学べる時間がある限り、学び続けてみましょう。感謝しつつ。

今日の記事は、
人生におけるあらゆる「学び」ということについて書いています。
●日々は学びの宝庫。感謝しつつ学んでいます。
●SNSや動画の書き込み。
昨日は下の記事を書きました。

●日々、学びの宝庫。感謝しつつ学んでいます。

青山学院

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学ぶことは、学校で学位をとったり

机に座って勉強したりすることと

合わせて、

人から教えてもらったり、

人を反面教師にしたり、

日々、

「ああ、そうなんだ!」

という経験でいっぱいですよね。

学校で学びたくても

時代や社会環境がそれを許さずに

思いがかなえられない人、

かなえられなかった人は

世界中にたくさんいらっしゃいます。

 

学校で学べることができる

機会があることは

本当に恵まれていると思いながら、

私は現在、

ある資格の取得に向けて

学び始めました。

こういう資格があることを知ったのも

人とのご縁のおかげです。

今の仕事の専門性プラスアルファの

専門性になります。

人の役にすこしでもたてそうな国家資格ですし、

それを介在にコミュニケーションが

楽しめそうなので、

いまからわくわくしています。

私の頭のなかにはすでに、

自分がその国家資格を取得して、

人とあれやこれやとやりとりしている

ビジュアルが鮮明に浮かんでいます。

いつになるかはわかりませんが、

この夢がかなうことは確実だと

私はこれまでの経験から

実感しています。

自分の潜在意識に、

明確なビジュアルと、

自分のわくわくとした感情を

毎日、毎日植え付けているからです。

 

でも学びって、

こうした机の上でするもの

ばかりじゃないですよね。

人から教えてもらうことも

立派な学び。

「こうしたらいいよ」というアドバイスや

生きざまというポジティブな学びと、

反面教師というネガティブな(?)学び。

 

●SNSや動画の書き込み。

私はSNSはほとんどやりませんが、

若者をはじめとする

ヘビーユーザーのかたがたの

意見を見ていて、

非生産的な書き込みをするひとが

多いことを知りました。

私がPCにはまった20年近く前も

非生産的な匿名の書き込みは

多かったのですが、

いまやスマホの時代で

だれもがSNSにつながれるがゆえに

昔のPC全盛期以上に

非生産的な書き込みが

わんさと増えているのかもしれませんね。

昔はPCを持っている人、

PCが買える人しか

書き込みはできなかったのです。

だから、わりとネットに詳しい

マニアックな人が

ずらりといたように

記憶しています

(私自身はいまや、

SNSやるなら

その時間を割いて

ライブ活動したいな。

照明も少ない小さなライブハウスで

数十名のお客さんを前に

楽器と歌と詩と酒をみんなで愛でながら)

 

でも、そういう話を聞くと、

ここにも学びはあるのだと思いました。

インフルエンサーと呼ばれたり、

フォロワーがたくさんいるような人は

嫉妬の対象になりやすいらしいことや、

そういうかたたちにすがってくる人が

けっこういること、

インフルエンサーは信望者も多いけど、

無駄な反論もたくさんされることなど。

ネットも社会を写す鏡ですね。

有名税かもしれないけれど。

 

結局はSNSって文字の世界。

動画への書き込みだって文字です。

文字で完結する人っているのですよ。

たぶん、実社会では生身の人間として

あまり人とやり取りしていないか、

不満を抱えているとか。

文字=脳化なので、

「出るとこ出よや」で

生身の人間どおしの対面となったら

意外とおとなしくて引っ込み思案の人

なんてことがあると思います。

 

非生産的な書き込みに費やすひとがいれば、

それを反面教師に

自分は同じ轍を踏まない、

という学びになりそうです。

なかには気の毒なかたもおられるのですよ。

私がネットの住人(?)だったとき

ロムっていたところで

不思議な反論をされるかたが

おられました。

不思議な反論、というのも妙な表現ですが、

すごく頭がいいんだろうな、

というのはわかりつつも、

その人のまともな社会生活を

どうも想像できない反論なのです。

他のかたもしだいにそのかたの

反論をスルーするように

なっていました。

私はロム中心だったので

もちろんそのかたとはまったく

面識はありませんでしたが、

けっきょくそのかたは

気持ちの病をわずらっておられたようで、

しばらく書き込みがなかったときに

自らの命を絶ったと

あとからお身内のかたの書き込みが

ありました。

彼にとってネットでの書き込みって

どういう意味があったのだろう、

としばらく茫然としたのを

覚えています。

 

見ず知らずの人と共鳴しあえる

アンプリファイヤーとなりえる

SNSですが、

ここで完結してはいけない。

いずれはオフ/リアルでも会うことを

頭に入れて

やりとりするのがSNSのだいご味だと思います。

Facebook」というように、

それまでのネットの常識を覆すような、

「顔写真」つきの自己表現の場で

リアルの世界の知り合いたちを

初めとして

世界の人たちとつながっていく。

でも、場はあくまでも、リアル。

ネットだけならモトコになっちゃうよ。

You are not “Major” in “Ghost in the Shell.”

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