今日は、これからの10年間、エッジの利いた人間が二極化することについて書いています。昨日は下の記事を書きました。
●これからの時代、たとえエッジがきいた人間どおしでも、探求先が「内面の深化」か「外的要因の分析・追求」かで二極化すると思います。
私はエッジの利いた人間が大好きです。そして自分もそうあろう、と10代のときからむちゃくちゃ努力してきました。
でもこれからの時代、おなじ「エッジのきいた人間どうし」でも二極化すると思います。この世とあの世とで二極化しているのと同じく。
どういうことか。
世の中で話題になることや大きく取り上げられることがありますよね。それらを見ていると、エッジがものすごくきいている人のなかには、外的要因(世の中のことや政治、科学、医学、学問、世界情勢などなど)を分析し、そして頭と、ときには体を使ってそれらを追求していくかたたちがおられます。
あまり詳しく書くと、私がまるでそのかたがたを非難しているかのようなニュアンスになるので書きませんが、あくまでこれは、「あ、このかたすごくエッジがきいててかっこいいな」と感じているのだけれど、そのかたと私はおなじ列車にはのっていない、と私が感じるにすぎない、ということ。
宇宙にものすごく興味を感じるかたたちがいますよね。そこにはもしかしたらいわゆる「ロマン(それも「男の」)」があるのかもしれない。でも私はすでに、「自分は宇宙からこの世に来ているし、宇宙のソースと今でも完全につながっている。だからまた生まれ故郷にわざわざ戻る必要はない。死んだらどうせ向こう(宇宙)に戻るんだから」とどこかで強く感じています。確信ともいえる。だから、視点が違うということ。どっちがいいとか悪いとかの問題ではなく。
SFちっくな話ですみません。笑
ようするに私が言いたいことは、私はこれからもさらに、同じくエッジのきいた人たちと一緒に、内面の深化を追求していくだろうな、ということ。
同じくエッジのきいた人たちとは、自身の行動の社会的な価値は追求しつつ、座禅をくみに行ったり、ヨガをやったり、アファメーションをしたり、「バシャール」と交信したり(大笑)、バイノーラルな音を聴きながら深い瞑想状態になってイノベーションのための感度を高めたりしている人たち、ということです。
もしかするとこれは、左脳vs. 右脳、顕在意識vs. 潜在意識ともいえるかもしれない。ネットの世界をよくみていればその二極化が明らかにわかります。
すごく卑近な例として。
5Gだ、動画の時代だとさんざん言われています。でも私のような内面の深化を追求する人間にとっては、そこで提供されるであろうドラマや映画、芝居の「質」をみます。いっぽうで「外的要因の分析・追求」が好きな方は5Gや動画技術の「質」を上げたりそれらを世に普及流布させることにまい進することでしょう。
私にとっては、ドラマや映画、芝居の「質」は、ともすると自分の人生の質にもかかわってきます。だから、質の低いものにかかわっているひまはない、という気持ちになります。芸能事務所の覇権争いに巻き込まれたような大根役者ばっかりでてくるドラマとか支離滅裂な脚本が土台の映画とか内輪うけのお笑いとか。
質の高いドラマや映画、芝居は、人の内面の深化を促進させるツールだと思っているから。もっと言ってしまうと、他の人と「宇宙のソース」という大きな「場」でひとつになれる。
外的要因の追求の代表例は、最先端科学の進化だと思います。それは人間の生活を向上させ、ときには「夢」も与えてくれる。それらを扱ったドキュメンタリーや雑誌を見ていると、私も時がたつのを忘れてしまいます。
いっぽうの「内面の深化」に向かうエッジのきいたグループは、自身の問題解決やよりよく生きる方法の追求はもちろんのこと、他者のそれらにもかかわっていくであろうということ。その例が、お坊さんたちによる、「死について語り合うカフェ」とか「死をシミュレーションする瞑想の会」などです。
大きな自然災害で心身ともに痛めつけられた人たちがたくさんいます。PTSDに苦しむ人たちがいる。家族の問題もある。人間関係も。
そして私は後者のグループの人間でありたい、と思っています。しつこいようですが、どっちのグループがいいとか悪いとかの問題ではなく、私のいま持てるもの、生まれながらにして与えてもらったもの、これまでの経験を考えると、後者でそれが活かされることがあきあらかだからです。
でも、いずれもエッジのきいたグループであることにはかわりない。
なんどもご出場いただきますが(笑)、私を含めて多くのビジネスパーソンが尊敬するSteve Jobsはおそらく、「どちらの世界も行き来していたエッジのきいた人」だったのではないかと想像します。
だから、どちらのエッジグループも協働すれば、世の中や世界に価値あることを提供していけるということ。Steve Jobsのように、たったひとりの人間のなかに両方のエッジを持つ人は、神様にピックアップされたごくわずかな人だけだけれど。
●両方のエッジグループがからむことでできること。
ほとんど、陰陽ですね。二つのグループがからんで相乗効果をあげることで、ものごとが中庸に向かうと思います。バランスのとれた状態。世界的に。
私自身が10代のころから自分との折り合いをつけるのにものすごく苦労した話は何度かこのブログで書きました。
父親の仕事に転勤が何度かあったので、「転校生」も何度か経験しました。組織の中に入っていく難しさは、年齢に関係ないですね。豪雪地帯で長年生活したので、自然の驚異もまざまざと経験しました。
これからの10年、こんな世界になっていくと思います。
★最先端医学の現場における、患者ひとりひとりのマインドへの密なアプローチ(最近の医学現場でよく行われています)。→日本では、認知行動療法をはじめとする保険適用外の治療方法も保険が適用されることになるかもしれません。
★5G/8K以上のさらなる高速高画質動画による、「国境なき地球市民」の密な心的対話→ Marshall McLuhanによる”Global Village”の現実化はもちろんのこと、John Lennon による”Imagine”の世界が実現(お二人とも、預言者です)。
★最先端技術の革新が間接的・直接的な「Trigger」となることによる、人の流れ(旅行者)の加速化。そして戦争の縮小化(時間や費用、人力はかかるとしても。また、完全になくなることがないとしても)。
●まとめ
エッジのきいた人たちは社会に価値を提供します。フットワーク軽い行動力をともなって。私もそんな人間でありたいと、10代のころから努力してきました。
これからの10年、エッジ人間は二極化すると思います。外的要因に働きかける人たちと内的要因に働きかける人間と。そして二つのグループががっぷりよつに組むことで中庸が世の中に生まれるはずです。まるで、Pokemon Go!のマリアージュみたいな。大笑
今日の記事は夢ものがたり、みたいに思われたかもしれません。でも私ひとりじゃないです。多くのかたがいつか「二つのエッジグループ」に加わっていただけることを願いつつ。(と、John Lennonの受け売りでしめくくります。笑)
“これからのエッジ時代、探求先が「内面の深化」と、「外的要因の分析をする人」との二極に分かれると思います。” への1件の返信
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