●青学からオレゴン大学へ留学した際の単位認定
今日の記事では、母校の青学から単位をもって米国オレゴン大学へ編入学して卒業し、15年以上に渡って「サステナビリティ・ESG・気候変動」などに特化した専門翻訳会社を経営しながら再び青学(大学院)へ戻ってMBA(修士号)を取得した私・小山ケイが、米国の母校「オレゴン大学」について書いています。
青山学院(青学)から単位を持って米国オレゴン州ユージン市(Eugene)にあるオレゴン大学(University of Oregon = UO)へ編入学した私は9月の新学期に合わせて単位の交渉をしに事務局へ向かいました。事務局はすぐ隣の市であるSpringfield市側のゲート近くにあります。
We’re looking at redesigning the segment of 13th Avenue that runs through campus and we want your feedback. Head over to an open house Feb. 7 at the EMU to share your thoughts on ways we could improve this defining thoroughfare. 🚶🏽🚴🏾🏃🏼 https://t.co/9KoFgnvdkV pic.twitter.com/kNGBbFkPfG— University of Oregon (@uoregon) 2019年2月1日
数日前にもらった単位認定表を見ると、「Aoyama Gakuin」と一番上に記載があり、持って行った単位はほぼすべて、認められていました。
青学からの交換留学生なみの扱いです。英語の科目を除いて。日本の英語クラスはUOではほとんど認められないのだそうです。
「英語圏である米国の教育方法にのっとった科目を新たにとりなさい」ということらしい。
でも英文科卒ではない私が取得した英語関係のクラスは、2つか3つ。
だからでしょう、ほとんど認められた単位数によって、私は無事、UOの3年生 (Junior year)として念願どおりにスタートすることになりました。
英文科からの子たちが2年時(Sophomore year)に編入学しているというのに。私の単位数はすべて、認められたのです。
Some #MondayMotivation for you: A look back at @OregonMBB‘s thrilling, come-from-behind win over Washington State yesterday at Matt Knight Arena. #GoDucks pic.twitter.com/DqbRCPyZsP
— University of Oregon (@uoregon) 2019年1月28日
>●交換留学制度のある青学から単位を持ってオレゴン大学へ編入学したとき、空欄になっている「UOでの科目名」
ところが。
UOからもらったその資料には、青学に出してもらった英文の成績証明書に書いてある英語訳の科目が左側にあり、その右側にはUOでの科目が対比されています。青学の科目がUOではどの科目に当たるのかが一目でわかります。
よく見ると、青学から持って行った科目のいくつかは、空欄になっている。これが、「UOにはないクラスであり、単位数としては認めるけれど、UOの卒業要件を満たすためにはUOで新たに必修科目を取得しなければならない」ということを意味しているのは私にもすぐに理解できました。
このままでは、必修科目を取ることで少なくとも1年はかかってしまう計算になります。せっかく3年時に編入学できたというのに。
「交渉次第」
だれかが教えてくれた、米国での生き方が私の頭をよぎりました。
そうして私は、交渉をしに事務局へ来たのです。出迎えてくれたのは、日系とおぼしき小柄な中年の女性でした。渡米して早々のつたない英語で私はUOの卒業要件を記した表と照らし合わせながら交渉を始めます。
Happy #NationalHatDay from The Duck, who pretty much has the raddest hat of all! pic.twitter.com/QZ7nWElk1H
— University of Oregon (@uoregon) 2019年1月15日
●事務局にてせっせと「モノを言う私」(単位認定にあたって)
「ここにある青学の科目は、経済理論を勉強しました。だから、UOの科目でいえばこれとまったく同じなんです。ここにあるこの科目もそう。これも。これとこれも、UOのこのクラスとまったく同じことをしました。UOの科目説明のここに書いてあるのとまったく同じように。だからこれらは全部、UOのこの必修科目として扱われるべきです」
私がたどたどしくも一生懸命説明している間、日系の担当者は、「でもそれはなんとかでしょう」とか「だってなになにじゃない」など、But、 Howeverで始まる言葉を何度か挟みました。
でも私には、それらの青学からの科目が、UOに存在する同類のクラスとして認められないのはおかしい、なぜなら、UOのこの説明にかいてあることとまったく同じことを青学の授業でも勉強したのだから、という強い思いでいっぱいでした。
自分の英語がつたないからとここでひきさがって1年間を、青学で学んだ必修科目の授業とまた同じことを学ぶために費やすなんて。
つっかえつっかえ英語を話す私は内心、「厚かましいんじゃないか。日本であれば自分がまともな日本語を話せない立場ならここまで強気で交渉したりしないかもしれないというのに」ととてもドキドキもしていたのです。
でも、強い思いに支えられて気持ちが先行する私の態度に軟化する様子がないことを理解したのでしょう、ひとつため息をついた日系女性は、「わかった。ちょっと待っててね」と言って、彼女が座る机の目の前にある、虹色のリンゴマークがついたコンピュータに向かって、キーボードを打ち始めました。
その小型ブラウン管テレビみたいなコンピュータが将来、「アップルのマック (Apple’s Mac)」として発展していくことになるとはそのときの私はまったく知る由もないのですが・・・。
「これでどう?」
出力された紙を彼女から受け取って驚きました。交渉した科目の8割ほどだったでしょうか、ほぼすべてをUOの既存の科目としてあらためて認めてくれていたのです。
嬉しくなりました。そして、ありがたく思いました。
むこうも教育にかかわる立場だったからでしょう、学生である私の話を、ときおり反対意見を挟みながらも、最終的には妥当として認めてくれました。
ビジネスだったらこうはいかない。お互いの利益というものがありますから。わざと認めないことだってある。その中年女性担当者に感謝しました。
●オレゴン大学をはじめとする米国大学で必修の「Writing」
取らなければならない必修科目は、「Writing101」と「Writing 102」の2つのクラスのみとなりました。日本語であえて表現すれば「自分の考えや意見を他者に対して表現するために文章として言語化する科目」という、日本の大学はもちろんのこと、高校や中学ですら存在しない、必修科目でした。
(「作文」と表したいところなのですが、日本語でそう表すとまるで、小学生が書く、「昨日はお父さんとお母さんと僕の3人でどこどこへ出かけました」のような随筆風の文章を想起させるので・・・よりもっと、論理性に根差したものです)。
ものをいう人間は相手にされる。たとえ強気であったとしても。相手にされないのは、何も言わない人間。押し黙っている人間。おとなしく控えめにしている人間。それが、アメリカ。
「言ったもん勝ちの国、アメリカ」
ハタチそこそこの私が痛烈に感じた瞬間でした。
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