「海外生活」「海外留学」のコツ。ー単身で行く。それも、若いうちに。

今日の記事では、米国オレゴン州のオレゴン大学に留学した私・小山ケイが自信の体験をもとに書いています。



このカテゴリー「留学の思い出(Oregon)」では前回、下の記事を書きました。

●「海外生活」について書かれた本を手にとり、私が書店で驚いたこと。

 

書店でさいきん、驚いたことがあります。

30歳を過ぎて、ご主人の転勤で海外生活をしたひとの

旅行記のようなものが出版されていたからです。

それも、大手出版社から。

その本を手にとり、ぱらぱらとめくると、

作者を紹介する年齢の前には、

「よわい●●歳ではじめての海外生活」

と書かれてありました。

まるで「その年齢になって大きな苦労をした苦労人

とでもいいたげ。

年齢のまえに「よわい」とつける意味は、

「普通であれば若いうちにすることを、

それぐらいの高齢になって苦労してやった人」

か、あるいは

「普通であれば高齢になってすることを、

それぐらいの若年で苦労してやった人」

ということが暗示されています。

日本語ネイティブであればそれに気づく。

 

電気も通らない、

まともな文明も発達していない、

未開の地球の奥地

そのトシで行きました、

ということならすごいなぁ、と思うけれど、

私が驚いたのは、その年齢ではなく、

先進国、それも超がつく経済大国

一般生活が送れる場所へ、

ご主人の転勤にくっついていった人が

帰国後に本を出せるということ。

それも、私費出版なんかじゃなくって、

大手出版社から。大手書店で販売できる本。

へえ、こんなんで、本が出せる時代なんだ、ということ.。出版不況だからか。出版社も藁にもすがる思いで。笑 (なら、あたしも出せるね。やった)

 

私は海外へ家族と一緒に行った人を目の前にすると、いつも思うのです。

「あなたはいいよ。現地の家に帰れば、日本語がしっかり通じる身内がいるんだからさ。やすらげる場所がちゃんとあるじゃん。海外生活っつったって」。

単身で、それも若いうちに長い海外生活をする苦労は、こんなもんじゃないんだな。ヨワイ30でご主人の海外転勤にくっついていって苦労しました、と言いたい人には悪いけど。(あるいは、そういわせたい編集者には悪いけど)

 

行った人ならわかるはずです。

自分のほうがむちゃくちゃ若いからこそ、

現地のオトナも容赦ない言葉を掛ける。

スラングだって平気で言ってくる。

上から目線でものを言ってくる。

遠慮がない。

だいたい、教授がそう

言葉が理解できないできょとんとしていると、

なんでそう、おとなしいんだ」と否定される

相手が二十歳もとっくにすぎた大のオトナであれば、

笑ってごまかして指摘しないだろうに。

日本の教授であれば、何も言わなくても

外国人留学生が言葉と文化の違いで大変な思いをしている

ということは察してくれる。

察しの文化だから。自分がかつて、留学で苦労したから。

 

●米国での「海外生活」「海外留学」では、目をしっかり合わせないと、現地のコンビニ店員からうんとシカトされるよ。

こっちが若ければ、

こっちがちゃんとアイコンタクトを取らなかったからと

コンビニの店員もおもいきり無視する。

日本では考えられないけれど。

店員のニーちゃんのほうがさいしょっから目合わせないからね。笑 「いらっしゃいませ」すら言わないの、いるしさ。

けど、そうじゃない文化がある。

こっちが目を合わせてちゃんと挨拶しなかったら、買ったものを、まったく目線も合わせずに投げつけるようによこしてくる。

客はこっちなのに。

「仕返ししてやるよ」と言わんばかりに。

 

客が駐在員となるぐらいの年齢の日本人であれば、店員の態度もまた違うだろう。つまり、「ヨワイ30」くらい。

たとえ彼・彼女が米国の文化あるいは社会的慣習にのっとってアイコンタクトをしっかりとらなかったとしても。

まわりもそれなりの社会人として扱うわけです。

相手が家庭もちのオトナであれば、遠慮して言わないようなことも出てくる。

だから、ある年齢になった妻子持ちが海外でMBAを取りに行くときも同じ。

それぐらいになっていく日本人はおそらく、30歳前後が多いから。

これまた、「ヨワイ30」。

現地の人間の態度も、

20歳前後の学部留学生へのものとは違う。

もちろん、駐在員村の中の人間関係もあるだろうけど、

そうなれば、本のテーマは違ってくる。

「現地の人たちのなかで海外生活をして苦労した」

じゃなくって、

「タテ社会の日本人村を海外にも持ち込む日本社会で苦労した」

だよね。

 

●若者が単身で海外へ出ていくことは、悔し涙を流すときも独りだということ。

若いうちに単身で海外へ行って、現地の言葉を使って長い海外生活をおくる人は、それを相談したくても相談できる相手が限られている。

だって、家族がいないんだから。

家族と一緒に海外へ行く人とは違うんだから。

言葉が分からなくて、

きょとんとしていたら、黙りこんだから悪いやつだって相手に誤解されても、自分ひとりで悔し涙を流さないといけない。

「どうしてなんだろう。なんできょとんとしているだけで、悪者扱いされるんだろう。日本では理解されるはずなのに。『ああ、この人は外国人だから、言葉が分からなくていま、黙ったのだ』って。これが日本語だったら、『誤解です』ってちゃんと言葉で説明できるのに」

とフラストレーションを貯めこまなくてはならない。

「言葉が分からないので私はいま、きょとんとしてます」

“Now I am lost because I do not understand your English. I am not American, I am from Japan and English is not my first language. I am NOT wishy-washy at all “ (滑舌よく、それぞれの単語を、わざとらしく、強調して言うのがポイント。短縮形よりも略さない言い方のほうが効果的よ。笑)

と、現地の言葉でちくいち説明してやらないと相手が理解しようとしない文化があるということ。

日本の優しい察しの文化とは違う文化があるということ。

自分の主語さえ相手からみた自分の役割で言い直して「お父さんはね、お母さんんはね、先生はな」と言いながら相手と一体感 (unity) を得ようとする文化とは違う文化があるということ。

英語なら自分の主語は、どこまでいっても「I(アイ)」だ。

そして、それは自分だけの力で理解しないといけない。

家族と離れて、単身で海外生活をするひとは。

アイコンタクトが死活問題となる社会では、初めて入店する店でたとえまったく見ず知らずの店員と目が合っても、目線をけっしてそらさず、相手の目線をじっと見たままで「Hi」と笑顔で声を出さないと、その店員からはまともな接客が受けられない。

自分が若ければ若いほど。

これらを誰かに教わるのではなく、自分がされたことから必死に学びとっていかなければならない。

だってこれこそカルチャーショックなのだから。

日本語がまったく通じない、日本とはまったく異なる文化のなかで長期にわたって住むということはそういうこと。

カルチャーショックで体調を崩すひともいる。

精神的にうちのめされる人もいる。

そして、大学の卒業を待たずに断念して途中で帰国してしまう人もいる。

 

●Steve Jobsのスタンフォード卒業式スピーチから「Stay hungry, stay foolish」

若い子に私は言いたいんだ。

若いときに悔しくて悔しくてひとりで泣いたこととか、自分の力で必死に理解したこととか、理不尽な目にあったけれどその悔しさをばねに努力して、自分の意志で、自分でやる、と決めた目標を達成したこととかは、あなたがうんと大人になったときにものすごい心の支えになってくれるんだよ。

自分の価値基準と言ってもいい。つまり、信念。

大きな、決して揺るぐことのない、信念。

その目標はなにも、海外留学だけじゃない。

スポーツでも、音楽(バンド活動)でもいい。

大人になるととにかく、あらゆる問題に直面するから。

信じられないような問題。

そのときに、自分の信念があれば、

あなたにはその信念を土台に、

「問題に向かって行動する」という強い精神力が生まれる。

自分を信じながら。

海外留学であればカルチャーショックを若いときに経験すると、信念を熟成させられる年月が長くなる。

そして、若いからこそ人に頭を下げられる

何にも持ってないんだからね。

「わからないので、教えてください」とまわりの人にいくらでも教えを乞うことができる。心から。

頭を下げることはまったく恥ずかしいことじゃないと分かるから。

だが、大人はこうはいかない。

会社で部長だのなになに長なんかになった50代60代のおっちゃんが、人に頭をさげられるかいな。

20代30代のあかの他人に。

カミさんにすら頭さげないのにさ。

自分でわざわざ選び取ったから経験するカルチャーショックと言葉の壁。

ゆるぎない信念を持って大きな行動力と強い精神力があれば、大人になってもこわいことなんかなにもない。

ホントだよ。

Stay hungry, stay foolish.

 

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