文章を書く。それも、英語で。

母校の青学から単位を持って米国大学へ編入学して卒業し、15年以上に渡って「気候変動・地球温暖化・環境CSR・サステナビリティ」に特化した専門翻訳会社を経営している私・小山ケイが、「英語で文章を書く」ということについて書いています。

このカテゴリー「英語(潜在意識を味方につけて)」は、最初の記事はこちらです。↓↓↓

このカテゴリー「英語(潜在意識を味方につけて)」で前回書いた記事です。

●英作文について。まずは私の仕事から。

 

私は英語の翻訳をなりわいとしています。日本語から英語への翻訳と、英語から日本語への翻訳とのわりあいを考えてみると、私の場合は日本語から英語のわりあいが半数以上です。

英語から日本語への翻訳はわりと、機械翻訳を利用したり社内で得意なかたが翻訳されているようで、私まで外注されるばあいは、ネイティブチェックが入ることもあって、日本語の文章から英語の翻訳へ、ということになるのでしょう。

 

私自身は米国大学にいるときから英語による論文や文章を書き始めて、卒論ももちろん英文で提出してきました。

「徒然なるままにひぐらし」のカテゴリーで書いたように、米国大学ではWritingのクラスが必修科目として設置されています。

 

ですから留学していたころは毎日のように、英語の文章を書いていました。

  小山ケイ過去記事「米国オレゴン大学へ留学したことについて」

 

その時から英語の文章を書き始めて気づいたことは、「書く」ということと「しゃべる」ということが連動しやすいということです。

自分の書いたことがそのまま、苦労せずに、力まずに、無意識で口をついて出てくることがあるということです。

 

渋谷の桜
渋谷も桜が咲き始めました。2019年3月26日

これは日本語でもいえます。

 

あるレベルの文章を書くためにはたくさん調べます。

知ったかぶりはできないので、しっかり調べます。とくに私の場合は仕事としてやっているので、手抜きなどできません(するつもりもありませんが)。

とことん、調べます。

渋谷

調べる内容は、英語そのものの文法やニュアンスから、原文と自分が訳したものとの整合性、原文の日本語の意味や背景、とにかく多岐にわたります。

 

調べることが翻訳者の仕事、なんて表現するひともいるくらい。

 

そうすると、その過程でいつのまにか、自分の書いた文章をほぼ完全に覚えていることがあります。

調べる過程において思考をはたらかせたり、頭の中で映像を思い浮かべたり(Visualization)ときにはさまざまな感情や意思(emotions)を使ったりしているからだと思います。

 

●英作文と「潜在意識」

 

これまで私が何度か触れていることですが、私たちの意識には「顕在意識」と「潜在意識」があります。

多くの人たち、それもおそらく先進国の「脳化」「都市化」している人たちの多くがつかっているのは、顕在意識のほうでしょう。

顕在意識にはキャパシティがありますが、潜在意識は無限の力があるといわれています。

 

そして、潜在意識は「映像化」と「感情」に反応します。

 

昨今の我が母校、青学箱根駅伝チームの大活躍は、潜在意識をフルに利用していることの好例だと思います。

青山学院 正門

私は、英語の文章を書くときに、潜在意識を使っていることが多いようなのです。

日本語の原文を読んでいるときに頭のなかでイメージしてみたり、調べものをしながら「お客さんに喜んでいただけるようにしっかり調べるぞ」と強い感情を持って気合を入れていたり、納期がタイトであれば、必死にもなったり、わくわくしながら(良い感情を持ちながら)楽しく仕事をしていたり。

文章を書くことは10代のころから大好きでした。

なにしろ「英語に関する仕事につきたい」と高校生のころに願っていたことが大人になったいま、本当に叶っているのですから、私は自分の仕事にたいてい、わくわくとした楽しい気持ちで接しています。

 

その感情とイメージ化がどうも、私が英語をしゃべるという能力にもプラスに働いているようなのです。

 

ネイティブチェックにも出しますので、自分の書いたものが赤で直されてると、「どうしてダメなんだろう?」と考えたり、「こういう言い回しがネイティブの言い回しなんだ」と、とにかく直されたところを暗記しようとします。

「あ、こんな間違いしてたんだっ」ととても恥ずかしい感情が出てくることもあります。

自分の考えを言語化することで考えがまとまりますし、文字は映像として頭にインプットされやすくもあります。

 

感情を持つということと映像化は、潜在意識にフルに働いてもらうための大切な作業です。たとえば、すぐれたアスリートのかたがたは「映像化」と「良い感情」を上手に使っていますよね。

日本にいると、英語の文章を書く機会があるという人はそれほど多くはないと思います。方法についてはまた、時間を見つけて書いていきます。