今日の記事では、「情熱をどう保持していくか」ということことについて書いています。
<もくじ>
●情熱をどう保持していくか。「熱い人」になる。
●情熱を保持する具体的な方法。
このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日の記事は「徒然なるままにひぐらし。」のカテゴリーで人生ドリルシリーズとして書きました。同じカテゴリーで書いた前回の記事は下からご覧になれます。
●情熱をどう保持していくか。「熱い人」になる。
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昨日の記事で私は、”Passionate”という英語を取り上げました。
小山ケイ過去記事】「クリエイティビティは私を惹きつけてやまない。」カナダ人映画監督デービッド・クローネンバーグ
“Passionate”とは「情熱的」という意味です。
クリエイティビティあふれて、人にインスピレーションと活力を与えられる情熱のことです。
昨日の記事では、「恋愛、人づきあい、仕事、スポーツ、そして生きることそのものに情熱を注いでみると人生が豊かになる」と私は記しました。
情熱は人に伝播します。そして人生を豊かに幸せにしてくれる。
「熱い人」という表現があります。「暑苦しい」という表現もありますが(笑)、「熱い人」という表現はたいてい、その人が何かに対して入魂していて、それをはたで見ている人間にもその思いが伝わってきて感動したり心揺さぶられて共感したりするときに使われます。
熱い人の反対はしらけ。
しらけに価値をおく人もいますが、私は買わない。笑
たんなるフリーライダーだから。
国家の治安だったり社会の動きだったり経済活動だったり国際社会との関係性だったりあるいは地域コミュニティにすら関心を示すことなく、とにかくしらけている。しらけとはそういうものです。
同じ人生を送るなら、しらけよりも熱い人と一緒になって感動したり心揺さぶられて共感したりしたい。
そう言う人と一緒にいると、自分の精神がわくわくと楽しくなったり喜んだりするのが感じられますよ。精神衛生上、そっちのほうがいい。
だから自分も「熱い人」になる。
できるかぎり。
静かな熱い人。
モノ言う熱い人。
行動力ある熱い人。
シャイな熱い人。
ぶっきらぼうな熱い人。
●情熱を保持する具体的な方法。
情熱、それ自体はいろいろなかたが本を出されたりおっしゃったりされています。
情熱を感じるものがないときもあるでしょう。だれにでもあることです。もちろん私にも。
けれど、反対に情熱を持ちすぎて「燃え尽き症候群」になってしまうのはもったいない。これまでの思いや努力、労力、時間、金銭などがつぎ込まれていることもあるでしょうし、魂が生命力を失ってしまったり気力を失ってしまうこともあるからです。
以下の方法は私が実際にこれまでの人生においてとってきたやりかたです。
私も熱しやすく冷めやすくではありますが、振り返るとおもしろいことに、魂を傾けたことはたとえいっとき離れる時期があったとしても、あるときにまたぶり返したように情熱を感じるのです。
趣味、好きな俳優さん、打ち込んだものなどなど。
懐かしさや、情熱を傾けたという自分の精神力をいとおしみながら。
思えばそれは、「ああ、燃え尽きてしまった」から離れたのではなく、年齢だったり生活環境だったり、なにかが変化することで自然に自分の中から忘れたようになっていただけでした。
理屈はわからなくとも自分が情熱を傾けたものは、まるで火種のように残るものです。
その火種をいつまでものこしておく、ということが「情熱を保持すること」の第一歩なのだと私は思います。
1) 最初は助走から。
物事にとりかかるとき、ウォーキングの速さで好とする。あるいはカメの歩みでOK.
つっぱしりは自分のすべてをいきなり傾けてしまうせいか、燃え尽き症候群になりやすい。
2) カメの歩みであれば、丁寧・確実を心がける。
物事を進めるとき、ときにはミス(エラー)が多くなったり粗くなったりします。
カメの歩みを選択した場合、それだけで速度はゆっくりマイペースで行くことを意味する。その歩みでミスをしたり粗くなっては残念。あらゆる面でウサギさんに追い越されてしまいます。
カメの歩みの分、丁寧に物事を進めながら、ミスを少なくするような確実性を大切にします。
ちなみに私はほとんど、カメの歩みで生きてきました。
なんでもできるウサギさんには叶わないからです。
そして自分がエラーだらけで雑になりやすい性分なのも生きるごとに嫌になるくらいわかりました。
3) なぜだか理屈はわからないけれど、とにかく自分の興味や気持ちが惹き付けられるものがあったら、そこに日々意識を注いでいく。
理屈ではないので、無理やり意識してそれを創り出す必要はありません。
よくある「やりたいことがみつからない」という人がわざわざ「見つけよう見つけよう」とするということではない。
そういう時期もある。
あったら、ということ。
4) 3)を自分のなかで転がしながら、1)2)で行動もしてみる。
5) 意識の領域では、ふと時間が空いた時に自分が思ったりすることをその「情熱を感じること」に振り向けるようにする。
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