今日の記事では、母校の青学から単位を持って米国大学へ編入学して卒業し、15年以上に渡って「サステナビリティ・気候変動・地球温暖化対策・環境CSR」に特化した専門翻訳会社を経営しながら、再び母校・青学に戻って経営管理修士号(MBA)を取得した私・小山ケイが、「笑う」ということについて書いています。
<もくじ>
●小山ケイの人生ドリル107 – 笑う。笑えるときに意識して。Smile and laugh for your difficult time in your life.
●喜怒哀楽の喜と楽を感じたとき、大切にしていくということ。
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●笑う。笑えるときに意識して。
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笑顔が非言語コミュニケーションとして大いに役に立ってくれることについてはこのブログで私は何度か触れました。
今日は人生ドリルとして、「笑う。それも意識して。つらいときに備えて」ということについて書いてみたいと思います。
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人生のある困難に直面したとき、私は生きる屍(しかばね)のような日々をしばらく過ごしました。いまから10年ほどまえのことです。
息をしているだけの日々。
息をするだけでせいいっぱいの日々。
同じような経験をされるかたはたくさんおられると思います。
災害に遭われてすべてを失ったかた。
大切なかたを亡くされたかた。
大きな病を患われたかた。
そのときから今日に至るまで、私は「笑う」ということが少しずつでも自分に「生きる力」を与えてくれるのだということをそれまで以上に実感しました。
先日私はこのブログで、「死を思うほど思いつめている人は、泣くことなんかできない。涙も出ない」と書きました。
笑うことも同じです。
おなかをかかえて笑うことはもちろんですが、日々のなにげないことのなかに楽しさを見つけてほほ笑んでみたり、面白いと感じてクスッと笑ったりする、ということもできません。
楽しいと感じないから。
面白いと感じないから。
「笑う」ことで私が少しづつでも生きる力を得たのは、自分が少しでも「楽しい」「おもしろい」と心を動かした瞬間を大切にし始めたからだと思います。
生きる屍のようなときは、それすらもできません。
そして、それを否定する必要もない。
息をしているだけでいい。
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「笑う」という人生ドリルは、無理やり笑うというよりも、自分の心が喜怒哀楽の喜と楽を少しでも感じたとき、それを大切にしていくということ。
●喜怒哀楽の喜と楽を感じたとき、大切にしていくということ。
★何も感じなかったはずの自分が楽しさや喜びを再び感じているということだから。
★悲しみや困難という対象と自分を切り離すことができはじめているということだから。
★自分以外のことに興味や視点を移せているということだから。
★感情が戻りはじめているということだから。
★笑えそうだったら笑ってみる。
★笑顔をつくることで楽しいことや面白いことをなぜかもっと大切にしてみようと思えてくる。
★息をしているだけの日々から笑うことがすこしでもできる日々が増えてきたら、おなかを抱えて笑えるようなことも意識してやってみる。
★穏やかな日々をすごしているときこそ、そのことに感謝する。「あたりまえのことではないから」。そうしてほほ笑んでみる。
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