王道」を歩いている。
★何かしようとすると、「どうせ失敗する」とはじめから思ってしまう。
★自分は人に自慢できる人生を歩んでいる(学歴、家庭、収入、子どもの数、配偶者の職歴、車や家などの所有物等)。
★はたからみてちゃんとやっていても、「自分はちゃんとやっていない」と思ってしまう。
★自分はこれでいい、と思えない。
★つねにほかの人のほうが自分より優れていると思ってしまう。
私のイメージではありますが、上記の約半数が人との比較で自分を肯定、あるいは否定しているような感じです。
いちばん最初の部分に書いたように、私自身は自分に対して、自己肯定感が高いとも低いとも感じたことはあまりありません。
このブログで何度か触れましたが、10代のころは自分との折り合いをつけるのに四苦八苦して、もちろん人との比較ばかりをしていたように記憶しています。それでも、「自己肯定感が低い」と思ったことはない。高くもなかったけれど・・・。
私が日課としている「アファメーション (Affirmation)」。
これをやっていると日々、自分の深層心理では「私は良いことを受け取る資格がない」「受け取るのが怖い」とどこか思っているふしがあることに気づかされます。
驚きますね。
かといって、自分自身は「私は自己肯定感が低い」と思っているわけでもない。
自分が抱く、上記のイメージに合わせると。
「自己肯定感」。心理学や精神医学などのアカデミックな世界でも、宗教の世界でも、文学やエッセイのようなクリエイティブな世界でも、すごく奥が深くて単純に「高いのがいい」とか「低いのが悪い」とか言い表せないような気もします。
それ自体、中庸(Yin/Yan)じゃないのか、というのが大人になった私の感覚でもありますし。
(自己肯定感、という言葉自体が中庸がいいと思っています)
「自己肯定感」を英語にすると、“Self-affirmation.”
ああやっぱり、と思いますね。
●「中庸 (Yin/Yan)」としての「自己肯定感」→ 私の場合。
私が感じる、あるいは私が生涯をとおして目指している「中庸としての自己肯定感」はこんな感じです。
楽しく、豊かに生きるために、ですね。
1) 自分の今の姿をしっかり、「見る」。
2) 自分が天から与えられた「GIFT」をつねに拾い上げて感謝。
3) 心身の統一を日々、実践。
4) 自分の人生に集中する。人の人生や人のイベントではなく。
5) 4)を実践するために、SNSはほどほどに。
6) 情報を取捨選択する。あるいは限りなくシャットダウンする。
7) 時には無音の世界に入る。
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“「自己肯定感」というものーあるメイク雑誌を読んでいて。(小山ケイの人生ドリル127)- “Jiko-Koteikan” feeling of “Self-affirmation”” への2件の返信
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