⚫️“Sorry”という言葉〈エッセイ〉
米国大学に正規留学していたはるか大昔。
必修科目の一つである”Writing”をとりました。その時のことです。
参考文献として先生が配布して下さった資料には、米国の中学だか高校だかの先生のエッセイが載っていました。
かなり大昔のことなので、細かいことは忘れてしまったのですが、なんでもその先生が自分の上司である「校長先生」と生徒について話していたら、その生徒の状況について、”i’m sorry”(それは残念だ)と言ったら、「いや、君が謝る (Sorry)必要はない」と言ったというのです。「謝ることを想定していたのであり、それはつまり、こちらに落ち度がある、と思っていることの裏返しであり、腹がたったと。
たしかに、日本の英語の授業でも、”Sorry”には「残念だ」という意味もある、と教わります。謝罪の意味のほうが先に教えられるけれど。
何処も言葉にそのひとの本心が現れることがある、と私が知った瞬間でした。
それまでは、米国人はわりと陽気で大ざっは(笑。SORRY. Americans!)だと思っていたのですが、この”Sorry”にまつわるエッセイを読んでから私は、米国人も日本人と同じく、言葉に対して敏感なひとがいるのだ、と、さらなる語学の高みに触れた気がしたのでした。
⚫️”Sorry”の発音。
1 ソー
2 「Ri」