“Come”
今日の記事では、母校の青学から単位をもって米国オレゴン大学へ編入学して卒業し、15年以上に渡って「サステナビリティ・ESG・気候変動」などに特化した専門翻訳会社を経営しながら再び青学(大学院)へ戻ってMBA(修士号)を取得した私・小山ケイが、英語の”come”の奥深さについて書いていきます。
<もくじ>
●”Come”の奥深さ。あらゆる意味で。「エネルギー」としての”come”のベクトル。~NHKラジオ第二からインスピレーション。「ハートでつかめ!英語の極意」
●英会話のときに相手の視点に立ってみる。日本語が主語を相手の視点に変えるように。「相手に自分のエネルギーを沿わせてみる」
このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日の記事は「英語(潜在意識を味方につけて)徒然なるままにひぐらし。」のカテゴリーで書きました。同じカテゴリーの過去記事は下からご覧になれま
●”Come”の奥深さ。あらゆる意味で。「エネルギー」としての”come”のベクトル。~NHKラジオ第二からインスピレーション。「ハートでつかめ!英語の極意」
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今日のNHKラジオ第二「ハートでつかめ!英語の極意」(6:45-7:00)を聴いていて。
東洋学園大学の大西泰斗先生による平日の番組です。
そこから得たインスピレーションをもとに書いていきます。
*********
番組では、「どこを視点にするかで”come”を使う」というような内容でした。
たとえば、「待ち合わせは渋谷で」とした場合、日本語であれば「9時の待ち合わせ時間に行くね」となります。
でも英語では’go”ではなく、視点を待ち合わせの「渋谷」に合わせて、“come(来る)”となる。
言われてみれば、「ああ確かに・・・」となってしばし、考えてみました。
“Dinner is ready!”
と台所から言われれば、
“I’m coming!”と答えます。
そのときの視点は、「台所」。
そして、もっと言えば、「言った人(のもと)」。
大西先生はアカデミックな側の先生らしく「視点の方向性(Direction)」と言っていましたが、私が得たインスピレーションは「英語の”come”は奥深い」ということ。
つまり、「英語では”come”と”go”が持つエネルギーのベクトルが異なる」ということ。
どういうことか。
私が思うに、”come”は中心部や奥深いところ、内側に向かってエネルギーが流れて行くようなイメージです。反対に”go”は外側や無限の世界に向かってエネルギーが流れていく。
“Come”はこちらがわ。そして”go”はむこうがわ。
上記の例でいえば、”I’m coming.”で「私」は話者の「こちらがわ」に来ます。
でもI’m going.”だとなんとなく、「私」は話者から離れて遠く解き放たれるようなイメージ。
Let go of.がいい例です。
「解き放つ」「(執着を)手放す」という意味ですよね。
“I got go.“もそう。
いま目の前にいる人から私がエネルギーとして遠ざかっていくようなイメージ。
日本語にすると、「もう行くね(行かなくっちゃ)」という意味合いで別れ際に使います。
私が数日前の記事で書いた、聖書の言葉「私のもとに来なさい ‘Come to me.”」もそう。
英語圏の、とくにキリスト教の影響が色濃い文化では、“come”はとても奥深い英語だと思えます。
“Time has come.”も聖書では重要な一文です。
日本語の聖書では「時が来た」となっているのですが、「時とはなにか」として私はかなり若いころに、クリスチャンの人たちと話し合ったことがあるくらいです。
性的マイノリティのかたが公表することを“Coming out.”と言います。”Coming out of one’s closet.(だれそれのクローゼットから出てくる)”とも言う。イメージとしては、「こちらがわにくる」感じがします。彼・彼女のエネルギーがこちらがわに。いままでクローゼットの扉の「むこうがわ」にいたのだけれど。
さらに、セクシャルな場面でも”come”は使われます。そういうブログではないのであまり詳しくは書きませんが(大笑)、愛し合うパートナーどおしが「あの瞬間」にいたるとき、使います。エネルギーが二人の深い部分に向かって一緒に流れていくようなイメージです。日本では反対に”Go”のほうを使いますが・・・(レディコミや週刊誌ならカタカナで書くところですね)。
“Come”はビートルズの歌にもあるくらい、奥深い。
今日、NHKのラジオ第二を聴いていて、あらためてそう感じましたね。
(ドラムパートがさいこーにかっこいっす。”Come Together.”)
★★★★★Quoting from the official YouTube video of Beatle’s, “Come Togher”★★★★★
●英会話のときに相手の視点に立ってみる。日本語が主語を相手の視点に変えるように。「相手に自分のエネルギーを沿わせてみる」
では実際に英会話で使えるようになるにはどうするか。
アタマで「視点、視点」と考えて言葉を発するのではなく、瞬時に、とっさに、無意識の領域から”Come”を使えるようになるには。
英会話では、相手の視点によって自分の主語を変えるということはまずありません。
このことについては私は以前、このブログで書きました。
けれど、”come”に関して言えば、「相手の視点に立っている」と言える。
待ち合わせ場所の渋谷にすでに相手がいると想定すれば、「相手のもとに行く」ことになります。というのも、相手からすれば、待ち合わせた人が自分に向かって(エネルギーが)「来ている(come)」のだから。
“Dinner is ready.”もそう。
言った人は台所(あるいは食卓)にいる。
そして、”I’m coming!”と言う人は、相手の視点にたてば、「来ている」ことになります。
言ってる意味、わかります?笑
つまり、こういうことです。
日本語であれば、主語を相手の視点に変えることで「相手に自分のエネルギーを沿わせる」という共感性を発揮させますよね。
「お父さんな、お母さんはね、先生はな」と、子どもの視点に合わせて自分の主語をかえて、話者の話す内容を相手のこととしてあらわそうとするような。
英語ではあれば「私はあなたを心配した」となるところを、日本語では「お母さん(お父さん、先生)心配したわ。あなたをとっても」となる。
この「エネルギーの感覚」を英語の”come”にも使ってみるのです。
私は実際、そういう気持ちで“I’m coming!”と言ってます。
気持ちがそちらにイタコしてます。笑
ぜひ日本語の「主語を相手(とくに子どもや目下)」感覚を”come”の応用に利用してみてくださいね。
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““Come”の奥深さ。あらゆる意味で。「エネルギー」としての”come”のベクトル。~NHKラジオ第二「ハートでつかめ!英語の極意」からインスピレーション。” への6件の返信
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