今日の記事では、英語と日本語において、それぞれに訳せない言葉があるということについて書いていきます。
<もくじ>
●英語と日本語。それぞれに訳せない言葉はある。
●たとえばこんな言葉。
このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日は「英語(潜在意識を味方につけて)」のカテゴリーで書きました。同じカテゴリーで前回書いた記事は下からごらんになれます。
●英語と日本語。それぞれに訳せない言葉はある。
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このブログで何度か書いていることですが、長年翻訳者をしてきて、日本語と英語、それぞれに翻訳できない言葉に遭遇することがあります。
なりわいとしているのでなんとか訳してはいますが、それでもその言葉が持つ力やインパクトは若干、薄れる気がします。
たとえば先日も触れた、“Chemistry..”
日本語で表そうと思えば表せないこともないですが、“Chemistry”という言葉が持つインパクトの強さや映像と直結する多面性は薄れてしまう。
個と個の関係性において発揮される、お互いの表現世界の相乗効果とかJazzの即興演奏のような高次元のエネルギーのかけあいのような。
「化学反応 (chemical reaction)」と言えなくもないけれど、”Chemistry”という言葉が持つ、「ぞくぞくとするような」力強さは、化学反応+アルファであらわしたいところ。
だって化学反応には感情は伴わないから。
(恋愛を「化学反応」と訳してしまうことの味気無さ。笑 おわかりいただけます?)
Chemistryには人間と人間が相対することで現れる感情の交歓のようなニュアンスも含まれるのです。
個としてのありかたや絶対的な価値観よりも、歴史的にも組織として行動することが求められ組織の理論に重きが置かれてきた日本においては、個人が主体で沸き起こる”Chemistry”の「色気」はなかなかあらわしえない。
日本語にも英語に訳せない言葉はたくさんあります。
たとえば雨にまつわるもの。
五月雨、長雨、時雨。
まるで辞書からの引用のように説明文とすればそれぞれ、英文で書くこともできます。けれど、それぞれの言葉が瞬時に映像を喚起する力とか、雨の多い日本のしっとりとしてつややかな季節感、そしてその微細な違いまではなかなか表しえない。
俳句の季語もそうでしょうね。
英語圏の日本文学者が格闘されるところだと思います。
「古池や蛙(かわず)飛び込む水の音」は”A frog jumps into an old pond”ではない。これでは「一匹のカエルが古い池に飛び込みます(ちゃんちゃん)」になってしまう。笑
芭蕉のこの句を聴いた瞬間に、水面に幾重にもできる小さな「さざ波」すらも映像として喚起されます。それがこの英文では、ない。
苔むした池につややかな緑色の蛙(かわず)(私の中では緑色の小さな蛙です。コケの緑と呼応するから。そして、「古い池」と「つややかで鮮度の高い緑色」の対比)が一匹、静かに、わずかな重みをもって池の中に飛び込んだ音が水面(みなも)の波とともに一瞬、静寂の中で存在を表す。そしてつかの間の余韻とともににまた訪れる永遠のような静寂、というものが私が芭蕉のこの句から感じられる多面性です。
すでに動きや生命が感じられない古い場所で、生きた蛙が一瞬、音と波紋を作り出す。静と動、昔と今。そんなことすら芭蕉の十七文字からは浮かんできます。
茶道にも通じますが、無駄をそぎ落とす日本の美意識とか小さな空間から広がる小宇宙を作り出す感覚とか。
それを他の言語に訳す歳に、翻訳者はしばしの格闘が要求されるのです。
●たとえば、こんな言葉。
「なつかしい」という日本語も英語に訳しづらいです。私にとって。
理由を考えてみたのですが、自分で納得がいく答えはいまのところ見つかりません。
「なつかしい」という言葉は、自分が実際に体験したり経験したものに対して発せられる形容詞ですよね。よって、自分が経験していないかなり大昔の、たとえば平安時代のものを取り出して「なつかしい」とは言えない。「伝統と長い歴史を重んじる日本の文化が言葉に反映しているからか」と一瞬思ったのですが、それはどうも当たっているようには見えない。
季節に関係する言葉も英訳しづらい。出世魚も。
2,3か月ごとに季節が目まぐるしく変化する日本ならではの言葉が多いことと、出世魚に関しては古来からの魚文化ということがあるのだと思います。
反対に英語を日本語訳する場合。
Chemistry以外にもstraightforwardもそうですし、「nerd vs. geek」もそう、
組織よりも個人としてのありかたや「個人の能力をとことん向上させえる文化」が反映されていると考えることもできます。
エスキモーの言葉には雪を表す言葉がたくさんあるのだそうです。雪に囲まれた生活環境が言葉に反映しているからかもしれません。
いまだ論争の矛先にはなっていますが、「言葉」「文化」「現実の認識」などをキーワードとして考えてみると、「サピア=ウォーフの仮説」という言語学では有名な仮説があります。
私が米国大学で言語学を受講したときの理解では、言葉と文化・生活環境が密接に関連しているということを表した仮説だと記憶しています。
言葉と文化は切り離せません。
その点が難しくもあり、また翻訳の面白さでもあると思っています。
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