今日は人生ドリルシリーズとして、「若いうちほど意識的に遊ぶ」ということについて書いていきます。
<もくじ>
●若いうちほど思い切り遊んでおく。
●若いかたにむけて。「こういうことが遊びです」
このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日は「徒然なるままにひぐらし。」のカテゴリーで人生ドリルシリーズとして書きました。同じカテゴリーで前回書いた記事は下からごらんになれます。
●若いうちほどおもいきり遊んでおく。
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私は今年のはじめにこのブログで「2020年を豊かに幸せに生きるために、うんと遊ぼう」と題して記事を書きました。
小山ケイ過去記事】2020年を豊かに幸せに生きるために。「うんと遊ぼう」(1)
小山ケイ過去記事】2020年を豊かに幸せに生きるために。「うんと遊ぼう」(2)
その時は「豊かに幸せに生きるために」ということが目的で書きました。
今日は、「中年以降によりよい仕事をするために。感覚を研ぎ澄ませるために。庶民や大衆の感覚を理解するために(自分もそのひとりとして)」ということを目的に書いていきます。
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上記の記事の中に、「遊びは人との出会いの場を与えてくれる」と私は書いています。
うんと若いうちから遊びをすると、そのときに人との出逢いの場が得られます。もちろん、いいことばかりではありませんが、そこからたくさんの経験をすることになる。
ところが、中年までひたすらエリート街道まっしぐらで真面目一筋に突き進んでくると、遊びそのものに「計算」が入ることがある。
昨日書いた記事のK氏にとってのマージャンがそうだと思います。
中年になってようやく、「人との出会いの場」としてのあそびを覚えたK氏は、おそらくご自身にとってプラスになるとの計算もあったのでしょう、よく知る新聞記者をそれぞれに紹介することとなります。
(ボランティア精神でブンヤさんたちを紹介したとは思えませんので。笑)
「プラス」とはこんなことかもしれない。「自分に有利に書いてもらう」「自分に不利なことは書かせない」「マージャンという遊びでおいしい思いができる(接待として)」
中年になってようやく、「なんか悪いことを共有しているワル仲間(ダチ)に出会えた」とでも思ったのかもしれませんね。軽犯罪としての掛けマージャンをしながら。エリート街道まっしぐらの学生時代、ひそかに「ダチ」という関係性にあこがれていたことを思い出しながら。
そしてそれはもちろん、それぞれの新聞記者にとってもプラスと働く。なぜなら、K氏という検察長官にぶらさがることで「おいしい情報」が舞い込んでくる可能性だってあるのだから。
「K氏とはプライベートでも付き合いがある」と自分の「大物ぶり」をまわりに演出することもできることでしょう。こうした「演出」はビジネスの世界では日常茶飯事。「あの大物と俺は知り合い。いつでも紹介してやるよ」みたいな。そんな場面に私も何度か遭遇しました。(そして相手は「あの・・・・おたくは誰ですか?」となったり。大笑)
計算とは次のような言い方ができると思います。
★捕らぬ狸の皮算用。
★打算。
★「スケベ根性」
計算を働かせてそれぞれが「win-win」になれる状態はもちろん、あります。でもそれは若いうち。「お互いにシナジーを得てそして世の中(お互いの会社、業界も含めて)にも還元しよう!」と純粋な気持ちになることもあるでしょう。
けれど、中年を超えるといずれかにまたの別の人間が関係してきたり複雑な事情がからんできたりする。
ステークホルダーの視点としてもいい。
さらに。ご自身が要職を務めたり著名になればなるほど、「社会の目」「世間の目」も向けられることとなる。遊ぶことそのものが悪、のように受け取られてしまうこともあるはずです。状況によっては。違法性はまったくないとしても。
ゴルフ、パチンコ、競馬、競艇、花札、そしてマージャン。
だからこそ、悔いの残らないように、若いうちから遊びに慣れておかなければならない。遊びそのものを研究しておかなければならない。まわりの人に与える印象を熟知していかなければならない。
中年になったときに「もうおなかいっぱい」と遊びに対して食傷気味になるくらいに。遊べない状況のときに「いまはしかたないよね」とその遊びを控えることができる忍耐力をつけるために。「自分はいつでも遊べる人間である」ということを知るために。遊びを計算手段にしないために。
「若いころからさんざん遊んでんだから、不要不急の遊びを今、わざわざやる必要ないよね」
「この年でわざわざ金、賭けなくてもいいよね」
「この年でわざわざ愛人作って愛人と不要不急の旅行、しなくてもいいよね」
「この年でわざわざ風俗にのめりこまなくてもいいよね」
「この年でわざわざ女子高生を『援助』、しなくていいよね」
小さいころから「遊びの天才」と呼ばれて遊びつくしてきた私の感覚として、遊べない状況であるときは「またいつでも遊べる」という根拠のない、不思議なほど大いなる確信(?笑)が自分の底辺をしっかり、支えてくれています。だからいまは遊ばなくてもいい。別の楽しいことがもりだくさんなのだし。人に不快な思いを与えたり命の危険性をはらんだ行為をいませずとも。
それにこれまで本当にずっと遊んで来られたから。小さいときからずっとずっと。
中年になるまで遊んでこなかった人、とくに勉強一筋でエリートコースのトップをひた走ってきた人は、遊びに翻弄されてしまうのだと思います。免疫力もなく「遊びの赤本」もないから。
聖職と呼ばれる仕事に就いている人ほど、遊びの場では羽目をはずしやすい。私が未成年のとき親の友達からそう聞いて「そういうものなんだろうか」と思ったことがあります。
いまなら「ああたしかに」と思えます。
●若い方にむけて。「こういうことが遊びです」
私が思う、「若いうちから遊ぶ」というはこういうことです。
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◆公園で思い切り遊ぶ。体をぶつけて怪我すれば、自分の心身の限界について子どものうちから知ることができます。
◆おもちゃや積み木で遊ぶ。
◆自然の中で遊ぶ。
◆ダンスをする。
◆体を動かす習い事をする。
(自然がちかくにないというかたもおられると思います)ボーイスカウト・ガールスカウトに参加したり、地域のコミュニティの催し物に参加する。とくに体を動かすもの。
◆ボーイフレンド・ガールフレンドを作る。
◆茶飲み友達を作る(パートナー以外に)。
◆マージャン・花札・将棋・囲碁など、アタマを使う遊びをする。
(K氏はそれまでずっとアタマを使ってエリートコースをひた走ってきて、中年になってから初めて遊びを知って、そこでもやっぱりアタマをつかいたかったのかもしれませんね。マージャンはアタマの体操みたいなものですから)
◆ゴルフのような、「アタマと感覚の絶妙なバランス」が求められる遊びをする。
◆酒を飲む(下戸でなければ)。
◆歌を歌う。
◆オールをする(若い時ほど)。
◆ネットカフェで泊まってみる(同じく若い時ほど)。
◆朝帰りしてみる。
◆若いうちに一度くらいは前後不覚になるくらい飲んでみる。自分の限界(酒の量)が分かるので、その後の人生において健康を維持しながら楽しく適量が飲めます。前後不覚になるのが野暮な人間のすることだということも若いうちに知っておいたほうがいい。いい年こいた中年・老年が前後不覚、は正直ダサすぎ。
◆お泊りする。
◆男友達(女友達)の家で泊まってみる。
◆映画をたくさん観る。
◆音楽をたくさん聴く。
◆クラブに踊りに行く。
◆クラブでスクラッチしてみる。
◆MacやiPhoneでミキシングしてみる。
◆Rolandでミキシングしてみる。
◆ファッションのメッカとよばれるところには足しげく通う。
◆美味しい、と評判のものは食べつくす。
◆ゲームをする。
◆釣りをする。
◆旅に出る。
◆ツーリングする(若いうちほど)。
◆車の運転をする(若いうちほど)
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“小山ケイの人生ドリル55-遊ぶ。若いうちほど。” への2件の返信
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