今日の記事では、「自分を取り囲む人達のすきなものに集中してみる」ということについて書いています。
<もくじ>
●自分ではなく相手の好きなものに集中してみる。人間関係の基本として。
●具体的に。
このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日の記事は「徒然なるままにひぐらし。」のカテゴリーで人生ドリルシリーズとして書きました。同じカテゴリーで書いた前回の記事は下からご覧になれます。
●「自分」ではなく「相手」の好きなものに集中してみる。人間関係の基本として。
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私は以前このブログで、「人の悪口や愚痴は言わない」と題して記事を書きました。
小山ケイ過去記事】悪口・グチは言わない。最強のビジネスパーソンになるために。理由は3つ。
人から聞かされても悪口や愚痴はこちらのエネルギーを消耗してしまいます。だから人が悪口として話す「嫌いなものや人」については、こちらは右から左に流していい。
けれど、相手が好きなものに関しては違います。
自分に好きなものがあるように、相手にも好きなものがある。
好きなものとは:
★食べ物
★音楽
★趣味
★アイドル
★アニメ
人は私を含めてとかく自分の「好きなもの」に意識を向けて、ともするとそのことを中心に話をしていたりする。
自分の好きなもの > 相手の好きなもの
そんな不等号を無意識とはいえ思いながら。
人間関係を潤滑に、よりよくする基本は、「まずは相手の話を聞く」。そして「相手も自分と同じように大切にする」。
「相手」とは家族や親類、パートナー、ご近所さん、友だち、コミュニティの仲間、仕事の取引先、上司・部下など。
自分の審美眼で付き合うことに決めた人や血のつながりのある人たちです。
相手の愚痴や悪口は私の過去記事で書いたとおり、「右から左」に流していいものですが(笑)、相手が好きなもの、興味や好奇心を感じているものには敬意を払う。
自分の好きなもの = 相手の好きなもの
の等号を頭に描きながら。
なぜなら人は、自分の好きなものは大切にするものであり、そこに完全に寄り添ってくれる人は自分のことを大切にしてくれている、と思えるからです。
だから結果としてこれが、良い人間関係へと発展していく可能性を秘めることになるのです。
●具体的に。
「相手の好きなものに集中する」の「相手」とは、「自分の審美眼で付き合うことを決めた人たち」と「血縁関係」。
自分が「しばらくは付き合いたい」と思った人たち。
自分の審美眼を基準にして選んだ人たち。
だから、たとえば職場の人やそれほど知った間柄ではない人で、自分が「なんとなく距離をおいておきたい」と思える人に対してまで、等号をつねに意識する必要はありません。
自分が疲れてしまいます。
なぜなら、「相手の好きなもの」に違法性があったり倫理観が欠落しているように思えたりすることもあるはずだからです。
そうしたものが自分の審美眼に合致する人でもなければ。
でも自分の審美眼で「この上司・同僚・部下はプライベートまでは付き合わないとしても、仕事上ではうまくやっていきたい」と思える人間関係は誰にでもあると思います。
私もそうです。
性格やうまがあわない、とか、「根は悪くないと思うけれどひと言よけい」とか(笑)、極悪人ではないけれどなんとなく接点がないとか、そんな上司・同僚・部下、あるいは取引先。
そういう人とも仕事上、潤滑油を流せるだけ流して仕事に支障のないようにしたい。
そのためのコミュニケーションスキルとして、「自分と同じように、相手が好きだと思っているものに対して意識を払ってみる」ことをする。
私もこれを実践することで、10代・20代のころからは想像もできなかったくらい、相手が徐々に心を開いてくれる感覚が分かるようになりました。
「あ、私は大切にされている」
「ちゃんと話をきいてくれている」
そんなふうに相手が感じるからだと思います。
好きなもの、にはその人の思い入れというものが強くこめられるものです。
それがなんとなくスルーされると相手は自分の思い入れが無視されたように感じることもある。
自分で考えたらわかりますよね。
相手の存在を大切に思っていればいるほど、興味・好奇心を感じるはずです。「相手を知りたい」と思いながら。
だから、相手の好きなものには敬意を払う。自分の好きなものに対して強い思い入れを抱くのと同じように。
1) 自分の心を穏やかに、ゆったりと。
2) それから相手の言うことに耳を傾けてみる。
3) ほどよい相槌。
4) 相手が好きなものの話をしたとき、自分の興味・好奇心ではなく、相手の感情に意識を向け、「なぜそれを好きだと思っているのか」、話を聞きながら自分で想像してみる。
5) 「どうしてそれが好きなの?」ではなく、聞く前に想像するクセをつける。
6) どう想像してもわからなかったときにはじめて、質問してみる。
→ 質問は相手に対する興味のあかし(ととらえられる)と言われます。でもあまりに質問ばかりでも「理詰めで話をするロボット」と話をしている気がしてきます(笑)。私のばあい。
「どうして?」
「どんなふうに?」
「なにがそんなにあなたをひきつけるのか?」
などなど。
「こいつには話すんじゃなかった」とすら思いますね。まどろっこしくなるからです。ようするに、「地頭が悪い」。
想像力は相手との共感性を作り出します。それが「1言えば10を知る」ということだと思います。明日のブログでまた詳しくこの点を書いていきます。
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