今日の記事では、「自然の脅威はつねに頭に入れておく」ということについて書いています。
<もくじ>
●自然の脅威はつねに頭に入れておく。
●自然の脅威は自分の想像を超えている、と認識しておく。
このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日の記事は「徒然なるままにひぐらし。」のカテゴリーで人生ドリルシリーズとして書きました。同じカテゴリーで書いた前回の記事は下からご覧になれます。
●自然の脅威はつねに頭に入れておく。
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私は子どものころ、親の転勤で6歳から13歳までの7年間、東北の秋田で住みました。
多い日は一晩で1メートル以上の積雪がある豪雪地帯です。
あの7年間で私は、幼いながらに「自然の脅威」というものを嫌というほど感じたものです。
自然の力は人智を超えています。
毎年冬になると屋根の雪下ろしや流雪溝の処理で命を落とすかたが県内に何人もおられました。
軒にたくさんぶら下がったつららが落ちてきて亡くなるかたもいます。
夏には広い水田で農作業をしていて、髪の毛に留めていたヘアピンに雷が落ちて感電死したかたもおられます。
ツツガムシという猛毒を有するダニに河原でさされて重症化するかたもいる。
山には熊がいて襲われる人もおられる。
大きな自然災害だけではありません。
極寒で毎年、私の両足はしもやけになっていました。
猛吹雪の中、登下校したことは数えきれません。
同級生は一山超えて、片道1時間かけて徒歩で登下校していました。
自然をあなどってはいけない。
だからつねに、「自然の脅威」は頭に入れておく。その力は人間の想像をはるかに超えていると認識しながら。
【理由】
1) 自分の身を守るため。
2) 政策や計画をたてるときのため。
●自然の脅威は自分の想像を超えている、と認識しておく。
いまの私は生まれ育った首都圏で暮らしていますが、ときおり「あれ、なんで」ととても不思議になることがあります。
たとえば交通機関。
たった数ミリの積雪で首都圏の交通機関は麻痺します。
運行時間を見ても自然の脅威を想定していないことが明らかです。
最近は計画的に始発時間を遅らせたり、企業のがわでも在宅勤務に切り替えたりして、自然災害に備える動きもあって、以前とくらべると麻痺の規模が小さくなったようには思います。
たしか徳川家康は江戸幕府を開く際に、風水や過去の膨大な記録を調査して、関東平野が比較的自然災害の少ない土地であると結論づけて、この地を日本の中心に選んだはずです。
それでも自然の脅威があることにはかわりはない。
首都圏の交通機関は分単位でスケジュールが組まれています。それゆえ、1分到着が遅れても車内アナウンスで「1分遅れてしまい、大変申し訳ございません」と流れる。
仕事もそうです。
工程表を見ると、事細かに計画されていることがある。そして納期はタイト。
計画を立てる人間側には「とんとんとん」とすべてがうまく行く、と思っているふしがあります。
コロナウイルスのような世界規模の感染症が発生したり、思わぬことが起こったりすると一気に滞るような計画内容です。
現代人を含めてこれからの日本においては、交通機関も政策立案にかかわる人も企業の経営に携わるかたも、「自然の脅威」を頭にいれてものごとにあたる必要があります。それも、「想像を超えるとてつもなく大きな脅威」。
それがしいては社会を守り、地域を守り、家族を守り、そして自分自身の身を守ることにつながるのだと私は思います。
2020年現在は世界中でコロナウイルスが猛威を振るっています。いつなんどき、どんなことが起こるかわかりません。
a) 常日頃から時間には余裕を持つ。
待ち合わせの時間、取引先とのアポ時間、提出時間。
b) 気持ちに余裕を持つ。
雨や雪で床がぬれていたら、走って移動したり急ぎ足で移動したりしては危険です。気持ちにも余裕をもってあらゆる計画を立てる。
不安も同じです。
無駄に不安を感じるのではなく、余裕を意識します。
気持ちに余裕があると、万が一災害がおきたときも、冷静な気持ちで対応できます。
c) シミュレーションを癖づける。
「この場所にいるときに災害が起きたらどう行動するか」
「逃げ道はどこか」
「仮眠できそうな場所はあるか」
「一晩泊まれそうな場所はあるか」
東北大震災があったあの日、私は都心のど真ん中で帰宅難民となりました。
ふらふらと1時間ほど六本木通りを歩いていると、なんとなく「青学へ行く」ことが正しいと思えてきました。当時の私は青学ビジネススクールの学生だったのです。
行ってみると、学校では夜にもかかわらず騒然としています。
ビジネススクールの建物内をふらふらと歩いていると、職員のかたと階段ですれ違いました。私は頭に降ってきたとおりに、「家に帰れなくなりました。DBA(博士課程)の研究室で一晩、泊ってもよろしいですか?」と相談してみました。職員のかたは快く「どうぞ。避難物資もあります」とおっしゃってくださいました。
後日の新聞報道で、帰宅難民となって国道246号線(通称「青山通り」)を歩いていた一般社会のかたのために青学は大きな講堂をすぐに解放して避難物資も配っていたとのこと。
7、8畳ほどのDBA研究室(当時)のスペースで独り、エアコンから暖を取りながら研究室内のパソコンでメールチェックをしたり状況を確認したりできました。私は人のありがたみをあらためて感じながら、「どんなときでも自然の脅威を頭に入れて冷静に行動する」と改めて誓ったことは、2020年のいまでも忘れないようにしています。
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