先日1月1日に書いた記事から、今日は「自分を『疑う』」ということについて書いていきます。
1月1日解体記事と、昨日書いた記事は下からご覧になれます。↓↓↓↓
(我が母校青山学院の駅伝チームOB森田くん、下田くん、一色くん、林くん等々が就職したGMO社です!私がひそかに応援してきた島貫温太くん(帝京大)もGMOチームへの参加が決まりました!やった。実業団からも目が離せなくなります)
●自分を「疑う」。「信じる」のではなく。
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「自分を疑う」
もちろん、自分を「信じる」ことはとても大切です。なにか結果を出そうとしているときに、これまで自分がやってきたことを自分が認めて、その力が十二分に発揮されることを「信じる」。追い込むぐらいに努力を重ねていたのならなおさらです。
けれど、ときには自分を「疑う」必要も人生にはあります。なぜなら、人間は思い込みの生き物だから。そして、信じすぎて勘違いして結局、結果を出せないこともあるから。
私の長年の実体験からつくづく、そう思います。
自分を疑ったほうがいい場合は次のような時です。
★習慣化していることを惰性でやり続けているとき。
★習慣化していることを違うやりかたにかえるとき。
★失敗が許されないとき。
●習慣化していることを惰性でやり続けているとき。
「慣れ」はいいこともあります。でも悪いこともあります。「慣れほど恐ろしいことはない」なんて表現がありますよね。
たとえば、このブログでも以前、触れたことがありますが、同じ単語帳なり赤本なりを何度も解いているとき、人間はその本に慣れます。書体、インクの色あい、ページ内に並んでいる順番、文字の大きさ。
だから、慣れてしまうとそれで「ああ、覚えた」となりそうですが、本番の試験で同じ単語や慣用句が出てきても解けないことがあるのです。
試験問題の字体や出てくる順番、文字の大きさは、これまで自分が慣れ親しんだ「本のもの」とはまったく違うから。
だからこそ、「ああできた」で自分を「信じ切って」しまうのではなく、自分を「疑って」何度でも単語帳や赤本を開いたり、いつもとは違うページから始めたり、一度ワードなりにランダムに書き出してから、ワードの字体で解いていく、なとの工夫が必要です。
楽器の練習や駅伝の練習、プレゼンの練習と同じく、結果を出すためには「これでもかー!」というしつこいほどに自分を疑う姿勢をもって実際の行動に移します。
●習慣化していることを違うやりかたにかえるとき。
これも以前、このブログで少し触れました。いつもの道順でポーっとしながら歩いていると、「いつもの道順では工事中ですので来られません。これこれこういうルートで来てください」と前日までに先方から言われていたことを「通行止め」の標識を見て初めて思い出したりします。
違うやり方のほうが自分の中に定着していないがためにこういう間違いをおかす。だから、ずっと習慣化してきたことを「違うやりかた」にするときは、無意識ではなく意識の領域を使って注意する。つまり、自分(習慣化していること)を疑う(意識の力で)。
◆いつもとは違う道順でいくとき。
★いつもとは違うクレジットカードを使うとき。
★いつもとは違う行動パターンでいくとき。
★長年使っていたパスワードを変えたとき。
●失敗が許されないとき、自分を「疑う」。
失敗が許されないこととはつまり、人に重大な過失を与えたり自分も危険な目にあうようなことです。たとえば自動車の運転や危険がともなう器具や機械を扱うときなどがそうです。
人生において失敗が許されないことはあまりありません。でも、人や自分の命にかかわることはおそらく一番の「自分を疑うべき局面」かもしれません。
◆自分の能力を「疑う」(過信しない)。例)自動車の運転能力、動体視力。
◆自分の技術力を「疑う」。例)一歩間違うと大けがをする機械の操作。
自分を疑うとはつまり、「自分を過信しない。慎重になる。間違いがある可能性があるから小さく動く(あるいは動かない、じっとしている)」ということです。
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