今日は、人が反応しやすいのは他者の論理性やアカデミックなことよりも、まずは感情である、ということについて書いています。このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日の記事はカテゴリー「徒然なるままにひぐらし。」です。前回の分は下の記事です。
人の感情が持つ力と不思議。人を惹きつけてやまないのは、その人の感情に根差したものです。論理性じゃない。
先日、このブログで、
「人は、声のいやつの話に耳を傾けやすい」
と私は述べました。
「声」には感情がこもります。大声はとくに。
大声を出す場面って、こんな多くはないですか?
★怒りを表現している。
★目立ちたい。
★注意を喚起している(気を付けて!危ない!)
★遠くのひとを呼んでいる。
だから、大声を出す人間の声を聴く人は、そこに大声を出している人間(発話者)の怒りや自己顕示、楽しさ、皮肉、場所や状況に不釣り合いな不自然さ(大声を出さなくても聴こえる状況でまるで遠くの人を呼びつけているかのような大きな声で話す)などなどの感情を無意識に感じ取っていることが多いと思います。
私もなぜかはわからないのですが、これまでの経験から、声の大きな人間の言うことって、他人はよく聞いている、耳を傾けている、という場面に遭遇してきました。言っていることの内容はスカスカなのに(笑)なぜかみんな聞いている。
結局、内容を聴いているのではなく、発話者の「感情」にひきつけられているのだ、ということが分かりました。
それほど感情って、他人をひきつけるということ。
その科学的な理由はもちろん、私にはわかりませんが。感情というものが人間の成長過程において初歩の段階からめばえてくるものであり、そして動物にも存在する原始的なものだから、なのかもしれませんね。
高等な霊長類による脳みそをフル回転させた論理性や整合性、知識の披歴や知性よりも、感情を爆発させているロックバンドのほうがかっこよく見えて惹きつけられるのは、自分と同じ人間だという親近感を強く感じるから、ということと道理は同じだと思います。
表情もそうです。嬉しという感情と結びつきやすい笑顔なんか見せられると、私はコロッと参ってしまいます。笑 それで何人の男にKOされたことか(くぅ)。
反対に、無表情なのにやたら理屈っぽいのとはどうにもウマがあいません。男女ともにですが、この手は男性に多い。その点、女性は頭も柔らかくて笑顔の多いひとが多いので助かります。
感情に根差した言葉や表現が出てくる人にも私はとても惹きつけられます。一緒に外でごはんをたべているときに、
「これ、おいしいね」
「見た目がきれいだよね」
「わくわくするね」
「いい香りだね」
なんて表現がすぐに出てくる人たちとは時のたつのを忘れるぐらい話に没頭します。
でも、ご飯をたべているときに開口一番、
「この焼き加減はどうとかかんとかで駿河湾のなんちゃらかんちゃらとかと似ている。その昔、箱根の関所でどうとうかかんとかでそれゆえにこのような味覚となった」
うんぬんかんぬんのようなうんちくオンパレードなかたとは飯がまずくなる気がしてきます・・・。
日本のパンピー(とくにおっちゃん)がうんちくたれるトップ3は「ワイン、スシ、ソバ」。これを私は「おっちゃんうんちくトップ3」と呼んでいます。笑
庶民の味だから、うんちくたれる人数も多い。
キャビア、フォアグラ、プライベートジェット、世界の高級ゴルフ場についてのうんちくをたれる人は、ワイン・スシ・ソバうんちく人口と比べるとぐっと少ない。
そう思いませんか?
話が外れました。
●むずかしい漢語や四文字熟語よりも、とっさにひびく言葉の数々。
私の本業は「翻訳」です。そして私は若かりしころ、シナリオライターを目指していた時期が数年、あります。言葉や文章が大好きで、20歳ごろにはエッセイの書き方を習いに行ったこともあります。
さらに、「Writing」が必修科目である米国で、留学生として大学生活を数年おくりました。それゆえ、私の人生からは文章を書くこと、つまり言葉との格闘は切っても切り離せません。
自分が実際に書くときはもちろんですが、人様の文章を読ませていただいて感動したり、のちにプロとなる受賞者のかたの応募作品を読ませて頂いたりして、なんて面白くて共感させられるのだろう、といちファンの心境になることはたくさんあります。
そうした経験の中から、私が
「あ~この表現、ぐっとくるなぁ」
「共感するなぁ」
「書いた人の息遣いが感じられるなぁ」
と思うのは、大和言葉や感情に根差した言葉。反対に、論文やアカデミックな場、法律文書などを読んでいてとてもふさわしいと感じるのは漢語です。
驚愕する⇒ 驚く。びっくりする。
泰斗⇒ 大御所。ボス。ヌシ。
感心する⇒ ビビッとくる。KO。ぐっとくる。
了解⇒ よっしゃ。らじゃ。まかしとき。
感謝します⇒ ありがとう。ありがたい。恩に着る。さんきゅ。
プロの作家などは否定的なひともいますが、私は擬態語や擬声語、オノマトペなども文章に息吹を与えると思っています。
比喩もそう。
まるで文章が、GOODYEARのロゴマークみたいに足元にふわふわと羽を付けて、生き生き飛び回ります。笑
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(この文章も、比喩)
つまるところ、「読ませる文章」とはまずは感情に根差した言葉を平たく(平易に)表現していくところから。文体や構成、はその次。
AIには書けない、自由自在にひゅんひゅんと宙を飛び回る魅力あふれる文章をお互い、がんばって書いていきましょうね!
Feel this precious moment!