今日の記事では、母校の青学から単位をもって米国オレゴン大学へ編入学して卒業し、15年以上に渡って「サステナビリティ・ESG・気候変動」などに特化した専門翻訳会社を経営しながら再び青学(大学院)へ戻ってMBA(修士号)を取得した私・小山ケイが、年に一度公開されるという、外務省の機密文書から、「助力」という言葉について書いています。
<もくじ>
●<英語>「助力」→ “Support”だと私は推測。年に一度公開されるという、外務省による公開文書。1989年の日米構造協議のブッシュ米国大統領(Sr.)による。
●”Support”の発音。
このブログ「小山ケイ:Feel this precious moment」はいくつかのカテゴリーに分かれています。今日の記事は「徒然なるままに、ひぐらし。」のカテゴリーで書きました。同じカテゴリーの過去記事は下からご覧になれます。
●<英語>「助力」→ “Support”だと私は推測。年に一度公開されるという、外務省による公開文書。1989年の日米構造会議のブッシュ米国大統領(Sr.)による。
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先日も公開された、外務省による30年前の極秘文書の定期公開。
今回は、1989年に日米の経済摩擦を解消する目的で開かれた、日米構造協議の文書から。
「『海部総理(当時)の助力をお願いしたい」と、3回、「助力」という言葉が使われた、とNHKニュースで報道がありました。
助力(じょりょく)。
私がまっさきに思い浮かべた英語は“Support”です。
「助力」と漢字二文字を使われると、とっても固い印象ですが、”support”であれば平たいですし、友だちのようなフランクな間柄でもしょっちゅう、使う英語です。
★Thank you for your support.
★I need your support.
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日米構造協議。懐かしいですね。
米国側の政府団は、真っ赤な蝶ネクタイのひとやタカ派の女性議員(あーなんてったかな・・・口の大きな人)なんて、まるでテレビドラマのキャストみたいにキャラがたってて、映像的にも印象的(かつ刺激的)でした。→ 「Noと言える日本」が出版されたのもたしか、そのころ。
あのころはいまみたいにネット社会もなくて、もちろんSNSもなかった。
YouTubeもなかった。
Twitterも。
第二次世界大戦を終えて44年。
なんとなくまだ、世界大戦中のお互いに対するプロパガンダが影響力を若干でも与えていたような雰囲気がありました。文化的に。人間レベルで。
当時のハリウッドBlockbuster系映画にはなぜか、やたらデフォルメされた「写真好き・でっぱ、メガネ、短足、ガニ股、チビ」の団体日本人旅行客が登場したり。”Take a picture”とかなんとかいいながら(笑&謎)。
お互いの国に長年住んで、しょっちゅう行き来して、お互いの友人知人が多くて、国際結婚も多くて、お互いに文化的にも影響と刺激を与え合って、という、今の時代のような雰囲気ではなかった、と私は記憶しています。
Pokémon Go!のマリアージュ、なんて当時の人には想像できなかったよね、きっと。
だから、日米構造協議にも、お互いをよく知らないがゆえの、感情的で誤解に基づいた戦略・戦術が見え隠れしていたように私には見えました。
政治家も人間なのだし。
●”Support”の発音。
カタカナの「サポート (SA-POH-TO)」とはすこし、違います。
とくにアクセント(強弱)。
1) (母音は少し聞こえるぐらいで)「Sa」
2) 「Po」(ここが一番、音程が高い)
3) (舌の中央部分を奥にひっこめるようなイメージで)「R」(米国英語)
4) (母音なしで)「T」
5) 「Sa」 + 「Po」 + 「R」 + 「T」
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