今日の記事では、何かを選ぶときにいくつかある選択肢から選ぶことについて書いています。ちなみに、私は「わくわくするほう」を選んでいます。
人生ドリルシリーズでは前回、下の記事を書きました。
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●どちらかを選ばなければならないとき。「わくわくするほう」を選んでみる。
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生きていれば、迷ったり、どちらかを選ばなければならないという瀬戸際に立つこともありますよね。
私はこれまでの人生において、どちらかを選ばなければならないときは、意識的に「わくわくするほう」を選んできました。だってそのほうが楽しいから。人生何倍も何十倍も楽しめそうだから。
もちろん、「どちらかを選ばなければならない」ということには程度の差があります。生死にかかわるような重大な岐路における二者択一ということもあるでしょう。あるいはどちらかを選んだらどちらかが仕事を失うというような、人の人生に影響をあたえることで判断を迫られるかもしれない。
けれど、私が「わくわくするほう」「楽しいと思えるほう」を選んできたときは、少なくとも自分で動くことで自分のなかでなにかが起こるときでした。
たとえば、社会人ビジネススクールに通うと決めるとき。見切り発車のような気がしましたが、100名前後の若い社会人がひとつの教育機関に一斉に集まる光景を映像として想像しただけでとにかくわくわくしました。そんな機会、なかなかないからです。
しかも私が選んだ先は自分の母校。十代で入学してから巣立ってすでに10年以上のときがたっていながら母校へふたたび学生として戻れることのこのくすぐったいほどの嬉しさ。そして、青山界隈は私が大好きな街でもあります。そんなところへ再び、毎日のように通えるなんて。しかも「通学定期」を使って。笑
そんなわくわくと楽しいことが感情に乗って次から次へと映像として私の中にあふれてきたとたん、私は迷わず、「いま、行く」と決めていました。
こまごまとしたことでもそうです。どっちの道へいったらおもしろそうか。どの日を選んだら楽しそうか。どの店を選んだらわくわくするか。
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★仕事がたてこんでいるときに好きなアーティストが来日コンサートをするとき。⇒ 仕事をうまくやりくりできないか、考える(ライブに行くほうを選択)
★楽しそうな授業が目白押し。どれを選ぶか。⇒ 自分が最高に楽しくて、自分の能力もさらに向上させられて、しかも面白そうな人たちが集まる授業を選ぶ。たとえ選んだ授業のほうが課題も多く、成績も簡単には「A」や「AA」はとれないとしても。
★道が二つに分かれている。どちらを選ぶか。⇒ Aの道のほうが目的地までは明らかに近いけれど、Bのほうはおもしろいショップが多い。新しい店も出ている。景色もきれい。Bを行く(合理性・効率で選べばAだけれど)。
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●わくわくするほうを選ぶ理由。選んだほうがいい理由。
わくわくするほうを選んだほうがいい理由は「自分が楽しいから」ということ以外にもたくさんあります。新たな知識や情報を得たり、出逢いがあったり、「そのほうが正解」だったり。自分が楽しいと思ってるから、いっけん失敗しそうなことでも試行錯誤しますしそれすらもどこか面白がってるところがある。「さて、ではどうするか」と。
わくわくするほうを選ぶと自分の人生が輝きだします。わくわくすることは心のサプリメント。栄養ドリンク。エナジードリンク。いやいや美容ドリンク(コラーゲンリッチリッチby資生堂!)
おそらく、AIにはこういう選択、できないはずです。いまのところ。カーナビがそうですよね。「わくわくするからこっちの遠回りの道を行きましょう!」「こっちのほうがクレイジーですからこっちにしましょう!」とは言ってくれない。「最短距離はこのルートです」となる。
でも私は、桜の季節であれば最高にきれいな目黒川沿いの道を遠回りでも走ってみたいし、沈丁花やくちなし、金木犀、ニオイバンマツリの香りが感じられるそれぞれの季節にはそれらが咲きほこっている道を歩きたいし(普段から「この通り」とチェックしてますので)、深煎りコーヒーのロースターの香りがする通りも走ってみたい。たとえ遠回りでも。
「わくわくするほうを選ぶ」理由は、自分が人間であることの再確認なのだと思います。その証拠に、わくわくしないことを選び続けたあとは、私などは数日、心がとても荒みます。不思議ですね。おそらく、自分が機械にでもなったような気がしてくるからかな。
●自分の感情が動くほうを選んでみる。
自分の気持ちが動いているほうを選ぶことの利点は、モチベーションが高まったり、自分の能力を最大限にいかしたりできることです。
自分の感情が動いていれば、たとえば新たな発見にであったときは自分の心が大きく輝きだすのが分かりますよね。そしてそれによって自分のなかで新たなアイデアやひらめきが生まれたりします。
上記の「合理性・効率」で選択肢を選んだ場合、感情は動きません。「良い成績が取りやすい科目」についても同様です。
ときには非合理的・非効率的な選択に見えたり、時代に逆行しているかのように見えることもあるかと思います。人からそう指摘されることもあるかもしれない。けれど、それでも自分の感情が動くほうを選んでみるのです。その力は想像を絶するからです。
合理性・効率を求めれば、合理性・効率が得られるだけです。でも、自分がわくわくとして楽しいと思えることを選ぶと、いっときは苦労や負担があるかもしれませんが、得られることが長期的スパンで継続的にあらわれやすくなります。
というのも、自分の感情が動いているから、いろいろなことを無意識にやろうとしますし、おもしろいからもっとおもしろくしたいと思うようになります。
けれど、この人生ドリルにはつづきがあります。上り調子で自分の気持ちも安定しているときはわりと、「おもしろい」と思えることが選べるものです。けれど、気持ちが落ち込んでいるときはとことん、悪いことを考えたり想像したりしてしまいます。
だから究極の人生ドリルは、「人生が下がり調子のどん底の時でも、『おもしろいと思えることを選ぶ』」。上級者編ですね。ここまでくると。私もそうなれるよう、長年修行している最中です。
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